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動向

高松塚古墳壁画発見50年〜有識者会議は“壁画の番人”足り得るのか〜(3)

柳澤 伊佐男 / Isao Yanagisawa

NHK奈良放送局 コンテンツセンター チーフ・リード

発見50年を前に壁画を報道陣に公開(2022年3月撮影 提供:橿原市政記者クラブ)

50年前に発見された国宝・高松塚古墳の壁画の保存・活用の在り方について、文化庁の有識者会議の議論から考えるシリーズ。3回目は、修復のために取り出した壁画の取り扱いや劣化原因の調査をめぐる議論について検証し、これからの有識者会議の在り方について考えてみたい。

石室解体後の初の検討会

私が本格的に高松塚古墳の取材に携わったのは、2007年8月からになる。文化財の担当記者として、それまでも古墳壁画に関する原稿を書いたことはあったが、異動に伴い、奈良県南部の取材担当となったことで、壁画の保存管理の問題と正面から向き合うこととなった。そうした問題を検討する文化庁の有識者会議を取材したのは、同年9月28日の「国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会(第9回)」が初めてだった。この日は壁画を取り出すために石室を解体した後の初めての会議ということで、作業の報告や取り出した壁画や石材をどのように修復していくかが、議論の中心になった。続く11月30日の会合(第10回)、翌2008年2月25日の会合(第11回)では、壁画が劣化した原因をどのように調査するかについて議論が行われた。委員からは「一番大事なことは,将来の保存や修復等に必要な基本資料となること」、「幅広な劣化の調査、将来を見据えた資料を収集し、分析することが重要」、「人為的な要因を含めて総合的に行うことをお願いしたい」、「発見後の30数年間において,どのように壁画が劣化していったのかという経過を明らかにする必要がある」などという意見が出た1)。また、2月の会議では、同年5月末ころに壁画の一般公開ができるよう、準備を進めていることも明らかにされた。壁画の発見から35年たって、ようやく「公開」という視点が加わることになった。

壁画の公開は2008年から続けられている(画像は2022年9月28日の地元幼稚園児への公開。筆者撮影)

キトラ古墳も含めた「壁画の保存・活用」の検討

前回のリポートでも触れたが、2008年度からの有識者会議は、高松塚古墳だけでなく、キトラ古墳の壁画の保存・活用についても扱うことになった。キトラ古墳については、高松塚古墳より先に「すべての壁画を石室からはぎとって修復する」という方針が決まり(2004年9月)、すでに作業が進められていた。会議での検討課題は、「壁画を保存するためにどうすべきか」から「取り出した壁画をどのように保存し活用すべきか」に移ったこともあり、会議の名称自体も「古墳壁画保存活用検討会(以下、保存活用検討会)」に変わった。検討会の委員は27人という“大所帯”で、考古学、美術史、保存科学、細菌学、地盤工学、メディア関係者など幅広い分野の有識者で構成された。1回目の会議は同年6月25日、東京港区にある国の施設で開かれた。この中で高松塚古墳を関しては、古墳から取り出した壁画の修復方法、公開活用の方針、修復後の保存・活用の方針のほか、古墳そのものの整備の方針などが「検討すべき課題」として示された。そのうえで、壁画の修復に10年程度かかると見込まれることや、壁画の劣化原因の調査について2年以内をめどにとりまとめることなども明らかにされた2)。この検討会は、2010年3月まで計8回開催されたが、議論の中心は、高松塚古墳というより、キトラ古墳の保存・活用に比重を置いていた。高松塚古墳は、壁画の修復を終えるまでに一定の期間がかかる一方、キトラ古墳は、公園(国営歴史公園)としての整備が進められており、はぎとった壁画の保存・管理の方針を早く決めておかなければならないという事情があったのだろう。6回目(2009年8月)の保存活用検討会では、キトラ古墳の壁画について、「当面の間、石室外の適切な施設で保存管理・公開する」という方針が了承されることになる3)。「当面の間」という“エクスキューズ”を付けたとはいえ、「壁画と古墳を一体的に整備する」というそれまでの保存管理の方針を転換するもので、検討会の判断が注目された。当日の議論では、「『現地で保存されること』が大原則」「壁画をどうするかということと、古墳の遺構をどうするかということを一体的に考えるべき」といった意見は出たが、すでに壁画を取り出していることや、現地で保存に適した環境をつくることが技術的に難しいことなどから、文化庁の方針自体に異論は出なかった。この日の検討会の判断について、「壁画を石室内に戻すことを断念」「現地保存原則、形だけの配慮」「古墳壁画保存活用検討会の判断は既定路線」などと厳しく批判したメディアもあった。古墳から取り出した壁画について、「当面の間、石室外で保存管理する」という方針は、のちに高松塚古墳にも適用されることになる。

 

高松塚古墳壁画の主な経緯③(文化庁資料等を基に作成)

2008(平成20)年5月

「古墳壁画保存活用検討会」の設置

「高松塚古墳壁画劣化原因調査検討会」の設置

2009(平成21)年10月  墳丘仮整備工事の完了
2010(平成22)年3月 『高松塚古墳壁画劣化原因調査報告書』刊行
2010(平成22)年4月 「古墳壁画の保存活用に関する検討会」の設置
2012(平成24)年10月 ※装飾古墳ワーキンググループ設置
2014(平成26)年3月 ※装飾古墳ワーキンググループ報告書 刊行

「当分の間、古墳外の適切な場所で保存管理・公開」方針決定(第15回検討会)

2015(平成27)年1月  検討会リニューアル(座長交代)
2016(平成28)年3月 「壁画の保存管理・公開施設に係る基本的方向性」(第19回検討会)
2020(令和2)年3月 「壁画の修理終了」と発表
2022(令和4)年3月  壁画発見50年

劣化原因の調査検討会

2008年度の有識者会議については、壁画の保存活用を検討する場とは別に、高松塚古墳の壁画の劣化原因を調査する「高松塚古墳壁画劣化原因調査検討会(以下、劣化原因調査検討会)」も設置された。1回目の会合は7月4日で、1か月ないし2か月に1回のペースで2010年3月までに17回開催された(最終回は保存活用検討会との合同開催)。ほとんどが都内での開催で、この時期、かなりの頻度で東京に出張した記憶がある。劣化原因調査検討会の委員は9人。このうち、座長、副座長をはじめ7人の委員は壁画の保存管理に携わってきた“関係者”ではなく、第3者的な立場の有識者が選ばれた。検討会では、①壁画の劣化に関する当時の状況把握・認識の問題、②壁画の劣化・損傷の具体的な内容、③発見時の状況、④温湿度等の環境変動、⑤地震等の石室への影響、⑥カビ等の微生物被害、⑦保存管理上の諸問題(保存施設による制御、石室内の人の出入り、漆喰の強化に用いた接着剤の影響、取合部天井の崩落止め工事の問題、壁画の損傷事故、⑧国内の装飾古墳の保存管理、⑨海外の壁画(イタリアの古墳壁画、フランス・ラスコー洞窟壁画)の状況など、多岐にわたる観点から検討が行われた4)

壁画の点検・修復作業(提供:文化庁)

検討会は16回の審議を経て2010年3月24日に報告書をまとめ、文化庁に提出する。会としての結論は、壁画の劣化が急激に進行したのは、「『作為』と『不作為』とが入り混じった、複合的な要因の『総和』」とされた。報告書では、1972年の発見以降、①1980年~84年ごろにかけて、②2001年から05年ごろにかけて、2回のカビの大発生があった(それぞれ「昭和のカビ大発生」「平成のカビ大発生」としている)としたうえで、①の「昭和のカビ」の大発生は、石室内の温度環境の変化、修復作業で使用した樹脂や薬剤の選択、度重なる石室内への人の出入り等が複合して起こったと指摘。その対応中に「白虎」が退色したと考えられるとした。②の「平成のカビ」は、保存施設の温度調節機能が十分でなかったことなどによる石室内の温度上昇や、「取合部」天井の崩落による微生物を多く含む土層の露出などがあった中、不十分な生物対策で行われた工事が直接の引き金になった可能性が高いとした。それらの問題に加え、▼1976年の「保存施設」竣工以降、保存対策のための有識者会議が開催されず、有名無実化し、保存修理(修復)が現場任せになった、▼壁画の状態変化に関する情報の発信が積極に行われず、担当者や組織の緊張感を弱めることにつながった、▼文化庁など担当機関による組織的な取組が行われなくなったことも「劣化の遠因となった可能性がきわめて高い」とした。そうした様々な因子(作為的な要因と不作為の要因)が複合的に作用した「負の連鎖」で壁画が劣化したと結論付けた。そのうえで、▼「市町村・都道府県・国」の連携や、市民やマスコミ、学会・大学などとも協同する「連携・協同」を核とした保存・寒冷体制の確立▼恒久的なチェック体制の構築などを提言した5)

有識者会議の報告書(筆者撮影)

この報告書に対して、「どうしたら高松塚を守れたのかまでは示されなかったのは残念」、「自覚を促す意味でも、もっと厳しい指摘が必要だった」とする識者の見解を伝えた報道もあった。

 

100ページ余りの報告書を一読した時点で、「かなりわかりにくい」というのが私の率直な感想だった。その一方で、1976年の「保存施設」の竣工以降、有識者会議(保存対策調査会)が開催されず、「保存対策全体を高度かつ幅広い観点からチェックし、必要な対応策について判断する『司令塔』を欠いていた」ことを2度にわたって指摘していることに関心を持った。報告書は、「最低でも年に一度程度(有識者会議を)開催していれば、その時々の古墳並びに壁画の状況について把握でき、例えば『年次報告』の形で、保存状況を広く国民に知らせることができたはずである。専門家から新しい知見が寄せられる可能性もあったであろう」としている6)。直接的な表現は見当たらないものの、壁画の劣化を繰り返さないために、壁画の”番人“、”保存管理の司令塔“となる組織(有識者会議)の設置を求めているのではないかと解釈した。このような検討会の”意向“を踏まえ、当日のテレビニュースでは、「修復のために石室を解体せざるを得なかった高松塚古墳のケースを、文化庁が今後、教訓として生かせるかどうかが問われている」とリポートした。

現在の高松塚古墳(2022年3月筆者撮影)

新しい検討会の発足

この報告書の提出で、高松塚古墳の壁画の劣化原因の調査にひと区切りがつき、2010年4月に「古墳壁画の保存活用に関する検討会」が設置される。検討の中心は高松塚・キトラ古墳の壁画の保存活用についてと、前回の検討会と内容的に変わりはないが、高松塚古墳、キトラ古墳の“教訓”を活かすべく、各地にある「装飾古墳」の保存管理についても検討することとなった。

 

検討会の17人の委員のうち、10人は前の検討会からの引き続きで、劣化原因調査検討会の委員6人も加わった。この検討会は、現在まで継続しているが、2014年3月までと、同年4月以降では、委員の構成や検討の内容が異なる。2014年度までの検討会では、修復を終えたキトラ古墳の壁画の保存・活用や墳丘の整備の方針などを示した「キトラ古墳の整備等に関する基本方針」(2012年3月29日)をまとめたほか、2014年3月10日に、装飾古墳の保存管理の方針をまとめたワーキンググループの報告書を提出した。また、同年3月27日の検討会(第15回)では、高松塚古墳の壁画について、「当分の間、古墳外の適切な場所において保存管理・活用を行うことが適切」という見解を示した。「(壁画を)別の場所で保存修理をすることはやむを得ない」というのが、主な理由だった7)

 

その次の検討会(第16回)については、しばらく時間が空いて、翌年(2015年)1月7日の開催となった。この時点で座長・副座長が交代したほか、私を含む11人が新たに委員に就任した。キトラ古墳の整備の方向性が決まり、高松塚古墳の壁画についても、修復後の当面の保存・活用の方向性が示されたことで、議論は“ひと山超えた”感じになっており、会議の開催頻度も1年に2回ないし3回と減っていった。

古墳壁画の保存活用に関する検討会(有識者会議)(2022年3月筆者撮影)

壁画発見50年直前の検討会

2022年3月17日、東京・港区で、「古墳壁画の保存活用に関する検討会」の30回目の会合が開かれた。高松塚古墳で壁画が発見されて50年になる直前の会議ということもあり、冒頭、文化庁から何らかの発言があるのではとひそかに期待していた。しかし、幹部のあいさつは、会議への参加は初めてという話だけだった。異動が頻繁な官僚にとっては、この検討会も他の有識者会議と同等の対応だったかもしれない。とはいえ、壁画発見50年の節目にあたり、「これからも国の責任で守っていく」などとする発言があってもよかったのではないかと思った。国の直轄管理と言いながら、壁画の劣化を招いた教訓はしっかりと引き継がれているのか、壁画の修復が終わってもなお、有識者会議を続ける意義は何か、改めて検証する必要があると感じたのが、このレポートを書いた動機の一つになっている。

有識者会議の「ありよう」は

壁画の発見当時、文化庁職員として一部始終を目撃し、有識者会議の副座長を務めるなど、長年、高松塚古墳の壁画の保存管理に携わってきた元九州国立博物館館長の三輪嘉六氏は、これまでの壁画の保存を振り返り、「文化財は、モノだけでなく、温度や湿度、空気など環境ごと保存するという考え方・指標をもたらした」とその意義を強調する。その一方で、「壁画の発見以来、『応急保存』『恒久保存対策』『事故調査』など、さまざまな名称の外部委員会(有識者会議)が設置されてきた。これらはいずれも“有事”の対応のためで、常時チェックする機能を欠いたことは、残念と言うほかない」とした。そのうえで「(有識者会議には)自分たちで(修復などの)評価をするのでは常にわからない部分、気づかない部分があるはずで、監視機能を担った持続的・継続的な検討会を設ける必要がある」と自戒を込めつつ、恒久的なチェック体制を構築することの必要性を訴えている。

有識者会議のこれから

文化庁は、高松塚古墳の壁画を”当面の間”保存・活用する施設について、2029年度中の完成を目指すとしている。現在の有識者会議の議論は、この施設の建設に向けた基本計画等の検討が中心で、壁画を古墳に戻すためにどのような技術が必要かという点など、50年先、100年先を見据えた議論がほとんどないように思える。

 

2022年度になって半年が過ぎたが、このレポートを書いている時点(10月)で、新年度の検討会はまだ1度も開かれていない。文化庁の有識者会議は、果たして“壁画の番人”足り得るのか、これからも動向を見守らなければならないと思う。

修復が終わった「飛鳥美人」この状態はいつまで・・・ (2022年3月撮影 提供:橿原市政記者クラブ)

  • 1)文化庁(2008)国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会(第10回)議事要旨 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/takamatsu_kitora/takamatsukento/11/shiryo_1.html; 国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会(第11回) 及び同検討会作業部会(第11回)議事要旨 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/takamatsu_kitora/takamatsukento/11/gijiyoshi.html
  • 2) 文化庁(2008)国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会(第1回)議事次第 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/takamatsu_kitora/takamatsukento/01/index.html
  • 3)文化庁(2009)古墳壁画保存活用検討会(第6回)議事要旨 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/takamatsu_kitora/kentokai/07/pdf/shiryo_1.pdf
  • 4)高松塚古墳壁画の劣化原因に関する検討の経過の概要(骨子) https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/takamatsu_kitora/rekkachosa/06/shiryo_5.html
  • 5) 高松塚古墳壁画劣化原因調査検討会(2010)高松塚古墳壁画劣化原因調査報告書 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/takamatsu_kitora/rekkachosa/pdf/rekka_houkokusho_ver02.pdf
  • 6)同 p.85
  • 7)文化庁(2015)古墳壁画の保存活用に関する検討会(第15回)議事要旨 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/takamatsu_kitora/hekigahozon_kentokai/16/pdf/shiryo_4.pdf

公開日:2022年11月4日

柳澤 伊佐男やなぎさわ いさおNHK奈良放送局 コンテンツセンター チーフ・リード

1963年埼玉県生まれ 1987年NHK入局 佐賀・福岡・東京(報道局科学文化部)・京都・鹿児島・奈良の各放送局に勤務、2012年NHK解説委員室解説委員(文化・文化財担当)、2015年長野放送局 放送部長、2018年NHK放送文化研究所 研究プロデューサーを経て、2022年8月より現職。
高松塚古墳の本格的な取材は2007年から、現在、文化庁の「古墳壁画の保存活用に関する検討会」委員(2015〜)

【主要文献、論考等】
『明治日本の産業革命遺産』(ワニブックス[PLUS]新書、2015)、文化財「活用」のすがた①~③(「文化遺産の世界」ウェブサイト2019)、世界文化遺産になった秋田県の縄文遺跡を訪ねて(前編・後編)同ウェブサイト2021)、マスコミから見た日本遺産 『遺跡学研究』16 日本遺跡学会 2019 、他