考古学
みんなの考古学
映画「掘る女 縄文人の落とし物」/ ©︎ぴけプロダクション2022
掘る女
「掘る女」という映画の考古学監修の仕事を、監督の松本貴子さんの依頼ですることになった。去る2022年夏にロードショーとなったので、すでにご覧頂いた方がいらっしゃるかもしれない。
映画は、若手・中堅・ベテランという3人の女性考古学研究者の眼差しを、縄文遺跡の発掘という考古学営為を通して描いたヒューマンドキュメンタリーである。じつはこの映画には、その3人の女性以外に、影の主役たちが無数に登場する。日本の発掘調査を足元から支える地域のオバちゃんやオジちゃんなど、いわゆる作業員さんたちである。
この映画は北海道から九州まで国内各地で上映され、じんわりと好評を博しているようだ。うれしい限りだが、私も監修した立場から映画のアフタートークに呼ばれることがある。上映がスタートすると「ある、ある」みたいな共感の空気が会場を包んでいることに気付かされる。あとで聞くと、やはり作業員さんたちが大勢で観に来てくれているのである。
カメラは、炎天下で汗を拭いながら土器のカケラすら出ない場所をひたすら掘る人、希少なランプとされる釣手土器を慎重に住居跡から取り上げる人、後に国宝となる合掌土偶というお宝を移植ゴテで当てた人など、様々な人間模様を追う。それが観ている側のひとりひとりの発掘体験とリンクして、共感を呼んでいるようなのだ。
発掘大国日本
遺跡のことを行政用語で埋蔵文化財と呼ぶ。お役所っぽい響きであまり好きではない呼び方だが、その埋蔵文化財にかかわる統計が毎年文化庁から公表されている。
2021・22年度の最新統計によると、国内には5,495名の埋蔵文化財専門職員がおり(民間は除く)、81,544件の発掘届によって発掘調査が進められ(うち8,042件が工事に伴う発掘調査)、615億5,594万円の費用が投じられているという※1。世界でも突出した人員と予算によって遺跡調査がなされる発掘大国が、日本であるのだ。ある意味「発掘産業」といってもいいかもしれない。
もちろん遺跡発掘は専門職員のみで進められるものではない。映画に出てくる神奈川県稲荷木遺跡は、4年にわたり毎日100名、ときに200名にもおよぶ作業員さんたちが調査に従事するという巨大な発掘現場であった。億単位の巨額予算が投入されていることは想像に難くない。
国内で5,000名を超す専門職員がいるなら、その背後に何10万という市井の人々が発掘をささえているのは明らかだ。もちろん賃金も出て、土いじりが好きならこの上ないバイトということになる。また、元気な高齢者の働き場所の確保も含め、それなりの地域雇用を支えているということもできる。
1990年長野県川原田遺跡の発掘調査。地元の作業員さんたちが進める縄文住居の精査。筆者の担当したもっとも思い出深い現場のひとつだ。累々と横たわる縄文土器は、発掘から9年後の1999年に国重要文化財に指定され、現在は浅間縄文ミュージアムに展示されている(撮影:筆者)
そもそもフィールドサイエンスは、研究室や実験室の中に閉じこもるインドアサイエンスに比べると、「みんなの学問」といえる。iPS細胞ファンは少ないかもしれないが、土偶ファンはうじゃうじゃいる。裾野が広いのだ。
彗星の発見(天文学)、恐竜化石の発見(地学)、新種の昆虫(生物学)などの発見にまじって、幅広いアマチュアの活躍の場が残されているのも、考古学という学問の大きな魅力である。
アウトリーチとアカウンタビリティ
600億超といわれる緊急発掘費用は、文化財保護法による原因者負担の原則によって、工事主体者が発掘費用を負担する。公共事業に伴う発掘調査には当然、血税が投じられる。また民間だと開発サイドが発掘調査費用を負担することになる。
発掘で大規模な予算がかかり、工事が遅れたという開発サイドのクレームはしょっちゅうで、裁判沙汰になるケースさえある。
近年、学問研究においてアウトリーチ、すなわち市民へのわかりやすい情報発信や成果の社会的還元が重要視されるが、血税や民間経費が直接投入される考古学にあってはむしろそれは、アカウンタビリティ(説明責任)と認識すべきであろう。
今、注目されているパブリックアーケオロジーは、適切な日本語訳がなく、単に公共考古学という以上に様々な意味があるようだが、当然”市民のため”という含意もある。考古学的成果の市民向けの発信は、パブリックアーケオロジーの一端をも担っている。
私自身、38年間信州の地方文化財行政に身を置き、いわば野にあって、市民や開発者との対面が大学人などアカデミー関係者より密接な分、このアカウンタビリティ(説明責任)を意識し、自らの行動について考えつづけて来た。
後半の20年間、立案から建設、設営にかかわった「浅間縄文ミュージアム」という博物館は、市民と考古学をつなぐ格好の装置だった。考古講演会やシンポジウム、コンサート、縄文土器撮影会、インスタフォトコンテスト、子供向けワークショップ、考古ツーリズムやジオツーリズムなど、あらゆるものを試み、博物館の可能性を探った。
(株)アマナイメージズの専属カメラマンによる縄文土器撮影講座。スマホで簡単に美しく縄文土器を撮るコツを学んだ(撮影:筆者)
被写体は川原田遺跡(前出)出土の国重文 焼町土器。 左/受講前の撮影画像、右/進化した受講後の撮影画像(撮影:筆者)
こどもホネ・ホネ教室 実際の縄文人骨をさわったり、標本で部位を確かめたりした。講師は形質人類学者の茂原信生京都大学名誉教授。子供たちが、身体の中での骨の役割を知ったり、観察眼を養う機会になればと実施した(撮影:筆者)
冒頭に述べたように「掘る女」というドキュメンタリーの影響力の大きさには驚いたが、映画という手段は、われわれ考古サイドから簡単にアプローチできるものではない。しかし、近年増加しているように、YouTubeなど動画投稿サイトを通じた映像展開は、身近で有効な手段だと思う。
考古学でメシを喰う若者の減少
それにしても600億の予算が投じられる日本の発掘事情にあって、今日危機的な状況が生じている。それは、考古学でメシを喰う若者の極端な減少である。2020年まで私自身は、東京大学の考古学専修過程で、非常勤講師として旧石器研究の授業を毎週1回、5年間にわたり行ってきた。しかし残念ながら、学生はほぼ考古学関係の就職には進まず、一般就職していた。話しを聞くと、外資系企業に就職した22歳の男子は、初任給が1,000万超えだといい、私が定年までに到達すらしなかった額面で、言葉が出なかった。もちろんこれは、コロナ前の就職絶頂期の話しではあるのだが。
年収はともかく、考古学就職希望がないのが東大だけの特殊事情かというと、そうではなさそうである。先日、某県の埋蔵文化財センターの採用試験が行われたところ1人の学生しか現れなかったという話しも聞いた。
ほんともったいない。
日本中あちこちで発掘が進行するなか、学生は引く手あまたで、超有利な売り手市場であるといえる。過大な給与さえ求めなければ、比較的安定した公務員などとして「好きな考古学でメシが喰える」のである。
ではなぜ、学生が考古学の仕事につかないのか。それは多くの学生の考古学経験のなさ、知識の未熟さに起因するところが少なからずあると考えられる。学生時代に発掘調査や遺物整理などのノウハウが身につかなかったため、自分には無理と端からあきらめている学生が実際に何人かいた。
大学の4年間、もしくは専攻に振分けられてからの後半2年間で、ふつうに授業を受けているだけでは、およそ学問は身につかない。回顧譚を語っても仕方ないが、かつて学生は現場に入りびたって現場担当者から直接指導を受け、考古学のノウハウを覚えた。大学より現場にいた日々のほうが多かったくらいの人間がザラにいた。寝ても覚めても考古学の議論を交わすような熱気があったのは事実である。
しかし、安定雇用契約などの難しさからか発掘現場への学生の出入りは実際なくなっているし、大学の考古学実習だけでは野外考古学は覚えきれない。研究室は5時で閉まるところもあり、さらにコロナ禍という制約までついた。学ぼうにも厳しい環境が、学生の足かせとなっている。
こうした状況に手をこまねいているのが私自身ももどかしく、数年前、「パレオ・ラブ」という組織を立ち上げた。繁盛している自然科学分析会社、株式会社パレオ・ラボのもじりだが、同社には名称のユーモアを快諾いただいたばかりか、学生の援助までいただいている。
パレオ・ラブでは、黒曜石原産地調査や石器製作ワークショップ、年代測定のオンライン講座などを実施し、大学の垣根を越え、学生の育成を試み、現在までに50名以上の専攻生の参加がある。予算のかからないweb論集「パレオ・パースペクティブ」を現在2号まで発行し、学生に論文執筆のプラクティスの場を提供している※2。
パレオ・ラブの活動の様子。星糞峠黒曜石採掘坑を見学。採掘坑の凹みは写真ではわかりにくいが、人が並ぶことで中央の凹みがわかる(撮影:筆者)
星糞峠直下にある明治大学黒耀石研究センターでの石器製作ワークショップ。講師は石器づくりではトップクラスの技量をもつ東北大学大学院の金彦中さん。(撮影:筆者)
あわせて、「八ヶ岳あおば旧石器文化賞」という学生賞を立上げ、さきの自然科学系や考古系企業の協賛もはかって賞金を出し、優れた学生の顕彰にも力を入れている。
生涯を通じ、考古学を学ぶ学生が、ひとりでも多く育つことを願うばかりである。
考古学によるシビックプライド醸成
近年、どこの地方都市に行っても、大規模なショッピングモール・大型家電量販店・ホームセンター・牛丼チェーンなどがセット展開し、月並みな言葉だが、きんたろう飴的景観を呈し、本来の土地土地がもつ独自な地方景観が大幅に減少していることに不安を覚える。
失われゆく大地の記憶、すなわち地域の歴史や文化遺産を掘り起こす考古学は、地域の風土の中でかつて形成されてきたコミュニティを呼び戻す大きな可能性を秘めている。あわせて、遺跡の存在性は、シビックプライド醸成に大きな役割を果たすものと思う。
シビックプライドとは、本来はイギリスの概念で、日本の「郷土愛」的なニュアンスとは異なり、地域やコミュニティ、その風土に対する市民のアイデンティティや誇りを意味する。シビックプライドが遺跡を通じて醸成されてくるなら、今日的でいかにも平板な風景にも、深い彩りが添えられるようになるだろう。
遺跡は誰のものか、こう問いかけるなら、考古学者だけのものではなく、みんなのもの、つまりは人類共有の財産ということになろう。
明治大学の学長を務めた考古学者の故 戸沢充則は「市民のための考古学」を標榜し、実践したが、むしろ見方を変えれば、考古学こそが市民に支えられて生きているのではないかと思う。
市民とともに歩み続ける”みんなの考古学”に、どのような可能性が残されているのか、問い続ける日々ではある。
伊勢堂岱遺跡(北秋田市)のジュニア・ボランティアによる博物館解説。解説することで学びが深まり、遺跡への愛も育まれると思う(写真提供:伊勢堂岱縄文館)
※1文化庁HP埋蔵文化財より『埋蔵文化財関係統計資料』(令和5年3月) https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/pdf/93861801_01.pdf
※2パレオ・パースペクティブ「旧石器時代研究への視座 No.2」全国遺跡報告総覧 https://sitereports.nabunken.go.jp/86546
▼編集部より:筆者の図書販売サイトをリンクしています
公開日:2023年5月18日