動向
越前丸岡城を国宝に
写真1 福井県丸岡城 撮影:筆者(以下同)
福井県坂井市丸岡町にある「丸岡城」。現在この天守を国宝に昇格させようとする取り組みが進んでいる。本コラムでは、丸岡城の国宝指定に向けた取り組みについて紹介する。
丸岡城の倒壊と再建
重要文化財「丸岡城」は、福井県坂井市丸岡町霞の17mほどの小高い丘にある。平城、山城、平山城の分類に沿えば、平山城となる。明治4(1871)年以降、五角形の内堀をはじめ多くの堀が埋め立てられ多くの建物も解体されたが、木々に囲まれた頂に2重3階の高さ12.6mの天守が佇む。天守は天正4(1576)年の柴田勝豊時代もしくは慶長年間(1596~1615年)頃までに造られた。廃藩後に売却されたが、1901年に町が買い戻し整備を進めた。アジア太平洋戦争の戦禍は免れたが、1948年の福井地震で倒壊する。1955年、町長をはじめ町民の強い働きかけで、倒壊材を80%近く使い再建した。現在内部に立ち入ることもできる。
写真2 重要文化財丸岡城天守―野面積み石垣と3層の天守―
この天守は北陸地方で唯一近世の姿を伝えるものである。6.0mの高さをほこる野面(のづら)積みの石垣は反り返りこそないものの急角度である。天守内部の階段も57°と59°とこれまた急で、上階からロープが垂らされ、これを利用して昇る。居住の快適さより、戦いの趣が強い。建物は一階から上階を貫く通し柱はなく、一階が二層目三層目を支える独特の造で、内部は実際より広く感じる。屋根には、笏谷石製の1枚20~50kgの石瓦が約6,000枚葺かれている。
写真3 野面積石垣
写真4 1階から2階に上がる階段
写真5 2階の内部
写真6 3階からみる現在の城下町
国宝指定に向けた取り組み
現在この天守を重要文化財から国宝に格上げさせようとする取り組みが進んでいる。2013年には町は丸岡城国宝化推進室を設置した。2017年には「一般社団法人丸岡城天守を国宝にする市民の会」が結成された。この動きは研究の見直しと、新たな蓄積へと繋がっている。その幾つかを紹介する。
屋根の石瓦は後に葺かれたものであった。元々屋根はこけら葺きで、鯱も金箔が貼られた木製ものであったという。冬場の凍結で瓦が持たないので石葺きとしたという構図は当初からではなかったようだ。3階の外を巡る縁も後から付けられたものという。現在町で最も高く、展望台の役割を果たす人が巡れる縁も、当初はなかったという。
写真7 石製鴟尾(福井地震で倒壊する前のもの)
最大の関心事の一つは天守築城の年代である。正保年間(1644~1628年)の「越前国丸岡城之絵図」(国立公文書館内閣文庫蔵)に瓦葺三階建ての建物が描かれており、絵図より前には造られていた。現存最古の天守か否か、この年代にも年輪年代測定法や放射性炭素年代測定で迫っている。今のところ天正年間とする答えは出てないようだ。解明される日も近いかもしれない(※補注)。
期待を込めて
写真8 古城祭りと城のライトアップ
街では10月には五万石パレード、総踊り、からくり人形山車巡行が行われる「丸岡古城まつり」が開催される。夜間のおじゃれ市(模擬店)の賑わいは、背後にライトアップされた城と溶け込む。町と城の距離が一段とせばまる瞬間である。城造りの古式と現代の街並みがほどよく調和された空間である。「城のまち」を標榜するだけに味わい深い。埋め立てられた五角形の内堀の復元や表示する計画もあるという。また移築された城門も小松市興善寺、あわら市蓮正寺、丸岡町野中山王の民家に伝わる。城下には土塁や堀の一部が残る。150年近く前に機能を止めた城としてはよく往時の姿が遺存している。島根松江城と同じように国宝に昇格することを望むとともに、さらに歴史資料、観光資源として整備が進み有効に活用されることを期待する。
◆◆◆丸岡城◆◆◆
住所:〒910-0231福井県坂井市丸岡町霞町1-59
電話:0776₋66₋0303
開館:午前8時30分~午後5時(年中無休)
写真9 城下の土塁
写真10 城下の堀
写真11 往時の復元図
(※補注)
2019年3月26日に丸岡城調査研究委員会(吉田純一会長)は、構造上重要な「通し柱」の理化学的な分析結果から、天守が寛永年間に新たに建てられた可能性が高いと、福井県板井市長に報告したと報道されています。 | |
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190327-00010000-fukui-l18(2019.3.30追記) |
(参考文献)
丸岡城調査研究パンフレットNo.1『平成27年度丸岡城調査研究事業成果報告』
No.2『自然科学的な調査方法と丸岡城』
No.3『平成28年度丸岡城調査研究事業成果報告』
公開日:2019年3月25日最終更新日:2019年3月30日