歴史・民俗学
古代エジプトの動物崇拝とアコリス
アコリス遺跡に残るワニのミイラ 提供:アコリス調査団
古代エジプト後期の宗教活動には、動物をミイラ化するという慣行がある。アコリス遺跡からは体長3.5mを超えるワニが数体出土しており、本稿ではワニに着目した古代エジプトの動物崇拝とアコリス遺跡を概観する。
古代エジプトの動物崇拝
動物に対して何らかの畏怖の念を感じ、崇拝対象とする宗教は世界中に数多く存在している。古くから、動物と人間はお互いの生活圏を共有し、その一方で必要以上に干渉せず、ある時は獣を狩るパートナーとして、またある時は糧として共生してきた。この繋がりの中で、人間は動物の持つ属性や要素に神秘性を見いだしつつ、神や人知を超えた力を得ることを望んできた。このような動物を崇拝するという現象は古代エジプトに限らず世界中にみられる現象だが、古代エジプトでは動物と人間の間にきわめて強い繋がりがあり、この繋がりこそが動物崇拝という特異な信仰形態をエジプトに生み出したのである。
古代エジプトで崇拝されていた神々は、人間の形をした神だけではない。人間の頭をしているが身体は動物、動物の頭をしているが身体は人間、そして動物そのものとして描かれることも多く、神の姿に動物の要素が組み込まれることは珍しくなかった。3,000年という長いエジプト文明の中でも、とりわけ古代エジプト文明の後期に動物崇拝は人気を集めることとなる。この宗教の定義は、研究者によって見解が大きく異なってはいるものの、現世利益のために動物ミイラを介した神々への行為の総称として考えることができる。イヌ・ネコなどの現代でもペットとして親しまれている動物のみならず、ワニやカバなどの人間に対して危害を及ぼす可能性のある狂暴な動物、そしてフンコロガシなどの昆虫に至るまで、それぞれの動物にはさまざまな神格が与えられ、ミイラ化された。
これらの動物ミイラは、当時の人々の宗教心に基づいて、エジプト各地に造られた専用の埋葬施設へと納められていた(写真1)。この専用の施設は、イヌ科動物、ネコ科動物、猛禽類、鳥類など、おおよそ動物の種ごとに造られ、はじめは地域の守り神として崇められている動物が主要な奉納物となっていたが、時代を経るにつれて他の地域で神聖視されている動物を奉納物とすることも増えていった※1。
写真1 トゥーナ・アル=ジャバル遺跡の埋葬施設。両壁の穴に動物ミイラが安置されていた。 撮影:著者
アコリス遺跡の動物崇拝
アコリス遺跡では、都市の中心部に位置する神殿から数体のワニが発見されており(写真2)、この史料からアコリス遺跡における古代エジプト文明の後期における動物崇拝の痕跡を辿ることができる。
古代エジプトにおいて、ワニは肥沃・多産の象徴として崇められていた。ワニは一度に80程度もの卵を産み、雌ワニは卵から産まれた後も自分の子の世話を行い続ける。また、卵を隠す巣をつくる場所も、ナイル川の氾濫の被害の及ばない場所を選定していた。このようなワニの習性を見て、ナイル川沿いに住む古代エジプト人たちは毎年のナイル川の氾濫の水位を予知していたという。また、朝日が昇ると共にナイル川から川岸へ、そしてまた日が沈むと川の中へと戻っていくことも、ワニが太陽信仰と結びついた所以であるという※2。そのため、彼らの日常生活においてワニは十分に神聖性を見いだすことのできる動物であった。
ワニ信仰はワニの持つ属性に焦点を当てて、そこに何らかの神性を見いだすことで生まれた信仰である。アコリス遺跡では遺物としてのワニミイラだけではなく、このワニを保管していたであろう部屋が日本隊によって報告されている※3。アコリス遺跡の西方神殿と呼ばれる神殿内部にワニの形に穿かれた二つの穴がある(写真3)。おそらく、この場所にミイラ化されたワニが木製の台の上に載せられ、神殿の守り神もしくはアコリス地域の顕現神として保管されていたのであろう。というのも、同様の機能を持った神殿がエジプトの他の地域(ファイユーム)から数例ほど確認されており※4、壁画に当時のワニ信仰の情景が描かれていることから※5、木製の台に載せられたワニのミイラは神官によって神殿内へと運ばれて、専用の穴へと納められたと考えられるのである。
写真2 岩窟神殿に置かれたワニのミイラ 撮影:著者
写真3 ワニの形に穿かれた穴(九州大学・堀研究室取得の点群データをもとに作成)
さらに興味深いことに、アコリス遺跡の西方神殿はネロ帝期(在位54~68年)にワニのための壁龕※6が新たに設けられ、ワニを納めていた他の地域の神殿もネロ帝期に増改築が行われていた。なぜ帝政ローマ初期にこのようなワニ形の穴が穿かれたのかについては、現在の史資料からその答えを導き出すことはできない。しかし、アコリス遺跡だけではなく他の地域でも同時期にワニ信仰が人気を博していたことを考古学的資料は示しているのである。
動物崇拝は、地域や時期によって崇拝対象とされる動物の種類も量も大きく異なっている。アコリス遺跡は、少なくとも紀元前1400年以降からは、中エジプトにおけるワニ信仰の中心地の一つであった。そのため、その後1400年以上経たローマ時代においてもこの信仰が残存していたということは、中エジプトにおけるワニ信仰の重要性とその根深さを伝える。その一方で、考古学的資料が示しているのは、あくまでローマ時代における神殿内でのワニ信仰のみであることから、動物崇拝がエジプト全土的に盛んであった期間(末期王朝時代〈前664-305年〉とプトレマイオス朝時代〈前305-30年〉)の調査が必要となってくる。これまで動物崇拝の研究は、ファイユームなど特定の地域の史資料で進められてきており、その地域の外に位置するアコリス遺跡の資料の考察を進めることで、動物崇拝研究に新たな光を投げかける可能性があると考えている。
- 清水麻里奈「古代エジプトにおける動物崇拝の盛衰」、『古代文化』72巻3号(2020)、88-97頁.
- Ikram, S., “Crocodiles: Guardians of the Gateways”, in S. Ikram and Z. Hawass (eds.), Thebes and Beyond, 1st edition, Cairo 2010, pp. 85-98.
- Kawanishi H. and S. Tsujimura, Akoris: Report of the Excavations at Akoris in Middle Egypt 1981-1992, Kyoto 1995.
- Molcho, M., Worship and ritual in the crocodile cults of the Graeco-Roman Fayum Doctoral dissertation, Oxford 2014.
- Gazda, E. K., “The Temple and the Gods”, in E. K. Gazda. and T. G. Wilfong (eds.), Karanis, An Egyptian Town in Roman Times: Discoveries of the University of Michigan Expedition to Egypt (1924–1935), 2nd edition, Ann Arbor 2004, pp. 32-45.
- 壁面に設けられたくぼみ。