歴史・民俗学
等覚寺の松会・「綱打ち」の伝承に向けた取り組み
幣切り(撮影:筆者)
等覚寺の松会について
等覚寺の松会は、福岡県京都郡苅田町に伝わる修験道の祭りで、天暦7年(953)に始まったとも伝えられる。古くは普智山等覚寺、現在の白山多賀神社において、かつては2月19日に行われていたが、現在は4月第3日曜日に行われている。昭和50年(1975)に記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択され、平成10年(1998)に重要無形民俗文化財に指定された。
行事では、盛一臈と呼ばれる施主による未明の「禊」から始まる。午後には大綱3本が取り付けられた約11メートルもの高さのある柱を立てた松庭で松会が行われる。「獅子舞」、「鬼会」に続き、「種蒔き」、「田打ち」、「おとんぼし」、「田植え」、「孕み女」といった予祝の意味合いの「田行事」が行われる。続いて「楽打ち」が舞われ、「鉞舞」、「長刀舞」といった「刀行事」が行われ、最後に「幣切り」が行われる。
特に、幣切りは、白い大幣を斜めに背負った施主が自力で柱の頂部まで登り、天下泰平・国土安全・五穀成就の祈願文を読み上げる。その後、天地四方を清め、刀で大幣の串を切り落とす。また、松庭に舞い落ちた幣は、施主が種蒔きの際に蒔いた種籾に神の御種を宿すとされ、種籾や幣を家の種籾に混ぜると豊作になると伝えられており、見学者たちが種籾や幣を拾って持ち帰る。
現在は、等覚寺松会保存会により伝承されている。保存会の中心は、高齢化、過疎化により限界集落とも呼ばれる等覚寺区であり、行事の実施に際しては、等覚寺応援団など近隣の団体の支援を受けている。
なお、等覚寺の松会の実務を担当し、平成30年(2018)の施主を担う予定であった方が急逝したが、来年度の施主を担う方が代役を務め、事なきを得た。しかし、厳しい状況に置かれていることは変わりなく、現在は等覚寺区のみではなく、等覚寺区を含む旧白川村全体で役割を担い、実施する方向になりつつある。
大幣を背負って柱を登る施主(撮影:筆者)
「綱打ち」伝承の危機
綱打ちは等覚寺区と同じく旧白川村内にある稲光区、谷区、山口区及び八田山区(隔年で担当)の3地区により行われる、柱に取り付ける大綱を伝統的技法により製作し、奉納する行事であり、4月第2日曜日に各地区内の神社などにおいて行われている。
地元では、疫病退散を祈願し、龍を模したとされる大綱を奉納した、あるいは、等覚寺から水をいただくお礼に大綱を奉納したことが由来とも伝えられている。江戸時代の古文書にも大綱を奉納したことが書かれていることから、この頃にはすでに行われていたと考えられる。
各地区も等覚寺区と同じく、以前から高齢化による担い手の減少などにより、綱打ちの実施に苦慮していたが、何とか行ってきた。しかし、ついに実施が困難な状況になり、行政に支援を求めざるを得ない状況になった。
早速、苅田町教育委員会生涯学習課は、現状を調査、整理し、福岡県教育庁文化財保護課、文化庁文化財部伝統文化課と情報共有を図った。この町の即対応が、地元からの信頼を得、文化庁からの信用を得ることになった。
ところで、綱打ちも重要無形民俗文化財としての等覚寺の松会からすれば、実施日の前に大綱が奉納されるという準備行為に見えてしまう。しかし、綱打ちは等覚寺の松会・白山多賀神社に奉納するという目的のために、決められた日に、決められた人たちが、決められた場所で、決められた製作方法で伝統的に行ってきているものである。すなわち、大綱を奉納する地区にとって、綱打ちは我が地区の祭りであるともいえる。ひいては、今回の問題に取り組むことは、無形民俗文化財そのものの伝承について取り組むことでもあるともいえる。
稲光地区の綱打ち(提供:苅田町歴史資料館)
「綱打ち」伝承の取り組み
これまでも等覚寺の松会の保存に関わってきた苅田町は、平成25年(2013)、各地区から受けた要望を元に現状を調査し、さらには各地区とも協議し、その内容を県や文化庁に詳細に報告した。一般的に、地方自治体の文化財部局では埋蔵文化財担当者が多くを占める。苅田町でも例に漏れず、担当者は埋蔵文化財を専門としていたが、民俗文化財専門ではないかと見まがうほどの動きであった。
町は各地区の現状を調査し、その要因を3点にまとめた。
①地区の高齢化及び男性比率の低下により、担い手が減少している。
②各地区は農業中心の地域であったが、現在は非農業従事者が増え、大綱を製作する目的が希薄になっている。
③農業技術の変化などにより、大綱の原材料である藁などの確保が困難になっている。
町はこの結果を元に、各地区と協議し、以下の対応案を考え、平成26年(2014)に行われた町、県、文化庁との三者協議において示された。
A綱を半永久的な化学繊維製にする。
B綱打ちを簡素化して行う。
C他地区から参加者を募集する。
D各地区合同で綱打ちを行う。
E業者や他団体に委託する。
文化庁からは、無形民俗文化財は社会状況に合わせてゆるやかに変化するものである。この点を考慮し、文化財保護法の重要無形民俗文化財に関する条文には現状変更等の規制がない。したがって、これが正解というものはない。ただし、綱打ちは等覚寺の松会の主要な要素であり、しっかり伝承すること。
変化については、社会状況により変わらざるを得なく、かつ、指定の内容を損なわないものであるならば、変化することも可能かと考えられるが、その許容範囲はどこまで許されるのか考える必要がある。
また、社会状況に合わせて変えざるを得ない場合は、当該団体の総意として決定すること、その際は変更の理由、変更の適用年、変更決定のプロセス(どんな議論が行われたか、いつ、どの場で決定したかなど)を記録し、関係者間で共有すること、との意見が示された。
この意見を踏まえ、AからDについて検討した。
綱を半永久的な化学繊維製にする、あるいは、業者などに製作を委託して実質的に行事を中断するA・E案は変化の許容範囲を超える恐れがある。また、現在の綱打ちをさらに簡素化するB案は馴染まないという考えに至った。
残るC・D案であるが、C案の他地区からも参加者を募集することは、等覚寺の松会でも行われており、また、他の祭りでもよく行われている。また、D案も担い手が少なくなった祭りで行われる例があることから、C及びD案を中心に今後の伝承について考えることになった。
山口地区の綱打ち(提供:苅田町歴史資料館)
平成27年(2015)は従来どおり実施することができたが、山口区から翌年度の実施は困難との申し出があったため、各区合同実施の案もでたが、実施が可能である稲光区、谷区は例年どおり実施することとし、まずは山口区の支援に取りかかった。
翌28年(2016)の山口区の綱打ちに向けて、町は『まちの歴史講座「等覚寺の松会の歴史と現状」』を開催し、等覚寺の松会の歴史や文化財的価値について説明した上で、ボランティアを募った。その結果、町内で操業している日産自動車株式会社やトヨタ自動車九州株式会社などからのボランティア、町職員などが集まり、山口区及び八田山区の有志などと共に綱打ちに参加した。また、同29年(2017)から令和元年(2019)にかけても同様の体制で綱打ちを実施した。この過程は、上記C案を実施した例である。
町はさらに協議を進め、令和2年(2020)の山口区及び八田山区の綱打ちについては、旧白川村内の白川区長会などで構成される「郷土の自然と文化を守る会」を中心に実施することに調整した。これは上記D案に近い形である。しかし、同年は新型コロナウィルス感染症拡大予防のため、等覚寺の松会の開催が中止になり、綱打ちは実施されなかった。
この町の取り組みは、人口減等による実施困難な状況から、他の地区からの支援を経つつ、実施団体を再構成するというソフトランディングを図った好例である。また、町は行事の実施主体は地元であることを忘れず、地元に対して最善を尽くしたことがわかる好例でもある。
一方、町は綱打ちの伝承が途絶えることはあってはならないが、万が一、伝承が一時途絶えた際には行事が復元できるよう様々な調査・記録にも取り組んだ。映像記録の作成はもとより、等覚寺の松会の研究者により綱の編み方などの技術継承の記録、古文書調査などを実施した。
また、綱打ちを含む等覚寺の松会の現状を憂慮した九州歴史資料館が等覚寺の松会のみならず、等覚寺にまつわる遺物、美術工芸品、山岳信仰なども含めた総合調査を町と共に実施した。その結果は、『彦山六峰・等覚寺の山岳信仰の研究-豊前等覚寺の山岳霊場・信仰遺跡現地調査報告書』としてまとめられ、また、『「等覚寺の松会」国重要無形民俗文化財指定20周年記念 九州歴史資料館・苅田町教育委員会共同開催特別展「等覚寺の山岳信仰と松会」』も開催された。
このように、綱打ちの技術のみならず、等覚寺の松会の歴史や文化財的価値などを町内外に広く発信することは、等覚寺の松会や綱打ちに携わる関係者にとって心強いものであったと思われる。
「綱打ち」の伝承のための課題
前述のとおり、綱打ちを含めた等覚寺の松会が伝承されている地域は過疎化が進んでおり、今後も担い手の減少の問題に直面する恐れがある。このため町はボランティアにもより関わってもらえるよう、また、町役場の中でも文化財だけの問題に捉えられないように日々汗をかいている。
また、今回の事案は、文化財を保護に携わった者として、行事の背景まで考える必要があることを考えさせられた。指定に向けた調査では準備などの背景についても記録するが、指定する際は実施日だけにしか焦点が当てられないことが多い。このため、文化財として保護すべきは実施日の行事のみという認識になり、年月を経るにつれて背景は意識されなくなったのではないかと考えている。今後、無形民俗文化財の指定に際しては、背景に文化財的なものが残されていないか確認し、保護すべきものか否か等適切な対応を図る必要がある。
最後に、令和2年(2020)は新型コロナウィルス感染症により、等覚寺の松会のみならず、多くの祭り・行事が延期や中止の決定をした。私たちがこれまで経験したことがない状況になっている。こうした状況だからこそ、行政や地元、関係者などは情報を共有し、さらなる伝承への取り組みを考える必要があるだろう。
謝辞
本稿の執筆にあたり、苅田町教育委員会生涯学習課 若杦善満氏より多くの御支援をいただきました。厚くお礼申し上げます。
- 参考文献
- 岡寺 良(編) 2020 『彦山六峰・等覚寺の山岳信仰の研究-豊前等覚寺の山岳霊場・信仰遺跡現地調査報告書』九州歴史資料館
- 苅田町・苅田町教育委員会 1993 『等覚寺の松会-一千年の伝統を紡ぐ-』苅田町・苅田町教育委員会
- 苅田町教育委員会 1996 『等覚寺修験道遺跡調査概報 苅田町文化財調査報告書第27集』苅田町教育委員会
- 苅田町教育委員会(編) 2020 『平成29年度 苅田町文化財事業年報 まちの歴史4』苅田町教育委員会
- 苅田町教育委員会(編) 2020 『平成30年度 苅田町文化財事業年報 まちの歴史5』苅田町教育委員会
- 九州歴史資料館・苅田町教育委員会(編)2018 『等覚寺の山岳信仰と松会』苅田町教育委員会
- 等覚寺の松会保存会 1977 『等覚寺の松会 無形民俗文化財記録調査報告書』等覚寺の松会保存会
- 若杦善満 2013 「綱打ち」『京築のまつり』上毛町教育委員会
公開日:2020年10月9日