博物館
特別展「大英博物館 ミイラ展 古代エジプト6つの物語」展示監修者が語る ミイラ研究とエジプト学への期待
発見当時のカタコンベ内部。再現展示では表現されていない左手の壁には、いくつかの墓碑がはめ込まれているのがわかる。(©️ North Saqqara Project, Kanazawa University)
東京、上野の国立科学博物館で行われていた「大英博物館 ミイラ展 古代エジプト6つの物語」が、2022年2月から神戸市立博物館で開催されている。イギリス・大英博物館が所蔵する、古代エジプトの6体のミイラに対して行われた研究成果を軸に、葬儀とその中心をなすミイラ製作、古代の人々の暮らしぶりを伝える資料によって構成された企画展である。今回、この企画展の日本における二人の監修者、坂上和弘氏(国立科学博物館人類研究部グループ長)と河合望氏(金沢大学新学術創成研究機構教授)から、企画展の意義や見どころ、日本での展示に込められた思いを伺った。
CTスキャナとミイラ研究
今回の企画展で軸となっているミイラの研究は、CTスキャンで得られた情報をもとに行われている。古代エジプトのミイラのCTスキャン動画を目玉にした企画展は、2004年にも大英博物館で開催され、2006年には国立科学博物館にもやってきた。紙のフレームにセロファンを張った3Dメガネで、大スクリーンのCG映像を見た記憶のある方もいるのではないだろうか。
X線をミイラの調査に使用する試みは新しいものではない。1960年代には、カイロ・エジプト博物館に所蔵されている王家のミイラなどがX線にかけられた。しかし、対象を連続した断層画像として記録できるCTスキャナが開発され、1990年代にミイラ研究に用いられるようになると、得られる情報は飛躍的に増大した。今日では世界中の博物館で、CTスキャナを用いたミイラの調査が実施されるようになっている。
CTスキャナの性能は日進月歩であり、今回のミイラ展のスキャン画像は、2004年のミイラ展の時よりも7倍以上高解像になっているという。この場合の解像度とは、どれだけ薄くスライスした画像が得られるかを意味している。加えて今回用いられたCTスキャナは、デュアルX線を備えたものだった。この装置はエネルギー(周波数)の異なる2種類のX線を照射することで、対象物のわずかな密度の差を知ることができる。そのデータによって、ミイラの布を解くことなく副葬品の材質が判定できるようになっていたのは驚きだった。2004年のミイラ展で主役になったネスペルエンネブウのミイラも、今回あらためてCTスキャンにかけられ、革製のストラ(胸の上に交差して置かれる帯状の護符)を身に着けていることが明らかになった。CTスキャンによるミイラ研究は、単に非破壊で遺体の状態を見るという段階から、さらに先に進んできているのである。
坂上さんによれば、過去にエジプトのミイラに対して行われたX線調査は、そのほとんどが誤った結論を示しているという。ただ、新しい技術によって新しい見解が示されるのは当然のことで、今日の成果が将来覆されるのもまた明らかだという。そのなかで大切なのは、新技術を取り入れて研究を進める、トライアルの心を忘れないことだと坂上さんは語る。
将来さらにCTスキャナの性能が上がっていった場合、局所的な骨密度の差がわかるようになり、骨にどういう力がかかる運動をしていた人物だったか知ることができるようになるだろうと坂上さんはいう。骨の表面の観察から生業活動の復元を試みる研究は現在でも行われているが、それがより詳細なデータによって解釈可能になれば、さらに面白い成果が期待できそうである。
坂上さんは、骨に含まれるミネラルの透過量から元素を同定して、同位体分析のようなことができるようになるかもしれない、という驚きの将来像も示してくれた。放射性炭素年代測定に代表される同位体分析は、非常に有益な情報をもたらしてくれる技術だが、サンプルを採取しなければ分析ができない。博物館資料や出土遺物からのサンプリングは、困難な場合が少なくない。ミイラのような遺体の場合、倫理的なハードルはさらに高くなる。もし非破壊で同位体分析のような分析ができれば、さまざまな研究で大きな進展が期待できる。今後の技術の進歩を楽しみに待ちたいと思う。
ミイラ研究の現状
坂上さんは2019年にも科学博物館でミイラ展を企画している(リンク)。これは世界中のミイラを最新研究の成果とともに紹介したもので、たいへん多くの来場者を集めた。ところが坂上さんによると、自然人類学におけるミイラ研究は決して盛んではないという。人類学者は骨の観察を通して情報を得るが、皮膚が残り布で巻かれているミイラには、「骨を観る」という伝統的な手法が使えないためらしい。日本でも若手のミイラ研究者は育っておらず、2019年のミイラ展はこうした現状に対する危機意識から生まれたものだという。
文化財としてのミイラは、非常に面白い存在だと坂上さんはいう。ミイラは遺体とそれを覆っている布や棺から構成される。このうち前者は自然人類学の、後者は考古学の研究対象だが、両者によってミイラが成り立っている以上、単純に切り分けて考えることはできない。そうなると、ミイラ研究には自然人類学者と考古学者の協業が不可欠になる。つまり、近年よくいわれる学際的研究の対象として、ミイラは格好のものだと考えることができるのである。
例えば今回展示されているミイラには、CTスキャン画像の分析によって動脈硬化に罹患しているものが多いことがわかっている。ミイラが収められていた棺には生前の身分がヒエログリフによって記されており、貴族層に属していた人々であることがわかる。このように、ふたつの分野の情報を組み合わせることで、当時のエリート層が高カロリーのものを食べ、他方であまり運動しない生活をしていたということを明確に示すことができるのである1)。こうした学術的価値が研究者の間で十分に理解されていないことを、坂上さんは残念に思っている。
日本の独自展示
発見当時のカタコンベの入口(©️ North Saqqara Project, Kanazawa University)
今回のミイラ展は、大英博物館の展示に加えて、日本独自の展示がある点が見逃せない。河合さんによると、大英博物館の企画内容を見たとき、エジプトという舞台背景を伝える意図が希薄と感じたという。そこで坂上さんと相談し、来場者の意識をエジプトに引き戻すためにエジプトの地図と年表、ツタンカーメンのマスクとロゼッタ・ストーンのレプリカを展示することにしたという。
エジプトの地図と年表のあとに、河合さんが隊長を務める調査隊が2019年にサッカラ遺跡で発見した、ローマ属州時代のカタコンベ(集団墓)の再現展示が配置されている。この再現展示は、エジプトで長く発掘調査に携わった者をも唸らせる出来になっている。発見当時の墓室内の雰囲気が、とてもよく伝わるものになっているのである。
この再現展示は写真測量のデータから生成された3Dモデルと写真だけで製作されたとのことだが、壁に残る鑿(のみ)痕まで丁寧に再現されている。そこに坂上さんが骨格標本の人骨を配置し、さらにリアル感が増した。本来の出土状況が伝わるような古代エジプトの展示は世界の博物館を見てもまれで、「こういう所からミイラが出土するんだ」という情報を伝える工夫ができたと河合さんは喜ぶ。河合さん自身、調査をしていた時にはカタコンベのようすをじっくり眺める余裕がなく、感慨にふけることができなかったという。完成した再現展示を前にして、改めてすごい発見だったと実感できたとのことである。
猫のミイラ(画像提供:国立科学博物館)
博物館で展示される資料は綺麗にクリーニングされ、理解を助けるために補修が施されている場合もある。そのような展示物をみて、出土したときの状況が大きく異なることを想像する人はあまりいないだろう。近年の博物館では資料のライフ・ヒストリー(ものの誕生・使用・廃棄のようす)を伝える展示が見られるようになってきたが、こうした展示は見せかたの工夫が必要になる。カタコンベの再現展示は、最新の調査技術と監修者ふたりの熱意によって、それがうまく実現された好例といえる。
国立科学博物館では、坂上さんの提案で実現した、ネコのミイラの匂いを再現した展示もおこなわれた。花王株式会社の感覚科学研究所の協力を得て、動物の遺体の匂いとミイラ製作に使われる香料などの匂いを組み合わせた匂いができあがったという。遺跡で出会うミイラの匂いといえば、有機質が変質した独特なものなのだが、再現された匂いはミイラが製作された時点のもので、なかなか好評を博しているとのことである。
今回のミイラ展は、ミイラ研究とエジプト学の最新の成果を土台にしており、解説パネルや図録の内容もとても充実したものになっている。加えて日本のオリジナルの展示は、古代エジプトとミイラへの理解をさらに深める印象深いものになっている。日本のミイラ研究、エジプト学研究の第一線で活躍するふたりが監修したミイラ展、ぜひご覧いただきたい。
特別展「大英博物館ミイラ展 古代エジプト6つの物語」
神戸会場:2022年5月8日(日)まで開幕
会場:神戸市立博物館
▼詳しくは特別展「大英博物館ミイラ展 古代エジプト6つの物語」公式サイトをご確認ください。
https://daiei-miira.exhibit.jp