歴史・民俗学
ラオスの土器作り村調査同行記
これまでに土器や石器等の遺物を、博物館で目にしたことがある、という方は多いと思います。しかし、現代まで形を留めることができた遺物や竪穴住居跡などの遺構は,例えば何千年前という、当時の生活のごく一部の、限られた情報と言えます。
世界には、現在でも伝統的な土器作りを伝えている地域があり、その地域の調査は、発掘調査では得られない、生きた情報を得ることができます。
平成28年2月27日~3月11日の期間,筆者は,岡山理科大学徳澤教授によるラオス人民民主共和国(以下,ラオス)の土器作り村(注1)調査に同行する機会がありました。主に「焼き締め陶器(注2)」と呼ばれる製品を対象として,土器作り村の現状やそれを取り巻く環境についてご報告したいと思います(図1)。
図1 ラオス地図と訪問した村の位置
1.訪問した土器作り村
(1)サワンナケート県 ナ・タイ村
ラオス中部の主要県であるサワンナケート県に位置しています。この村では2000年以降操業しておらず,需要のあるときだけ製作しているようです。今回は,1960年代に埋まったという窯の土を取り除き,内部の様子を調査する目的で訪問しました。
ラオス中南部では,アリ塚を利用した窯が主流で(アリが唾液で土を固めているので頑丈),そのため,窯は一箇所に集中しておらず,あちこちに点在しています。中には集落から非常に遠い位置にある窯もあり,土器や燃料の運搬が非常に大変そうで,効率化とはほど遠いその大らかさに「ラオスらしさ」を感じました。窯そのものは比較的小規模で,約3~4mほどの大きさです。土器製作者は10名程残っており,彼らの案内で窯まで歩きますが,集落から20分ほどかかりました。
このようにアリ塚を使用している、という事実は聞き取り調査によって知りえましたが、その情報がなければ、窯が点在している理由を説明することは、発掘調査だけでは難しいと思われます。
ちなみに、一度に80個程度を焼成していたそうです。頑丈とは言え,8年程度で使わなくなるそうです。
写真1 ナ・タイ村調査の様子(撮影:筆者)
写真2 ナ・タイ村のアリ塚利用窖窯(撮影:筆者)
写真3 ナ・タイ村の窯内部の様子(撮影:筆者)
写真4 ナ・タイ村で使用されていた土器の成形道具(撮影:筆者)
(2)サワンナケート県 ノン・ボク村
かなり大きな村で,ノン・ボクというのは複数の村の総称です。約300世帯が操業中でその内100軒前後は,すり鉢専門で製作しているという話もありましたが,2軒ほどしか操業していませんでした。中には,数世代前に他地域から移住してきた,という家もあります。こちらも,地域的にはアリ塚を利用した窯が一般的な地域ですが,こちらは地面を人力で掘り抜いた窯で,規模も5m前後と,ナ・タイ村よりも一回り以上大きな窯でした。一度に入れる土器も,重ねることで1000個程を入れ,大量に製作しています。
焼成には4日かけます。
1日目:成形し,乾燥させた土器を窯の内部に搬入する。
2日目:早朝に火を入れる。夕方まで窯内部に燃料は入れず,焚き口付近で燃やして窯壁を暖める。夜の段階で燃料を増やし,夜通し焚き続ける。このときが最も火が強い「セメ」と呼ばれる段階。
3日目:次に5~8分おきに数本の細い薪を投入し続ける「フカシ」と呼ばれる段階になる。夕方頃に焚き口を泥などで閉塞し,熱が冷めるのを待つ。
4日目:閉塞を解き,出来上がった製品を取り出す。
実際には土器を粘土から形づくり,乾燥させる期間もありますから,一連の作業は1週間以上になります。主に乾季に製作し,月4回程焼成を行うようです。
このような、焼成の細かな工程やかかる時間も、やはり実際に操業している様子を見ることで得られる情報です。
ちなみに,近くの市場や商店で,焼き締め陶器(すり鉢)を見かけた際,その値札を見ると,大きいものが約200円(15,000キープ)と,レストランで食べる麺料理1食分ほどの値段で売られていました。
写真5 ノン・ボク村で出荷待ちの焼き締め陶器(すり鉢)(撮影:筆者)
写真6 ノン・ボク村の窖窯で焼成する様子①(撮影:筆者)
写真7 ノン・ボク村の窖窯で焼成する様子②(撮影:筆者)
(3)フアパン県 ルー村
ラオス北東部,ベトナムとの国境付近にある村です。この村に至る道路が,未舗装ながら2年前に完成し,都市部との流通がややよくなっているようです。さらに,数年前までは渡し舟を使って川を越えなければ辿りつかなかったのが,立派な橋が完成し,今ではベトナムからの行商人がその橋を超えて,商売に精を出していました。
このように交通の利便性が格段に上がったこともあり,やはり数年前までは50軒近くあった土器作り家も,今では10軒程度になっているそうです。使用可能な窯も2基のみで,それを各家庭がローテーションで使用しているとのことでした。ここの窯も、アリ塚ではなく、掘り抜きの窯です。
粘土から焼き締め陶器を形作っている様子も見ることができました。2人一組で阿吽の呼吸で次々に仕上げていきます。壺ならば,1日に20個程度作ることができるそうです。
写真8 ルー村での土器づくりの様子(撮影:調査団員)
写真9 ルー村 室内で土器を乾燥させる(撮影:調査団員)
写真10 ルー村の窖窯(撮影:筆者)
(4)ルアンパバーン県 チャン村
ラオスの誇る世界遺産の町ルアンパバーン中心部から,観光用ボートでメコン川を20分ほど渡った対岸にあります。ここも数年前までは2~3軒ほど操業していたとのことでしたが,現在では,全て廃業してしまっていました。特に日用品としての土器の需要減とルアンパバーンの観光地化による就業先の増加が直接的な要因のようです。
ただ,EUの援助によって,複数世帯が1つの工房を共同操業することで,伝統的な土器作りを残しています。当初は17世帯がいたそうですが,現在は6世帯が住み込みで操業しています。ルアンパバーンが観光地なだけに,地元のガイドさんに連れられて訪れる観光客もいます。ここでは主に,ホテル等で使用される植木鉢や,ランプ等を製作しています。驚いたことに焼き締め陶器を見ると,十分な時間をかけずに焼成したらしく,赤焼け状態の土器に黒ペンキを塗り,焼き締め陶器に見せていました。その方が「適度に壊れて,適度に需要が生まれる」ようです。これまで訪問した村とは異なり,生活の為に製作するというよりは,保護され,「伝統的な方法」で製作されたことに商品価値を見出し,需要を生み出していました。
写真11 チャン村での土器作りの様子(撮影:調査団員)
写真12 チャン村の焼きの不十分な焼き締め陶器(撮影:筆者)
写真13 チャン村の黒ペンキで塗った土器(撮影:調査団員)
2.土器作り村を取り巻く現状
以上の4村を比較すると,製作する器種や規模の違いはありますが,村内部での土器作り世帯の減少や消滅という,共通する問題に直面していました。ラオスは国土の約7割が山岳地帯という自然豊かな国ですが,過度な伐採による森林破壊が深刻な問題になり,樹木の伐採が禁止されてしまいました。そのため燃料コストが高騰し,また経済成長に伴う工業製品の流入による需要の減少から,廃業または現金収入を求めて,他業種への転換が加速した結果です。
土器作りの村の調査に行ったわけですから,これは危惧すべき事態です。しかし一方で,道路や電気・水道等の生活基盤が整備され,そこに暮らす人々の生活は便利になっているといいます。現在のこの状況は,今後も加速していく,避けられない状況なのでしょう。
3.おわりに
ラオスは国連が分類する後発開発途上国(LDC)のひとつに位置づけられており,2020年までにそこからの脱却を目指しています。生活水準が向上する一方で,土器作り村は急速にその姿を消しつつあり,既に姿を消した地域・村も数多くありました。
現代に残る土器づくり村の調査は、貴重な生きた情報で、日本や他の地域の遺跡と比較する研究にも有効と言えます。今しかできない調査である一方、伝統や情報を残す,ということの難しさを痛感した調査ともなりました。
チャン村のように,伝統的な製作方法が残されることは,良いことのように思われますが,土器作りは人々の生活の中で息づいていたものである以上,既に日用品としての機能・価値のないこの状況は,どう評価すべきなのでしょうか。
※1 | 土器は厳密に素焼きの土器と焼き締め陶器に分類でき,土器というと前者を指しますが,ここでは便宜的に両方あるいは片方しか製作していなくても「土器作り村」と総称しています。 |
※2 | 焼き締め陶器は日本の須恵器のように,密閉された半地下式の窖窯(あながま)を使い高温で焼成されたものを指します。完成品は黒く,非常に硬く仕上がるため,水甕やすり鉢をはじめ,長い期間に渡る使用に耐えることを前提としています。 |
(参考文献)
徳澤啓一・平野裕子・北野博司・中村真里絵 「ベトナム北部からラオス北部にかけての焼き締め陶器製作及び土器製作の展開 –焼き締め陶器製作の地域差と変容を中心として-」『東南アジア考古学 32号』 2012
徳澤啓一 「ラオス南部における焼き締め陶器製作及び土器製作の展開 -土器様式及び技術様式の地域間交流関係の整理にむけて-」『社会情報研究 第10号』 地域分析研究会 2012
中村真里絵・徳澤啓一・北野博司 「ラオス国ルアンパバーン均衡における土器および焼締陶つくりの継承 –パンルアン村とチャン村の事例から-」『社会情報研究 第12号』 地域分析研究会 2014
公開日:2016年7月4日最終更新日:2016年7月6日