博物館
発掘現場訪問 「松尾頭10区 第34次発掘調査」
松尾頭10区にある松尾頭3号墓(麦木晩田遺跡)
弥生時代、たくさんの人々が暮らしていた遺跡、妻木晩田(むきばんだ)遺跡。その範囲は鳥取県米子市・西伯郡大山町にまたがる晩田山丘陵全域に広がります。昨年に続き本年度松尾頭(まつおがしら)地区で行われた「松尾頭10区 第34次発掘調査」現場で、調査担当のむきばんだ史跡公園、森藤徳子さんと、労務・安全管理担当の国際文化財株式会社、鬼頭泰夫さんにお話を伺いました。
調査の概要
むきばんだ史跡公園 森藤徳子さん
松尾頭地区は、妻木晩田遺跡のほぼ中央に位置し、人々が最初に住み始めた場所。集落の最盛期には有力者の居住域となり、ここから中国鏡の破片や多数のガラス玉、祭殿とみられる大型の建物跡も見つかっています。3世紀前半の弥生時代終末期後半には墓域が形成されたことがわかっています。昨年は松尾頭10区で調査が行われ、「松尾頭3号墓」の存在が明らかになりました。
松尾頭3号墓とは、松尾頭10区北東に位置し、規模は南北約7.5m、東西約7.2m、墳丘盛土の高さは最大で65㎝。周溝幅は最大約2.8m、深さ20~70㎝。昨年の調査で過去に発掘された松尾頭1区の松尾頭1号墓・2号墓よりも古い、弥生時代終末期前半(2世紀末~3世紀初頭)の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)であることがわかりました。
本年度の調査目的は、松尾頭墳丘墓群の実態を明らかにすることと、墓域となる以前の土地利用状況について明らかにすることです。松尾頭3号墓がどのような方法で造られたのか、埋葬施設が何基あるのかを明らかにするため、墳頂部の調査を中心に丘陵地の638㎡を発掘しました。
妻木晩田の夏
国際文化財株式会社 鬼頭泰夫さん
今回の現場は我々が主に行っている、道路や宅地に生まれ変わる土地に埋蔵している歴史の痕跡である遺構や遺物を探し、それを記録する「緊急調査」と違い、国の史跡である妻木晩田遺跡の保存・活用および調査研究を目的とした「学術調査」です。緊急発掘調査では遺構確認面のすぐ上までの表土の掘り下げに、熟練のオペレーターによる重機を使うこともありますが、今回の工程は、すべて調査員である森藤さんの指示のもと、表土からスコップやジョレンを使い、人の手で掘り下げました。
作業には妻木晩田遺跡をよく知る地元のベテランが集まってくれました。みなさん豊かな経験があるので現場における作業内容や注意点、安全に対する心構えをよく理解してくれ、大変助かっています。
この現場では、遺跡に与えるダメージを最小限にしたいということで、地表20㎝ほどで伐採した樹木の切り株がそのまま残っています。切り株は足を取られて転ぶ危険性が高く、大変危険なもの。高齢のスタッフが多いため、転んで手をついたら骨折してしまう可能性もあります。現場で何よりも大切なのは安全。常に目配り気配りをしていました。
自然豊かなこの環境ならではの危険と言えば、むきばんだ史跡公園のふもとの方で、クマの目撃情報があったこと。現場に来たら困りますからね。怖かったけれど出会うことなく済んでホッとしています(笑)。
全国的にも暑さの厳しかったこの夏、現場入口の木陰に設置した温度計でも、気温は38℃~40℃をマーク。寒冷紗で避難場所を作り、こまめに休憩、水分補給を行って暑さをしのぎました。
炎天下で土が乾ききってしまうと、発掘を進める基準となる土の層の判断がしづらくなることから、散水しながら作業をすることもありました。一方、雨は遺跡にダメージを与えるため、降られる前にシートを広げて養生しなければなりません。天気予報の情報だけでなく、山の向こうに立ち上がってくる雲をにらみ、夕立が来る、となったらすぐにパッとシートを広げていました。
台風も多かったですね。それも週末に来るのが多かった。台風の備えは二日前から取りかかるため、土曜日に来るという予報が出たら、水曜日には水の染み込まない分厚いシートでビッチリと養生することに。台風の去った月曜日はそれらを全部外し、くぼみに溜まっている水をポンプで排水。週に2.3日しか稼働できないことも多かったです。
調査の成果
松尾頭3号墓上に3基の埋葬施設を確認しました。
1基目は当時の地面を整えた後に墓壙が掘りこまれ、東西2.7m・南北1.6m以上の穴に、縦2.2m・横1.0mの木棺が置かれていた痕跡がありました。そこに盛り土をして埋葬が終わったのちに、2基めの埋葬施設と、3基めの子供を埋葬したと考えられる小さな埋葬施設が造られました。あとから造られた2基め3基めの埋葬施設は1基めを意識した配置をしており、森藤さんによると、これら3基の埋葬者は、親族など、関係の強い人たちと思われるそうです。
さらに、3号墓とほぼ同時代に築造されたとみられる2基の方形周溝墓を西側で新たに確認。3号墓と新たに確認された方形周溝墓の周溝からは、埋葬後の祭祀に使用されたと思われる壺や器台などが出土しました。
今回新たに確認された方形周溝墓と同様、調査区西端にマウンド状の地形がありましたが、太平洋戦争末期に構築された塹壕(ざんごう)ということもわかりました。また、墳丘墓以外の調査では、この丘陵が、弥生時代後期前葉(1世紀後半)から後期中葉(2世紀前半)には居住地として利用されており、終末期前半には墳丘墓群が造られて、有力者の墓地へと変化したことが分かりました。
今回の調査により、妻木晩田遺跡の墳丘墓群の中で今まで情報が少なかった、弥生時代終末期前半の墳丘墓について、多くの情報を得ることができました。
▼墳丘墓の変遷についてはこちら
https://www.pref.tottori.lg.jp/42527.htm
(むきばんだ史跡公園ホームページ「とむらう」より)
仮設施設から遺跡の写真を撮る森藤さん
ふたたび眠りにつく遺跡
平成30年10月21日(日)に行われた現場説明会には62人が参加し、弥生のロマンに思いをはせたこの現場。このあと遺跡を保護するために埋め戻し作業が行われます。通常、シートを張って砂を入れるところ、山間部のため、また砂の運搬で遺跡にダメージを与えないように、遺跡から排出した土を土嚢袋に入れ、一つ一つ人の手で戻します。手間暇かけて丁寧に。また次の調査の時に目覚めるときまで。