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ユネスコ水中文化遺産条約について-水中文化遺産保護における国際協力と展望

西川千尋 / CHIHIRO NISHIKAWA

ユネスコ文化局プログラム・スペシャリスト

チューク・ラグーンの沈没船(ⓒ Bill Jeffery)

国連専門機関であるユネスコは、地球上の多様な文化遺産を包括的に保護するために六つの文化条約を採択している。1972年に採択された世界遺産条約が一番知名度が高いが、中でも2001年にユネスコ総会で採択された水中文化遺産保護条約もその一つ。この条約は世界遺産条約では保護しきれない水中にある文化遺産を守ることを目的に、現在72カ国が締結している。最も代表的な水中文化遺産は、沈没船であるが、その他水没した都市遺跡、漁獲に使われた石干見(写真1)など、文化的、歴史的、考古学的な性質を有する人間の存在の全ての痕跡も含む。

 

まだ知られざる部分が多いが、人類の歴史、古代文明を解き明かす鍵を握る貴重な文化遺産として、それを保護して後世に残していくために本条約は誕生した。2021年から始まった「国連海洋科学の10年」との関連からも、水中文化遺産保護条約(以下、2001年条約)および水中文化遺産は今後ますます注目されると考える。

写真1 ミクロネシア連邦のヤップ石干見 (ⓒBill Jeffery)

条約の誕生と概要

地球の71%以上は水で覆われ、海底、湖底、川底に眠る文化遺産は数え切れない。飛行機の発明までは、船が人類の主要な運搬、渡航手段であり、15~17世紀の大航海時代には世界中の海域を行き交った。現在、海底に眠る沈没船は300万隻ともいわれる。水中の遺跡や沈没船へのアクセスは困難で、一般の目に触れる機会も少ないため水中文化遺産は自然に保護されてきた。しかし20世紀後半以降、スキューバダイビングの普及や海洋技術の発展に伴い、トレジャーハンターが横行し、また海底のパイプライン設置や石油・ガス採掘などの開発と同時に水中文化遺産が略奪、破壊されるなど、商業的取引の脅威に晒されてきた。

 

この状況を危惧して1970年代からヨーロッパを中心に水中文化遺産保護の法的規制が議論され始めた。1985年には欧州評議会で保護条約の草案が作成されたものの、最終的に意見の合意を得られず採択されることはなかった。また1982年に国連で採択された「海洋法に関する国際連合条約」(以下、国連海洋法=UNCLOS)は「考古学的および歴史的性質を有する水中の物体」の保護を義務付ける一般的な規定(第149条と第303条)を定めはしたが、水中文化遺産の具体的な保護措置や法的枠組みを構築するものではなかった。

1985年、タイタニック号が北大西洋の水深3,800メートルから発見され、その2年後には1,800個に上る遺品が回収され商業取引された。この一件は、国際社会に水中文化遺産の法的保護の欠如とその必要性を認識させる極めて重要なターニングポイントであったといえる。略奪の脅威が高まる中、水中文化遺産を法的に保護するための国際条約の作成が、国際法協会(ILA)で進められ、1994年に同条約の草案がILA第66回会議において採択。さらに1996年にはブルガリアのソフィアで開催された国際記念物遺跡会議(International Council on Monuments and Site:ICOMOS)の水中文化遺産国際委員会(ICOMOS-ICUCH)で、後に2001年条約の付随書の元となる水中文化遺産を対象とした活動・調査のための基準を設定した「憲章」が採択された。

写真2 ユネスコ総会第一会議場(ⓒUNESCO/Christelle ALIX)

その後、ILA草案がユネスコに送付され、国際条約草案の審議が開始した。1998年にユネスコで各国政府代表専門委員会が設置され、3回に渡る会合を経て最終的に2001年11月2日に水中文化遺産保護条約がユネスコ総会(写真2)で採択された。同総会の投票では、とくに国連海洋法との関連を鑑みて棄権や反対をした国があったものの、最終的には日本を含め大半の加盟国の賛同を得て採択された。2009年に20カ国の批准を経て条約は発効、締約国は72カ国にのぼる(2022年12月現在)。

 

アジア・太平洋地域では、4カ国(カンボジア、イラン、ミクロネシア連邦、ニウエ)が批准しているのみで、他の地域に比べて締約国数は断然少ない(表1)。この批准率の低さの理由として、条約への理解不足、国連海洋法との関連の不明確さ、水中文化遺産の知名度の低さ、文化遺産としての価値の認識の低さ、政治的・国家的課題としての優先度の低さ、遺産管理のための財政や資源の不足などが挙げられ、多様な要因が考えられる。

しかし近年、太平洋地域および中央アジアでは水中文化遺産に関心が高まりつつあり、オーストラリアやモンゴルをはじめ、いくつかの国では条約批准に向けた取り組みが進んでいる。2001年条約が水中文化遺産保護のために有効な手段であり、特に第二次世界大戦の戦艦が多く眠る太平洋地域では、地元コミュニティーの持続可能な経済的発展を可能とさせる潜在的な観光資源、推進力としての認識も広がりつつある。

ヨーロッパ・北アメリカ ラテン・アメリカ、カリブ海 アジア、太平 アフリカ アラブ諸国 合計
2001年条約締結国数(A 20 21 4 15 12 72
ユネスコ加盟国数(B) 50 33 44 48 18 193
条約批准率(%) (B/A) 40 63 9 31 67 37

表1 地域別締約国数とユネスコ加盟国数に対する条約批准率(出典:ユネスコ)

2001 年条約は領海内外の水中文化遺産を包括的に保護することを第一目的とし、国連海洋法を補完して、水中文化遺産の保護に関する締約国の義務を規定している。また他の国際法で決められた国の権利、管轄権及び義務を害するものではないとし(第3条)、水中文化遺産に関する所有権、管轄権に関しては規定を設けていない。その第1条では水中文化遺産を、「文化的、歴史的、または考古学的性質を有する人間の存在のすべての痕跡であり、その一部または全部が定期的あるいは継続的に少なくとも100年間水中にあった」ものと定義している。

 

具体的には「遺跡、構築物、建造物、人工物および人間の遺骸で考古学的および自然的な背景を有する物」、「船舶、航空機、その他の乗物もしくはその一部、その貨物あるいはその他の積載物で、考古学的および自然的な背景を有する物」、そして「先史学的な性格を有する物」であり、水没した考古学的資料や工芸品、遺骨、聖地、供え物などをも含む。しかし海底に設置されたパイプライン、電線、そしてそれ以外の海底に設置された施設で、現在も使用されているものは水中文化遺産とはみなされない。

 

水中文化遺産といえば一般に海を連想しがちだが、海以外の川、湖、池、沼、洞窟内の地底湖等すべての水中にある文化遺産を含む。また水中文化遺産保護のための倫理原則、保護措置、国家間の協力、水中考古学の研修義務を定め、条約の一部である附属書「水中文化遺産を対象とする活動に関する規則」には、水中考古学作業の科学的ガイドラインが規定されている。このガイドラインは、今日の水中考古学調査の世界的標準として多くの教育機関、専門家に使われ支持されている。

国際協力による水中文化遺産保護

写真3 チュニジアで開催された第1回調整委員会(ⓒUNESCO/Chihiro Nishikawa)

2001年条約では、締結国に自国領海内での水中文化遺産の保護義務を課すだけでなく、国家間の情報共有、領海を超えた海域での国際協力による水中文化遺産の保護、必要な専門家の育成のための相互支援、不正に輸出および回収された遺物の入国管理や押収・回収などの制裁措置等などの義務も定めている。さらに、領海外の排他的経済水域や大陸棚、および深海底における水中文化遺産の保護のための国際協力の枠組みも制定されている。

 

2018年には、初めてその枠組みが適応され、地中海にある「スカーキー・バンクとシチリア海峡遺跡」保護のために8カ国(アルジェリア、クロアチア、エジプト、フランス、イタリア、モロッコ、スペイン、チュニジア)による国際協力が始まった。この遺跡はイタリアとチュニジアの大陸棚に位置し、水面ぎりぎりに隠された岩礁もあるため歴史上数々の船が沈んだ広大な範囲の遺跡サイトである。2019年に8カ国の代表による第1回調整委員会(写真3)がチュニジアで開かれ、2022年8月には第1回目の現地科学調査派遣が実施された。その調査報告が、2023年6月にユネスコ本部で行われる予定である。

2021年から始まった「国連海洋科学の10年」では、水中文化遺産を含む海洋資源の研究、持続可能な開発のための国際協力が強化され、多様な取り組みが展開されている。沿岸国の主権・管轄権が及ばない水域に位置する水中文化遺産を保護するための国際協力の枠組みを定める2001年条約は、今後ますますの注目を浴びると考える。地中海のみにとどまらず、沈没船が多く眠る太平洋、インド洋やバルト海をはじめ、世界中の海洋に眠る水中文化遺産保護のためにこの条約が活用される日も近いかもしれない。

写真4 メキシコ・ユカタン州水中洞窟セノーテHuayma(ⓒ SAS-INAH/Germán Yáñez)

水中文化遺産は陸上の遺跡、遺物に比べて、酸素から遮断された水中というはるかに良好な状態で保存されるため、その研究は新たな歴史的事実の発見、解明につながることもある。2017年にメキシコ・ユカタン半島の水中洞窟セノーテ(写真4)から、アメリカ大陸最古の1万3千年前の人骨が発掘され、そのDNA検査によりアジアよりシベリア経由で人がアメリカ大陸に移動してきたことが解明された。海底の大半はまだマッピングが出来ておらず、そこにはまだ知らせざる情報がたくさん眠っている。いつか海から人類の誕生を解明する鍵が見つかるかもしれない。水中文化遺産の研究、調査、保護は今後の新たな歴史的、科学的発見、解明をもたらす可能性を秘めている。

 

日本はまだ2001年条約は締結していないが、その海岸線の長さは世界第6位で、全長約34,00キロメートルにも及ぶ。水中文化遺産の発見や研究の高いポテンシャルを持つ日本が今後、この分野で積極的な調査・保護活動を展開して行くことを期待したい。

 

 

[注]本稿は著者個人の考えであって、所属する団体のものではありません。

参考文献・資料
1. 佐々木ランディ 『水中考古学 地球最後のフロンティア』、エクスナレッジ社 2022:
2. Ballard, R.D., McCann, A.M., Yoerger D., Whitcomb L., Mindell D., Oleson J. P., Singh H., Foley B., Adams J., Piechota D., and Giangrande C. 2000: "The discovery of ancient history in the deep sea using advanced deep submergence technology", Deep-Sea Research Part I 47(9), 1591-1620.
3. Dromgoole, S. 2013: Underwater Cultural Heritage and International Law, Cambridge: Cambridge University Press.
4. UNESCO 2001: Convention on the Protection of the Underwater Cultural Heritage, UNESCO.

参考URL
1. UNESCO 2022: Nearly a fifth of world's ocean floor now mapped,
https://www.unesco.org/en/articles/nearly-fifth-worlds-ocean-floor-now-mapped (2022年12月20日閲覧)
2. UNESCO 2001: Convention on the Protection of the Underwater Cultural Heritage, https://www.unesco.org/en/legal-affairs/convention-protection-underwater-cultural-heritage#item-2 (2022年12月20日閲覧)
3. UNESCO: Protecting Underwater Cultural Heritage, https://en.unesco.org/underwater-heritage (2022年12月25日閲覧)

公開日:2023年1月23日

西川千尋にしかわ・ちひろユネスコ文化局プログラム・スペシャリスト

京都府京都市生まれ。同志社大学法学部卒業後、立命館大学国際関係研究科修士課程、レスター大学大学院修士課程Master of Arts in Heritage and Interpretation修了。1994年からユネスコ勤務。対外関係局、文化局条約業務課を経て、2018年から文化局水中文化遺産課にてプログラムスペシャリストとして主にアジア、アラブ地域の水中文化遺産保護条約の執行、訓練活動に従事。