博物館
国立科学博物館・特別展“ミイラ―「永遠の命」を求めて”
東京・上野の国立科学博物館で2019年11月2日から開催されている特別展、“ミイラ―「永遠の命」を求めて”を見学しました。古代エジプト研究に関わる人間から見た、その雑感です。
ミイラと化学分析
19世紀から20世紀初頭にかけてヨーロッパや北米にもたらされた各地のミイラは、どの地域から来たかは分かっていても、それ以上の詳細な出自を失ってしまっている場合が少なくない。近代の考古・人類学資料にはありがちな話だが、現地を旅行した人物がミイラを購入し、それを地元の大学や博物館に寄贈するといった行為がよく行われた。このような場合、購入者がミイラの出所まで把握していることはほとんどなかった。そもそもこの時代、出土コンテクスト(その資料が発見・収集されたときの状況)を詳しく記録しておこうという考え自体が、まだまだ共通認識として定着しておらず、たとえ学識者であっても十分な記録を残していないことも珍しくなかったのである。
チンチョーロ文化(チリ)の子供のミイラ。かたちが崩れないように、背中側に添え木がしてある。CTスキャンによって、このような詳細が明らかになる。
20世紀にはいると、博物館等に収蔵されているミイラは学術的な調査研究の対象になった。同世紀後半にはCTスキャンが登場し、それまでミイラの包みを切り裂き、ミイラ本体を露出させて行うしかなかった解剖学的調査を、非破壊で行うことが可能になった。ミイラとなった人物の性別・年齢だけでなく、身体的特徴から病歴までが、包みの外から解明できるようになったのである。さらに年代測定やDNA分析、さまざまな定性分析を動員することで、ミイラとなった人物の死亡年代、遺伝学上の位置づけ、ミイラづくりに使用された物質なども把握できるようになった。そこでこうした情報をもとに、個々のミイラのコンテクストを取り戻していこうというプロジェクトが、世界の各地で実施されるようになっている。
ミイラ展・その背景
国立科学博物館の「ミイラ展」は、2007年にドイツで開催された特別展をベースに、日本の独自資料を加えた内容になっている。このドイツの特別展は、上述したようなミイラ調査の成果を紹介するために企画されたもので、科学博物館での展示解説にも最新の知見がふんだんに盛り込まれている。
出所の情報をまったく失ってしまったミイラの出土コンテクストは、どのように導き出せるのだろうか。副葬品が伴っていれば出自の有力な情報源になるが、それもない場合はミイラそのものから情報を引き出すしかない。ミイラの姿勢や保護のしかた(布などの巻き方)を出自の確かな資料と比較検討して、どの地域のどの文化に属するものかが推測される。そしてミイラ本体や布などの有機物からサンプルを取って年代測定をおこない、死亡年代を明らかにする。さらにDNAが採取できれば、どの地域集団に属するのかがわかる可能性もある。このように多角的な手法から得られた情報を統合することで、ある程度までミイラの出自を突き止めることができるのである。
チャチャポヤ文化(ペルー)のミイラ。インカ期のミイラの多くは、スペインの征服によって破壊された。これは完全な状態で現存する、極めて貴重な資料である。
ヨーロッパの湿地で発見される自然ミイラは、遺棄された他殺体を多く含むことが特異である。軟部組織がよく残り、そこから明らかになることも少なくない。
ミイラ誕生の背景
ミイラは埋葬あるいは放置された環境の作用によって「たまたま」できあがった自然ミイラと、思想的な背景に基づいて意図的につくられた人工ミイラに大別される。古代エジプトの場合、乾燥した環境下で自然ミイラが生まれ、やがてそれが人工ミイラにつながっていったのだとされてきた。しかし近年の化学分析の結果は、これまで考えられていたよりもかなり前から、遺体の防腐処理が試みられていたことを示している。これは単なる技術的なさかのぼりではなく、来世のために肉体の保存が必要という考え方がさかのぼることを意味しており、古代エジプト人の来世観の形成に関わる重要な意味を持っている。このように最近の理化学調査では、定説の見直しを迫るような発見もなされている。
古代エジプト・先王朝時代のミイラ(トリノ・エジプト博物館)。遺体の防腐処理が試行錯誤されていた時代のものである。 *「ミイラ展」の出展資料ではありません
古代エジプト人は人工的な防腐処理と遺体の整形技術を、高度に発達させた。
日本の入定ミイラ(即身仏)で最古級と考えられる、弘智法印 宥貞和尚。衆生の救済という、すぐれて尊い思想の上に生まれたミイラである。
人工ミイラがつくられる背景を「誰のための遺体保存か」という観点で捉えるのは、今回の特別展で特に興味深く感じたところである。古代エジプト人は、とにかく自己の存続を願っていた。祖先崇拝には生者が得る恩恵もあったが、故人の供養の義務を負う遺族や子孫が、死者に「使役」されている側面もあった。死後の供養がきちんと行われなければ、祟りがあるとさえ考えられたのである。世界のミイラも、多くは個人の存続がおもな目的だったといえる。しかしなかには、生者のために遺体を遺すという行為も存在した。日本の即身仏がその代表例である。
正直なところ、遺体に対峙するというのは決して気持ちのいいものではない。おそらくそれは、人の死というものを眼前に突きつけられるからである。中世ヨーロッパの人々は、それを「メメント・モリ(死を思え)」という言葉で表現したが、確かに遺体にはその力があると感じる。ミイラという「奇妙な遺体」に対する関心は現代に至るまで高いが、その背景には怖いもの見たさの感情が常に存在するのではないだろうか。しかしミイラは、科学技術の進展によって、過去の人々の生活や思想を知るためのきわめて貴重な資料へと変貌している。科学博物館の特別展ではその部分にぜひ注目してみていただきたい。
公開日:2019年11月26日