博物館
大阪府立弥生文化博物館 【令和元年度夏季特別展『白兎のクニへ』】雑感
大阪府立弥生文化博物館外観 以下撮影筆者
7月21日から大阪府立弥生文化博物館で【令和元年度夏季特別展『白兎のクニへ』−発掘された因幡のあけぼの−】が開催されている。本稿を書き起こすにあたって、お盆期間最終の日曜日に弥生博物館を訪れた。
神話の舞台「いなば」
白兎と言われて真っ先に思いつくのは、古事記に記される白兎伝説、いわゆる因幡の白兎である。出雲国の沖合の島にいる兎が、サメを騙して本土に渡ろうとするが、嘘が露見してサメに襲われ皮を剥がれてしまう。そこへ通りがかった大国主命(オオクニヌシノミコト)に助けられるという、つとに有名な神話である。
物語はその後、大国主命と八上姫のラブストーリーへと展開するのであるが、現在も白兎海岸には若い男女が集まり、白兎神社は縁結びの神様として慕われる。
こうの史代「ぼおるぺん古事記」平凡社(会場には原画も展示されている)
大規模発掘調査による因幡の新発見
2009年鳥取県の東半部、旧因幡国を東西に伸びる鳥取西道路建設工事が始まり、事前の埋蔵文化財発掘調査は、実に75万平方メートルにも及んだ。県の埋蔵文化財行政始まって以来の大規模発掘で、これまでの因幡の歴史を大きく塗り替える調査成果が得られた。この調査には、鳥取県教育委員会からの要請を受け、弥生文化博物館の指定管理者でもある(公財)大阪府文化財センターから多くの専門職員が調査に参加し、そのご縁により今回の展示会の開催に至ったものである。
展示は縄文時代草創期から平安時代末、鎌倉時代にかけて26の遺跡の調査成果が余すところなく並べられている。
最古の因幡人として大桷遺跡の有茎尖頭器をはじめ、高住井出添遺跡や高住宮ノ谷遺跡などの縄文早期から、縄文と弥生の境界にある智頭枕田遺跡、山陰地方を代表する弥生集落である青谷上寺地遺跡など因幡の原始古代を網羅する展示である。
4年間調査に派遣された弥生文化博物館の学芸員は、縄文遺跡の調査中に、遠くに見える山並みや湖沼などの自然景観が、原始古代の原風景に重ねて見えたという。因幡の白兎の舞台である、豊かで美しい自然環境や独特な風土を、遺跡や遺物から読み取ることができる。
最新の研究成果によるトピックもいくつか紹介されている。
木高弓ノ木遺跡の縄文晩期から弥生前期の土器の表面に残る小さな穴を研究対象とした「土器圧痕レプリカ法」により、弥生時代の始まりが複合的な穀物生産によって進んだ可能性が示唆される。青谷上寺地遺跡の人骨のDNA分析では、外部からの人の流入と多様な婚姻関係が想定される。
また、今一番ホットな研究話題では、弥生時代に文字があった可能性として、出土遺物の中から硯と思われるものが展示されている。今後、実際に墨で描かれたものが出土するかもしれない、という期待を抱かせるものである。
展示の内容については、まだまだ書き足りないが、それは皆さんが直接博物館に足を運んでいただいて、見て、感じて、学んでいただきたい。百聞は一見にしかずである。
府県を超えた調査と事業展開
鳥取市「因幡万葉歴史館」協力による本格万葉衣装や、弥生文化博物館に常設される卑弥呼の衣装体験も人気
埋蔵文化財の発掘調査は、昭和の高度成長期から急激に増え始め、平成10年ごろにピークを迎えるが、その後バブル経済の破綻、リーマンショックを経て日本社会が低成長時代に突入すると、開発に伴う発掘調査も減少し、発掘調査を担う地方自治体の調査体制の維持も難しくなっている。とりわけ財団調査組織には長期的な組織運営の見通しが立てにくい状況である。
このような中で、本展示の契機となった鳥取県への調査支援のように、府県を超えた事業展開がこのような展示会につながったことは、今後の埋蔵文化財行政のあり方について一つの可能性を考えさせるものにつながるのではないだろうか。
館内では夏休みということもあり、周辺の博物館や団体のワークショップが出店されており、たくさんの親子連れで賑わっていた。
また、玄関先には鳥取県の物産展が軒を並べており、鳥取県への観光集客に誘っている。こうした博物館展示によって、大阪に居ながらにして、鳥取県の遺跡や遺物に触れ時空を超えて旅をすることができる。その次にはやはり、現地に赴き自然や食に触れ、体感してみる事だと思う。
平成20年、大阪府の財政再建プログラムによって当館の存廃が議論の俎上に登ったことがあるが、様々な試みで集客を図ってきた。学芸員の皆様には頭の下がる思いである。
本展示会は、10月6日まで行われている。まだまだ期間に余裕があるので、ぜひとも足をお運びいただきたい。