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動向

高松塚古墳壁画発見50年〜有識者会議は“壁画の番人”足り得るのか〜(2)

柳澤 伊佐男 / Isao Yanagisawa

NHK放送文化研究所 メディア研究部 研究プロデューサー

劣化が進んだ「白虎」像(2011年撮影 提供:文化庁)

50年前に発見された国宝・高松塚古墳の壁画の保存・活用の在り方について、文化庁の有識者会議での議論から考えるシリーズ。2回目は、カビの発生や壁画の劣化が突如として明らかになり、壁画を修復するため、石室を解体して古墳から取り出すまでの動きについて検証する。

突然の「カビ発生」の発表

「高松塚古墳の石室にカビ」。メディア各社が高松塚古墳のカビ被害を報じたのは、壁画の発見から31年になろうとする2003年3月13日だった。各社の報道を総合すると、▼2001年9月の点検で東壁の「女子群像」の下と「青龍」の左下、西壁の「白虎」の下部の3か所に白カビや青カビを発見、処置した。▼カビは翌春の点検で“おさまった”ことを確認したものの、翌年(2002年)10月の点検で「黒カビ」が数か所確認された。▼このため、(従来の)保存管理の方法を見直すことにし、3月18日に検討会を開催、対策を協議することにした、という内容になる。記事の中には、「01年に土の崩落を防ぐために天井付近(注・「取合部とりあいぶ」という)の強化工事をしたところ、カビが発生し始めた」と工事とカビとの関係に触れたものがある。その一方、「いまのところ絵が描かれた部分にカビの被害はない」とした記事もあった。それまでの壁画の状態は、「今も鮮やか」(『朝日新聞』1997年3月)、「はく落や変色などはなく、良好」(『読売新聞』2002年3月)と伝えられていたことからすると、短期間に劇的な変化が起こったことになり、かなり不自然な感じがする。この時の発表について、「あまりにも唐突な印象」を持った記者もいた1)

「緊急保存対策」の検討

文化庁の発表通り、同年3月18日、「国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会(以下、緊急保存対策検討会)」が設置される。壁画の保存管理について検討する文化庁の有識者会議が開催されたのは、1976年8月の「高松塚古墳保存対策調査会・壁画修復部会」以来、実に27年ぶりだった。

西壁「女子群像」下の汚れ(カビ被害)(2002年10月撮影 提供:文化庁)

検討会は、現地視察や3回の審議ののち、6月26日に「緊急保存対策」を取りまとめる。その内容は、(1)墳丘上全体を防水断熱シートで覆い、降雨による雨水の浸透を防ぐ、(2)墳丘の北側・東側に排水溝を設置し、墳丘部への雨水の直接の流入を防ぐ、など6項目にわたった2)。そのうえで検討会は、「今後の高松塚古墳及び壁画の保存管理の方法について、抜本的に検討することが必要」と文化庁に提言した。検討会が示した方針に基づき、同年7月からカビの被害を抑える対策が行われる。

 

「恒久保存対策検討会」発足

古墳と壁画の保存管理について、“抜本的に検討することが必要”という提言を受け、翌年(2004年)、「国宝高松塚古墳恒久保存対策検討会(以下、恒久保存対策検討会)」が設置される。6月4日に初会合が開かれ、壁画を“恒久保存”するための整備計画、保存修復計画、管理体制の在り方の3点を主な検討事項とすることが確認された。この検討会設置のきっかけとなった「平成のカビ」の20年あまり前(1980年頃)にもカビの大量発生が起きているのだが、この時点でそうした記述はみられない。むしろ、壁画の状態は、「発見以来行われてきた保存措置によって約30年の間安定した状態で推移した」(緊急保存対策検討会の「報告」2) )などとされた。同様の記述は、壁画の発見30周年を記念して同年6月に刊行された写真集『国宝 高松塚古墳壁画』にもみられる。文化庁長官の「序言」には、「幸い、30年を経ても壁画は大きな損傷あるいは褪色もなく保存」などと記されていた。

 

高松塚古墳壁画の主な経緯②(文化庁資料等を基に作成)

2001(平成13)年2月

取合部の崩落止め工事 カビ対策が不十分であったため,取合部石室内に大量のカビが発生

2002(平成14)年1月

生物被害に対応していた作業者による壁画の損傷事故

2003(平成15)年3月

国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会 設置

2004(平成16)年6月

国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会  設置

写真集『国宝高松塚古墳壁画』(文化庁監修)刊行

西壁「白虎」劣化報道

2005(平成17)年6月

「恒久保存方針」を決定(墳丘から石室石材ごと壁画を取り出し修理、将来的にはカビ等の影響を受けない環境を確保した上で現地に戻す」(第4回 恒久保存対策検討会)

2006(平成18)年4月

「壁画損傷事故」「取合部工事で不適切なカビ対策」報道

高松塚古墳取合部天井の崩落止め工事及び石室西壁の損傷事故に関する調査委員会(事故調)設置

         6月

事故調の「報告書」刊行

2007(平成19)年3月

壁画仮設修理施設  設置

        4月〜8月

石室解体、壁画の取り出し

2008(平成20)年2月

次年度から高松塚・キトラ両古墳の保存対策、高松塚古墳壁画の劣化原因調査の検討会を設置へ(第11回 恒久保存対策検討委員会)

朝日新聞のスクープ

この写真集の刊行がきっかけとなって、壁画の劣化という“衝撃の事実”が明らかになる。検討会の初会合から2週間たった6月20日、朝日新聞が壁画に関するスクープを放つ。朝刊の1面に「消える白虎 高松塚壁画30年で劣化・退色 殺菌剤など影響?」の見出しとともに、「西壁の白虎が32年前の発見時の状態から激しく劣化し、消えかかっている部分もあることがわかった」という記事が掲載された(大阪本社版)。写真集に使われた壁画の高精細画像と発見当時の写真と比較した結果、石室の西壁に絵かがれた「白虎」像の描線がぼやけ、退色や変色が進んでいたことがわかり、こうした壁画の劣化を文化庁が認めたという内容だった。

「白虎」の劣化状況 (文化庁文化財部古墳壁画室(2008)「高松塚古墳壁画の状態変化について」 高松塚古墳壁画劣化原因調査検討会(第2回)資料より https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/takamatsu_kitora/rekkachosa/02/pdf/150131_shiryo.pdf)

「劣化」の詳細公表

このスクープが、壁画の保存をめぐる議論に大きな影響を与える。8月10日に開かれた第2回恒久保存対策検討会で、文化庁が「高松塚古墳壁画の保存方針の再検討について」という文章を提出する3)。それまでの壁画の保存管理方法を大幅に見直すというもので、その理由として、「今回の(写真集の)出版を機に壁画の劣化に関連して、各専門分野の方々から、壁画の保存方針について様々な意見が出されている」ことや、「当初の方針を決めてから30年余りが経過しており、この間、科学技術や学術研究成果も進展している」、「カビによる壁画への影響を極力抑えるために、壁画発見以来尽力してきたところであるが、これまでに抜本的な対策を見いだすには至っていない」ことを挙げた。保存方針の見直しについては、壁画の現地保存、別施設での保存を問わず「あらゆる保存方針の可能性について検討する」ことになった。

 

さらにこの日の会議では、文化庁の調査官が、「白虎」について、描線の薄れに加え、口元の赤色の退色や表面が汚れたり、荒れたりしていること、飛鳥美人として知られる「女子群像」や「男子群像」の描線(輪郭線)が薄くなっていること、さらに壁面の剥落なども起きていたことを明らかにした。文化庁が壁画の劣化を公式に明らかにしたのは、この時が初めてだった。また、1980年代にもカビの大量発生が起きていたことも明らかにされた。この場で文化庁次長は「壁画がどんな状態になっているのか国民に十分知らせず、説明責任を十分に果たしてこなかった」と陳謝した。長年、文化庁に籍を置き、壁画の保存にかかわってきた検討会の座長も「カビやしっくいの崩落の対応に追われ、壁画の汚れや退色が深刻になっている事態を公表しないまま来てしまった。私の責任が大きいと痛感している」と述べたという4)。壁画の非公開を貫く一方で、劣化という“最悪の事態”を招いた文化庁の対応に問題があったのは明らかだが、振り返ってみれば、70年代半ばに「保存施設」が完成した後も有識者会議が定期的に開催され、多少なりとも壁画の状況が報告されていれば、こうした事態にはならなかったような気がしてならない。

「石室解体、古墳外で修理」決定

保存方針の「あらゆる可能性について検討」することになった検討会は、作業部会を設け、翌年(2005年)5月11日の3回目の会議で以下の案を示す。

▼第1案 施設・機器更新を行い、現状で保存、▼第2案 墳丘ごと保存環境を管理、①覆屋のみを設置し管理、 ②墳丘を地盤から隔絶し管理、▼第3案 石室のみ保存環境を管理、①墳丘の外観を残し地盤から隔絶して管理(パイプルーフ工法)、 ②墳丘を解体し地盤から隔絶して管理(オープンカット工法)▼第4案 石室を取り出し修理、▼第5案 壁画を取り外し、保存施設で管理、というものだった。

 

検討会の「議事要旨」を見ると、「発見当時まで石室内の環境を戻すことが可能であれば、石室を取り出すことをしないで対策を行うことができたかもしれないが、現在の状況を勘案すれば、第4案しかとり得る対策はないのではないか」などと、石室解体、外部で修復という案を支持する声が多い、その一方、「石室の取り外しによる解体修理については 現状の中では仕方がないと思う、但し、説明と責任をきっちりと行った上で議論を進めていただきたい」という意見や「壁画と史跡の双方の保存をいかに両立させるかが課題であると思う」といった意見も見られた。こうした議論ののち、同年6月27日の4回目の検討会で、第4案の石室解体案が「恒久保存方針」として了承される。この「恒久保存方針」には「将来的には,カビ等の影響を受けない環境を確保し,現地に戻す」という文言も盛り込まれた5)

「壁画損傷事故」・「取合部工事の不適切なカビ対策」のスクープ

方針が決まり、壁画の修復に向けた準備が進む中、新たな“衝撃の事実”が報道によってもたらされる。2006年4月12日、NHKが朝のニュースで「石室内で作業をしていた担当者が誤って国宝の壁画に傷をつけたにもかかわらず、文化庁は事実を公表せず、関係者だけで補修をしていた」と伝えた。この報道を受けて文化庁は急遽、記者会見を開催、当時の美術学芸課長が「国民の大切な壁画を損傷させてしまって申し訳なく思う」と謝罪し、事故に関する調査会の設置を明らかにした。損傷事故が起きたのは2002年1月の点検作業時で、報道で明らかになるまでの4年間、こうした情報が一切公になっていなかった。

壁画の損傷状況(高松塚古墳壁画劣化原因調査検討会(第2回)資料より https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/takamatsu_kitora/rekkachosa/02/pdf/150131_shiryo.pdf)

このニュースだけでも衝撃的だが、翌朝の『朝日新聞』の報道が“追い打ち”をかける。2001年2月に石室の「取合部」の工事を行った際、文化庁のマニュアルに反して防護服を着ないまま作業を行い、この作業がもとでカビの大量発生が起きたのではないかという内容だった。いずれの事案も検討会等での報告はなく、メディア各社は「変わらぬ隠ぺい体質」「文化庁に任せられるか」などと痛烈に批判した。

第三者による「事故調」発足

検討会の座長は、事故当時、東京文化財研究所(東文研)の所長で、担当者から報告を受けていたが、損傷個所の修復をしたことを含め、一連の経緯を明らかしていなかった。こうした問題の責任を取るかたちで座長は辞意を表明する。検討会座長の辞任と歩調を合わせるかのように4月25日、「高松塚古墳取合部天井の崩落止め工事及び石室西壁の損傷事故に関する調査委員会」(以下、事故調)が発足する。メンバーはアジア文化研究、考古学、文化政策、カビ・微生物、マスコミ出身者の5人で、いずれも外部からの“第三者”で構成された。事故調は、損傷事故の経緯やカビの被害などを記載していた「点検日誌」の調査、関係者のヒアリングなどを行い、同年6月19日に「調査報告書」をまとめる。報告書では、問題点として、①組織体制(文化庁内部の所管課間、文化庁と外部の研究所、専門家間などに様々な形で縦割りの構造やセクショナリズムが存在し、このことが、組織としての意思疎通を阻害すると同時に、適宜に情報を適切かつ総合的に判断する仕組みを欠き、かつ全体のコーディネート機能が作動しないことにつながった)、②情報公開と説明責任(現地で石室を密閉したまま保存することによる公開上の制約はあったにせよ、組織としての文化庁にはありのままの高松塚の状況を広くかつ正しくオープンにする姿勢に欠けていた)の2点をあげた。そのうえで、①保存・管理体制の抜本的見直し、②文化庁自ら管理する文化財の内部規定の明確化、③保存修理マニュアルの明確化、④情報公開・説明責任に関する意識の涵養と徹底、等を求めた6)

 

報告書の提出に合わせて開かれた記者会見で、文部科学省は、当時の担当者4人の処分を発表。文部科学大臣や文化庁長官も監督責任を取るとして給与の一部を自主返納することを明らかにした。

壁画の取り出し(2007年5月撮影 提供:奈良文化財研究所)

検討委の“再出発”

事故調が報告書をまとめた後、6月29日、恒久保存対策検討会の6回目の会合が開かれる。23人の委員のうち、座長を含めた8人が新任で、事実上の“再出発”の会となったが、石室を解体して壁画を修復する方針に変更がないことを確認した。このあと検討会は翌年(2007年)4月〜8月にかけての石室の解体、壁画の取り出しを挟んで2008年2月まで開催された。この間、行政の縦割りの弊害を解消するためとして2007年10月、文化庁に「古墳壁画室」が設置される。2008年2月25日の会議では、古墳近くの施設に運び込んだ壁画の状態について報告が行われたほか、検討会の今後の方向性などについて協議した。そのうえで、新年度から高松塚古墳とキトラ古墳双方の保存対策について検討を行う検討会(有識者会議)を設置すること、高松塚古墳の壁画の劣化原因を調査する検討の場を合わせて設けることが事務局から報告された。カビの大量発生を契機に壁画の「恒久保存対策」を検討してきた有識者会議は、この日で役目を終える。

  • 1)大脇和明(2022)『白虎消失 高松塚壁画劣化の真相』新泉社 p. 100
  • 2) 国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会(2003)「国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策について」(https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/takamatsu_kitora/takamatsukento/01/sanko.html)
  • 3) 文化庁(2004)「高松塚古墳壁画の保存方針の再検討について」国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会(第2回)資料3(https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/takamatsu_kitora/takamatsukento/02/shiryo_3.html)
  • 4)『朝日新聞』2004年8月11日
  • 5) 文化庁(2004)「国宝高松塚古墳壁画の恒久保存方針等について」(https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/takamatsu_kitora/kokyu/gaiyo.html)
  • 6) 高松塚古墳取合部天井の崩落止め工事及び石室西壁の損傷事故に関する調査委員会(2006)「高松塚古墳取合部天井の崩落止め工事及び石室西壁の損傷事故に関する調査報告書」(https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/takamatsu_kitora/takamatsuchosa/pdf/chousa_houkokusho.pdf)

公開日:2022年7月4日

柳澤 伊佐男やなぎさわ いさおNHK放送文化研究所 メディア研究部 研究プロデューサー

1963年埼玉県生まれ 1987年NHK入局 佐賀・福岡・東京(報道局科学文化部)・京都・鹿児島・奈良の各放送局に勤務、2012年NHK解説委員室解説委員(文化・文化財担当)、2015年長野放送局 放送部長を経て、2018年6月より現職。
高松塚古墳の本格的な取材は2007年から、現在、文化庁の「古墳壁画の保存活用に関する検討会」委員(2015〜)

【主要文献、論考等】
『明治日本の産業革命遺産』(ワニブックス[PLUS]新書、2015)、文化財「活用」のすがた①~③(「文化遺産の世界」ウェブサイト2019)、世界文化遺産になった秋田県の縄文遺跡を訪ねて(前編・後編)同ウェブサイト2021)、マスコミから見た日本遺産 『遺跡学研究』16 日本遺跡学会 2019 、他