動向
2018年のホイアン―世界文化遺産登録から20年―
ベトナム中部の港町ホイアンは、20世紀末にユネスコ世界文化遺産に登録された。これを契機に、「過疎化が進む町から観光の町へ」短期間で生まれ変わった。日本では「文化財保護法」の改正を受け、これまで以上に文化財の保存活用の必要性が高まっている。文化財を観光資源として活用するホイアンを2018年5月にめぐった。
写真1 アンホイ橋付近の賑わい(撮影 筆者以下同じ)
1 古き港町ホイアン
クアンナム省ホイアンは、トゥボン(Thu Bon)川河口に位置し、チャンパ(Cham Pa)王国時代からの古い港町である。16~17世紀を前後して国際貿易港として日本人街、中国人街、オランダ東インド会社の商館等が設けられ隆盛をほこった。日本人街と中国人街を結ぶ来遠橋(Lai Vien Kieu)、通称「日本橋」が最初に造られたのもこの頃である。その後は、江戸幕府の海禁政策で日本との往来が絶え、1639年にオランダ商館が閉鎖し、17世紀後半の清と台湾の対立で交易は更に停滞し、徐々に繁栄が失われていく。18世紀末から19世紀初頭のタイソン党の乱で街は荒廃し、トゥボン川の土砂堆積が大型船の航行を阻害したことも併せて、国際貿易港の役割が次第に北方約30kmのダナン港へ移っていく。しかし時流に取り残された街並みは、アジア太平洋戦争やベトナム戦争の戦禍をまぬがれ、1999年にユネスコ世界文化遺産「Hoi An Ancient Town」の登録をうけた。
写真2 中国風の外観である現在の来遠橋(日本橋)、左奥は黄色壁のフランス様式の建物
写真3 日本や中国との交易品(貿易陶磁博物館)
2 文化財の中に生きる
博物館等共通チケットでカウントする旧市街地の観光客数は、2017年5月に通算1,000万人を超えた。2017年に限れば年350万人以上、1日約1万人近くが訪れたという。ホイアン全体の人口が約12万人であることを踏まえれば、集客効果がいかに高いかがわかる。実際に夕方の街は、アン・ホイ(An Hoi)橋やクー・チョ・デム(Khu Cho Dem)の屋台群を中心に観光客で賑わう。20世紀末に保存活動が開始される前は、”過疎化が進み鄙びた田舎町で“(内海2014、46頁)、1991年の観光客数が34,000人(内海2001、10頁)に過ぎない状況であったというから、驚くべき変化である。短い年数で、文化財を活用した街づくりを成功させた一例である。
この街並みについて『文化遺産の世界』創刊号では「文化財と生きる」という巻頭特集で紹介している。日本とベトナムの研究機関による街並み保存事業がひと段落つき、世界遺産に登録された直後の2001年の刊行である。そこでは街並み復元に先立つ発掘調査と建物の調査を行っていること、伝統建物を維持するための技術継承への取り組み、人が住む建物として保存と活用を両立する必要性等が書かれている。『文化遺産の世界』のバックナンバーはネットでも公開しているので、興味の湧いた方はご一読願いたい【『文化遺産の世界』HPへ】。
また現実には、ホイアンの建物自体は19世紀初頭から20世紀前半までのものが中心で、河岸の街ほど新しい時期に埋めたてて造られており、街並みや建物自体が国際貿易港として栄えた16~17世紀に遡ることは難しい。街路自体もフランス統治下(1887-1945)に拡幅と直線化が進み、その名残で軒先を切り落とした建物がみられる(増田2001、8頁)。これほどまでに人々を魅了する力を何処に秘めているのか、いくつか考えてみた。
写真4 ランタンを飾り、ブーゲンビリアが咲く旧市街地
写真5 廣肇会館(華人の同郷会館)とチャンフー通り
3 伝統建物の博物館施設等への転用と景観保全
街並みそのものが歴史的な景観をもつ中で、古い建物を利用した小さな展示施設が点在する。博物館や古建築等で見学可能な場は36箇所もある。先述の「文化財と生きる」の特集内容の指摘に応えるように、サーフィン文化博物館、貿易陶磁博物館、民俗博物館、築200年を超す古民家等が、2,000年前から100年前のホイアンの姿を連携しながら紹介する。しかも後述するように客足が増える夕方に呼応し、開館が21時を超える施設も幾つかある。展示施設は市街地の各所に散らばり、決して広くはない旧市街地全体へ、足を運ばすきっかけを担っている。この小さな展示施設が点在する在り方は、外観はともかく生活空間まで数百年前のままとして現代人が住むことが難しいことへの工夫である。古い街の景観を維持し、一部の内部見学を可能な形としながら、現代人の生活も共存させることで、展示施設自体にも人の息吹を感じさせることができる。有料展示施設は共通券120,000ドン(2018年5月現在、約600円)で5箇所見ることができる。5箇所未満でも同額で、5箇所を超える分は更に共通券を買い増す必要があるが、その収益の85%以上がこの景観維持に利用されている。
展示施設以外の建物はどのようになっているのだろう。古い民家風のレストラン、喫茶店、処、土産店、宿が軒を連ねる。建物の外観に古式を残し、当時の使用例から個々の技術や材料を採用し修復復元、再現したという。当地の建築様式は元々バリエーションがベトナム、中国や日本、フランスと豊富で、黄色の壁はアジアに珍しく貿易港としての景観に彩を添えている。博物館施設等が公共の運営母体であるのに対し、これらの建物は民間経営である。生活する住民との軋轢を乗り越え、古い街並みの維持といったプランを今も貫くためには、大変な労力があったことが想像できる。しかし難をいえば修復復元、再現の街並み自体は、中国でよく整備されている古鎮群と、よく似る。元々街が持つ地理上の要因や文化の影響力だけでなく、観光の街並みとして古建築風建物を利用すると、レストランや喫茶店、土産店、宿が入居し、どうしても同じような景観を招く。先に人が住む古い街並の良い面を述べたが、その表裏として、当然そこに住む現代の人々の生活の折り合いの上に成り立つため、それは知らず知らずのうちに、現代生活という共通部分で類似する宿命をもつ。だからこそ、その街の個性が大切になる。
写真6 家屋構造の模型(ホイアン博物館)
写真7 民俗博物館内部の様子
写真8 建物と建物を繋ぐ屋根のある縁(貿易陶磁博物館)
写真9 サーフィン文化博物館の展示
4 ホイアンの強み
ホイアンでは毎月旧暦14日、満月の夜にランタン祭りが行われる。家々の電気を消し、色とりどりのランタンが街を照らす。街は一時的に、いにしえの姿に戻る。紙に蝋燭をともした灯籠を、先がL字に曲がった柄の長い棒で静かにトゥボン川水面に乗せてゆく。幽玄で幻想的な風景が水面に浮かぶ。灯籠を「ブッタミ」と言っていたので、仏教行事に由来するものである。実はこのランタン飾りと灯籠流しは、観光の目玉として毎日行われている。そのため夕方になると観光客が大幅に増え、人足は午後11時過ぎまで途絶えることがない。ホイアンの個性であり、観光地としての最大の強みである。一度は荒廃した街並みが、往時の輝きを観光という形で再現している。
写真10 トゥボン川の灯籠流しと小舟
写真11 ホイアン名物のランタンを売る店
この他、ホイアンのバレー井戸(Gieng Ba La)の水でしか理想の味を再現できないとする海老のすり身を米粉で包み揚げたホワイト・ローズ、鶏飯コム・ガー、米麺カオ・ラウなどの特色ある料理がある。天秤棒を担ぐ果物売りや、即席で甘味飲料を加工する路上販売も特色である。現在、比較的安価なこの路上販売は、経済発展に伴い常設店舗に変化するかもしれないが、今のところトゥボン川辺の柳の木の屋台で涼みながら食べることができる庶民的な価格の麺や串焼き同様に、名物の一つである。ちなみにこの屋台群に関しては、当局の規制を数か条にわたり細かに記した、ベトナム社会主義国のシンボルマークのある紙面をみることができた。営業時間帯やゴミについて等などである。本稿を書くことを予定していれば、よく読むべきであったと後悔するが、印象に強く残ったのは屋台での飲酒禁止である。何故なら道を挟んだ数メートル向かいの常設店では堂々と合法的に、店内用も持ち帰り分も販売しているからである。全くの想像であるが、路上販売、屋台、常設店のすみ分けを行い、それぞれを維持する配慮が働いているのだろうか。
写真12 ホワイト・ローズ
写真13 路上販売の甘味飲料
また近くにチャンパ王国の聖地ミーソン遺跡(My Son Sanctuary)、洞窟寺院マーブル・マウンテン(Marble Mountain)などがあり、港町ホイアンとは全く異なる文化へ足を延ばしやすい。ダナン(Da Nang)を初めとするビーチ・リゾートも近くに数多くある。将来、世界最大の洞窟があるフォンニャ・ケバン国立公園(Pong Nha Ke Bang National Park)への道路も整備され、さらにツアー企画が充実されるであろう。このように古い街並みを楽しむだけでなく、数多くの付加価値が選択できることも個性であり、強みである。
写真14 ミンソン遺跡(グループCサイト)
写真15 マーブル・マウンテン(フィン・コン洞窟内部)
5 生きている文化遺産「古くて新しい街並み」
ホイアンは古い街並みに再び光をあてた「古くて新しい街並み」である。古い街並みは古建築の宝庫である屋外博物館でありながらも、同時に再現された歴史の街としての側面をもつ。単体としての力でなく街並みとして評価され続けるには、どうしても街を維持する力を必要とする。人々の往来を呼び込む観光は、伝統や文化を伝えるために有効である。文化財を活用するには様々な方法があり、これからも模索が続くであろう。紹介したホイアンの街並みは、現代人が住む町と歴史的な建物、展示スペースの調和をとり、伝統や歴史を感じるスペースとして存在意義を発揮する試みであり、生きている文化遺産(Living Heritage)の在り方の一つである。もちろんステレオタイプの古い街並みやテーマパークと化さないために、事前の調査が十分に行われた歴史の復元であることが前提である。その上で、古い街並みや観光地として共通の土台に立つ他地域と、差別化をはかれる特性や個性が必要なことを、ホイアンの街は教えてくれる。
写真16 夕暮れの賑わい(中央奥がクー・チョ・デム)
写真17 夜の大道芸
・ | 内海佐和子「文化財とともに生きるために」『文化遺産の世界』創刊号、2001年5月、10頁 |
・ | 内海佐和子「観光客アンケートにみる リビングヘリテージ観光の現状と課題―ベトナムの世界遺産・古都ホイアンの場合―」『学苑』No.881、昭和女子大学近代文化研究所、2014年3月、46-61頁 |
・ | 国際航業(株)アドバンス事業本部文化財事業部(編)『文化遺産の世界』創刊号、2001年5月 |
・ | ベトナム総合情報サイトVIETJO https://www.viet-jo.com/ |
・ | 増田千次郎「生活現場の史跡整備」『文化遺産の世界』創刊号、2001年5月、8-9頁 |