歴史・民俗学
敦賀西町の綱引きの中止と再開
綱引き:以下撮影は全て筆者
敦賀西町の綱引きについて
敦賀西町の綱引きは、福井県敦賀市相生町内の西町に伝わり、夷子大黒綱引保存会(以下「保存会」と表記)により守り伝えられ、昭和61年に重要無形民俗文化財に指定された小正月の行事である。現在は1月第3日曜日に行なわれている。
行事では、原則西町出身の厄年の男性が夷子と大黒に扮し、西町全体を「夷子勝った、大黒勝った、エイヤーエイヤーエイヤー」の掛け声を繰り返しながら巡行する。巡行が終わると、左義長倒しと称される、扇や、お金を入れたぽち袋が結びつけられた木が倒され、会場を訪れた人がこれを取りあう。こうした行程の最後に綱引きが行なわれる。
使用される綱は長さ55メートル、直径25センチメートル程度のものである。休みの日等に西町の住人らが集まり、スベを取り除いて芯だけになった藁10本程度をそろえ、株の部分で結んだタマ(玉)と称する束を作り、この束を大量に結びつけて大綱を作りあげたものである。
これを、夷子方、大黒方に分かれて引き合う。この日訪れた人は誰でも参加できる。綱を引き合い、ある程度の移動があれば終了となり、夷子が勝てば豊漁、大黒が勝てば豊作になるといわれている。綱に使われた藁は縁起物とされ、勝敗が決した後は、各々千切り持ち帰る。
敦賀西町の綱引きの中止
敦賀西町の綱引きを実施しなかった年は、昭和2年の大正天皇崩御にともなう年と、昭和21年から23年までの戦後の混乱期、そして平成元年の昭和天皇崩御の年で〔夷子大黒綱引保存会 1991〕、行事そのものの存続が危うくなり実施しなかったわけではない。
行事自体を続けることが難しいと判断され中止になったのは、平成29年に「高齢化、人口減少、資金不足」を理由とした年である。西町は商店が並ぶ地域だったが、近年は店が閉められ、人も少なくなっている。また、綱引きは規約で、行事の運営に関わるのが西町の住民に限定されていたのも、存続を難しくしていた。さらに、かつては無料で手に入った藁も、近年はコンバインで刈り取るため、綱の材料としては使えない形になってしまい、必要な形状の藁を調達するための購入費用が発生している。加えて、地域の人口減少から、行事のための寄付金の収入も減ってきている。こうした中での中止だった。
平成29年の中止までも「高齢化、人口減少、資金不足」の状態ではあったが、保存会の努力により続けられてきた。中止にいたるもう一つの原因となったのが、中止前の2年間連続して、観光客が転倒する事故が起きたことである。平成27年には綱引き中に転倒する事故、そして平成28年には左義長倒しの際、転倒した人が救急車で運ばれる騒ぎが起きた。特に平成28年は前年の事故を受けて警備体制を強化した中での出来事だった。
保存会にとって観光に訪れた人の事故は衝撃的であり、高齢化、人口減少、資金不足などの問題もある中、労力をかけてまでやることはないだろうといった理由から2月の保存会の臨時総会で中止が決定された。高齢化、人口減少、資金不足の中でも、保存会の努力により辛うじて続けられてきた中へ、突発的に起きた事故が中止の決定打となったことが指摘できる。
左義長倒し
復活までの道のり
中止の決議は、平成28年4月15日に保存会から敦賀市文化振興課に報告される。次いで9月9日の福井新聞朝刊に、保存会会長の「18年は何とか再開したい」というコメントが載るが、これは保存会の本意ではなく、9月12日に平成30年も未定である旨の文書が敦賀市に対して提出される。こうした状況から、福井県生涯学習・文化財課と敦賀市文化振興課の担当者が、12月22日に文化庁伝統文化課民俗文化財部門(現文化財第一課民俗文化財部門)へ、中止の決定にいたった報告を行ない、今後の対応について指導を仰いだ。
伝統文化課との協議では、短い期間の「休止」として、早急に復活させるよう指導がある。まず人手不足の対応として、保存会の規約で明記されていた、西町の住民に限るとされている実施者の範囲を拡大し、西町を含む相生町、あるいは敦賀市全体を含めても構わないという指導をもらう。
事故への対策は、会場でアナウンスにより注意を呼びかけることや、事故が起きても自己責任であるとする文書を参加者に書かせること、保存会は一切責任を負わないと明記した紙を配布するといった方法が提案された。
こうした行政の対応の一方で、敦賀市を中心に催されるイベントに関わっている「特定非営利活動法人THAP(タップ)」(以下「THAP」と表記)が行事の中止を報じる新聞記事を見て、地域の伝統がなくなってしまうのは寂しく、復活させたいという強い思いから、独自に保存会と話し合いをもっていた。ここへ敦賀市文化振興課が、文化庁伝統文化課からの指導を踏まえ、行事を昔ながらの形で残していくことが必要である旨の説明をして、理解を得る。結果、協力関係が成立し、敦賀西町の綱引き準備委員会を平成29年7月より開いていくことになる。
準備委員会には、保存会の会長、前会長、顧問、相生区長(西町も含まれる地区の区長)、THAP、港都つるが株式会社、商工会議所青年部、敦賀青年会議所、福井県教育庁生涯学習・文化財課学芸員、敦賀市文化振興課課長、同課長補佐、敦賀市立博物館館長補佐らが参加した。会場は夷子大黒綱引会館を借りて行なわれる。
第1回準備委員会は7月6日に実施された。THAPが準備から本番までの作業に実働部隊として全面的に関わることや、実際に行事を実施するとなった場合の準備の方法について話し合われた。報告では、この前週に西町で臨時総会が開かれ、そこで行事を実施することについて決議したことが伝えられた。ただ、実施することに総意は得られず、一度中止の決議をとってしまったことを覆すことに当然ながら反対する人もおり、多数決により決定したことが報告された。
敦賀市文化振興課からは、9月の補正予算で支援のための予算がつくように努力していると説明があったが、当然のことながら、この時点では確約できない旨伝えられる。保存会からは、西町やTHAPが努力して復活させようというのに対し、確約できないことに不信感を抱かざるを得ないとする意見が出た。
実際の作業に関わる点では、藁の玉造りや、それを大綱にする作業等を、THAPが保存会から習い、取り組んでいくこととした。
この準備委員会では否定的な意見も出たが、実際に全体の関係者が顔を合わせて話し合うことで、お互いの関係構築や、問題共有のために有意義であったことは間違いない。話を進める上で、保存会からも、できることならば先祖から受け継がれてきた行事をなくしたくはない、という声も聞かれた。新しく参加する団体にとっても地元の思いを直に聞いて、伝統的な行事であることを理解し、取り組みの刺激になる効果もあったように見られる。
第2回の準備委員会は7月18日に開かれた。協力してくれる団体を含めた実行委員会形式の協議会を作り、広い範囲の人に関わってもらうことや、協議会の会長に相生区長が入ること等役割について確認された。話し合いでは、保存会ではこれまで寄付金をもらっていた場所へは中止の挨拶をしてしまっているので、THAP側が寄付金を含めた資金集めに積極的に関わっていくことが提案された。また、事故対策としてTHAP側からは、集めたボランティアの中から、警備等が得意な人を選抜して対応すると提案された。しかし、保存会側からは、過去の事故の際、保険会社から専門の警備を雇わないと保険金を出せないと言われたことが紹介された。これにより、警備は専門の人を雇うことに決まった。具体的な問題や課題について、意識の違いを修正することができた。
第3回の準備委員会は8月9日に開かれ、敦賀市の補助金の話等を詰めていった。この中で、補助金はこれまでは出ていなかったのに、協議会を立ち上げて再開する場合は支出することが可能なのはなぜかと、行政の支援のあり方への疑問も出された。加えて、これまでに補助金が出ていれば、保存会の負担は軽くなり継続できたかもしれないと、不満の声も上がった。これまでの行政の支援が不十分であったことが示される形となった。
9月19日には、保存会の代表として出席していた役員以外の保存会員も合わせた会合がもたれ、1月に再開することの最終確認の採決が行なわれた。採決は欠席者からは保存会が委任状をとった上での正式な決議として、再開が可決された。
敦賀西町の綱引き伝承協議会
10月17日に、敦賀市立博物館にて敦賀西町の綱引き伝承協議会設立総会・第1回総会が開かれ、公に協議会が発足する。加入した団体は、相生町、敦賀商工会議所、敦賀青年会議所、敦賀市漁業協同組合、敦賀美方農業協同組合、敦賀信用金庫、港都つるが株式会社、THAPで、顧問に保存会、オブザーバーに福井県生涯学習・文化財課、敦賀市教育委員会が加わった。ここで、会則の承認、事業計画、収支予算について話し合われ、伝承協議会が全面的に行事の運営に関わっていく体制ができあがった。
以上の諸会議を通して、伝承協議会が中心となり、行事を運営する形で、翌平成30年1月に敦賀西町の綱引きは復活する。行事では音響装置も用意し、事故に気を付けるようアナウンスにも力を入れた。なお、上記再開までの様子は、敦賀市職員の立場からの紹介もある〔高早 2018〕。
平成30年5月28日には再び敦賀西町の綱引き伝承協議会が敦賀商工会議所で開かれ、行事の反省が行なわれる。復活1年目は目立つため協賛金はある程度集めることができたが、今後は減少することが見込まれる、といった現実的な問題について議論された。また、終了後のゴミまでを想定しておらず、地元の人達に片付けや処分の費用を負担してもらうことになってしまったため、今後は伝承協議会で対応するなど、見落としのあった点も議論された。この他、大人が行なっている玉造りなどの準備作業を、次世代に伝えていくために、昔のように小学生から高校生が行なうように戻していきたい、という提案もあった。この玉造りは、令和2年には敦賀市立角鹿中学校、敦賀市立松陵中学校の生徒が参加し、準備の部分への子供達の参加が活発化する利点があった。
中学生も参加した玉造り
維持継承のための課題
改正の上、平成31年に施行された文化財保護法の目指す「活用」という部分から、無形の民俗文化財は「観光」の課題を避けては通れなくなるだろう。特に、敦賀西町の綱引きのように、はじめて来た人でも快く綱引きに参加させてくれるような行事はその目玉になることが予想される。
こうした状況下にあっても、無形の民俗文化財はあくまで地域の行事であり、必ずしも楽しむだけの行事ではないことを、見学者に理解してもらえるよう訴えかけていくべきである。楽しみを求めるだけの観光客が増加すると、不測の事態につながり兼ねないからである。ただ、これを伝えるために用いる配布物や音響設備などを用意するだけでも、地元には大きな負担になる。無形の民俗文化財は、報道等で目立つことが多い割に、その実施はほとんど地元に頼り切っている現状にあり、こうした負担を和らげる部分にこそ、行政が援護する必要性があるであろう。
支援のための予算でも、行政の担当者レベルでは予算案が通るかどうかについて明言できないのは当然の事ではあるが、緊急的な案件の場合は、ある程度先のことまで確約できるような支援方法を早い段階で提示できる仕組みを作ることも必要であろう。
文化財指定にしても、行政は地元や保存会に対して、これは地域の宝であることはもちろん、国民共有の財産ともなるのだということを正確に説明し、未来永劫続けていく意思を確認し、その後の経過も見守ることが必要である。祭礼行事は地域で守り続けてきたものであるため、その存続は地域の人達の考え方に左右される部分が大きいからである。当事例では、保存会が総会で中止する件を議論し、中止の決議まで進んでいた。県や市は中止の知らせを受けてから、復活に向けて協議を行なっていったわけだが、地元では一度決めた決議を覆すことに難色を示す人もおり、保存会会長も、はじめ綱引きの中止を一度決議したので、結果を覆すことに難色を示していた。もちろん保存会のこの姿勢は、議論を尽くした上での決議を尊重して守り抜くという意思を示しているもので、尊いことである。今回は地元のご理解と寛大さから、決議を覆していただき復活にいたった。ただし、敦賀西町の住民の中には、一度中止を決議したことから、綱引きに表立って参加しなくなった方もいる。行政側には、保存会で議論や決議が行なわれる前にいち早く情報をつかみ、地元が納得する方法で継続を模索する必要があり、これができなかったことは反省点である。
無形の民俗文化財は、暮らしている人達の総意と大きな負担のもと続けられていることを行政も観光客も肝に銘じなければならない。そのうえで、行政側は実施状況について逐一確認し、常に地元と情報を共有して、個別の事例にあわせて支援をする必要があるだろう。
夷子大黒綱引保存会 1991:『夷子大黒綱引き記録誌』 |
高早恵美 2018:「講座① 夷子大黒綱引きの事例」、橋本裕之(監修)中村亮(編)『里山里海湖ブックレット 明日の例大祭を考える』、福井県里山里海湖研究所、pp.43-56 |
公開日:2020年6月1日最終更新日:2020年6月2日