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考古学

日本の調査者から見たアコリス遺跡

水戸部 秀樹 / HIDEKI MITOBE

公益財団法人山形県埋蔵文化財センター 総務主査

2005年以来、12回ほどアコリス遺跡の調査に参加させていただいた。日本で発掘調査を行っているだけでは決して経験できないことが多くあった。私にとってかけがえのない財産となっている。

海外調査へのあこがれ

発掘調査を生業とする者の目の前に、エジプトでの発掘調査に加われるというチャンスが訪れたらどうだろう。興味を示さない方もいるだろうが、私の場合は一も二もなく飛びついた。なんと職場あてにアコリス遺跡調査への協力依頼が届いたのだ。実を言うと私は長年待ち焦がれていたのだ。

 

テレビ番組や映画の影響もあり、高校生の頃から海外での発掘調査へのあこがれを抱いていた。エジプトや南米の遺跡を扱った書籍やテレビ番組などを見ては、自分もいつかは調査・研究に加わりたいと思っていた。しかし、何とか進学した大学には、海外での調査に参加できるような環境はなかった。下調べがおろそかだった。多額の進学費用を納めてもらった後に、己の身勝手で受験をやり直すことなどできようもない。今は考古学の勉強を進め、調査の技術を磨き、いつか訪れるかも知れないチャンスを待つほかないと決心した。それから13年後、ついにそのチャンスが巡って来たのである。

驚きのアコリス遺跡

アコリス遺跡のあるテヘネ村に訪れる前に視察したギザの三大ピラミッドの大きさには十分驚いた。しかしエジプトの遺跡でエジプトらしいものを見ても心の底から驚くことはないだろう。エジプトらしさに納得するだけである。そのような神殿や埋葬施設、出土遺物は無数にある。ところが、自分の中にある調査経験と比較できるものを見たときは話が違う。

 

特に驚いたものを三つ挙げるとすれば、建物が地上に露出し、しかも重層的であること、莫大な土器類の出土量、有機質遺物の状態の良さ、だと私は思う。

写真1 崩れかけた建物群 撮影:著者

写真2 遺跡北半部とテヘネ村、ナイル川 撮影:著者

アコリス調査団の宿舎から南東に広がる日乾レンガの建物群(写真1)がそびえ立つ様相は圧巻である。その広さはおよそ東京ドーム3つ分である(写真2)。表層にはローマ時代からコプト時代の建物があり、下層の遺構は末期王朝時代までさかのぼる。コプト時代は日本の古墳時代頃に相当する。その時代の建物が今まさに目の前で朽ち果てようとしている様は、何とも言えない侘しさを感じる。

写真3 建物群に覆いかぶさる土器片 撮影:著者

崩れた建物の上にさらに建物がたち、その建物も崩れかけ、その上と周囲一面に日乾し煉瓦と土器片が散乱する。もう一つ驚くべきことは、その土器片の量である(写真3)。建物群全体に覆いかぶさるように散らばり、遺跡内を移動するにあたってはこれらを踏みつけにするほかない。どのような暮らしを送れば、これほど多くの土器を消費できるのかと首をかしげてしまう。目立つのはアンフォラと呼ばれるワインやオイルなどを輸送・保管したと考えられている壺の破片である。ワインを愛飲することは、私とかつてこの遺跡で暮らした人々との共通項である。アンフォラの破片を手に取り、遺跡の中で感慨にふけることもしばしばであった。

写真4 出土した子供のミイラ 撮影:著者

ミイラ(写真4)、布片、骨、木片、革製品など諸々の有機質遺物が乾ききった状態で数多く出土する。頭蓋骨のなかには脳が残っていたり、骨には肉・皮・腱などが付いた状態で出土したりすることもあった。日本であれば低湿地遺跡でなければ、めったに出土しない遺物である。多種多様な出土遺物は当時の暮らしを鮮やかに浮かび上がらせる一助となろう。

日本での調査への応用

写真5 押出遺跡の盛土。先に検出した盛土を掘り下げたところ、もう一つの盛土が現れた。 提供:公益財団法人山形県埋蔵文化財センター

いろいろあるが、押出遺跡という縄文時代前期の低湿地遺跡での調査事例を紹介したい。この遺跡では多数のマウンド状の盛土(大きさ:3~14m程度)が見つかっていた(写真5)。私が担当する前の調査では、それぞれの盛土どうしは切り合い※1時間的な前後関係をもち、同時には使われていなかったという見解だった。しかも平地式住居の土台になるという。平面図だけを見て解釈するとこのような考えに至るのだろう。しかしアコリス遺跡の建物群が重層的に積み重なっている様相を思い浮かべると、違っていることに気付いた。盛土は撤去されずに部分的に重複して積み重なるのである。よって数多く築かれた盛土は、最終的には広大な埋め立て地を形成したという結論に至った(水戸部2019)。

調査団のなかで

団長の川西先生はじめ、団員のみなさんから多くのことを教わり、また強く刺激を受けている。私は主に遺跡での図面作成や出土土器の実測図作成などを行っている。日本で考古学を勉強したものにとっては、土器が一番扱いやすいと思う。実測図の描き方も観察の仕方もおよそ須恵器と変わらない。なんとか出土土器の分類と編年に道筋をつけたいと、もがいている最中である。

 

九州大学の堀先生らは遺跡の調査に3D測量を導入して大きな成果を上げている。なるほどと横目に見ていたが、今では私も遺跡の調査では全面的に3D測量を使用するようになった。

日本とエジプト

日本の考古学者であれば歴史的に関係の深い東アジア地域での調査に関心を持つことが多いだろう。自身の研究に直接的に役立てることが期待できる。しかしエジプトの場合、それはない。ところが先に触れたように、これまで経験してこなかった、見てこなかった、思いもよらなかったものを見聞し、日本での調査に応用することもできた。海外への渡航は純粋に楽しく、見聞も広まる。調査に参加し、現地の作業員や村人と触れ合いながら、今と昔のエジプトへの理解を深めていくことができる貴重な機会だ。次の渡航はいつになるか分からないが、待ち遠しく思っている。

(注)
※1 「切り合い」とは考古学で用いられる用語で、後からつくられた遺構が、先にあった遺構を破壊した状態で両者が重複している状態を指す。

 

(参考文献)
水戸部秀樹 『縄文漆工芸のアトリエ 押出遺跡』(シリーズ遺跡を学ぶ133) 新泉社 2019年

 

水戸部 秀樹みとべ ひでき公益財団法人山形県埋蔵文化財センター 総務主査

1974年、山形県生まれ。東洋大学文学部史学科国史専攻卒業。2005年から12回ほどアコリス遺跡の調査に参加。著書に『縄文漆工芸のアトリエ 押出遺跡』(新泉社、2019)。