動向
海域で捉え直す文化遺産-「海域交流ネットワークと文化遺産」の調査から見えてきたこと-
16世紀後半のロッテルダム『BraunHogenberg. Cities of the World』
「すべての川は海へと流れる。しかし海が満ちることはなく、川は来た場所へ還っていく」。旧約聖書コレヘトの書の一節で、海から雲が生まれ雨が降り、再び川となって海へ注ぐ水循環を表しているが、同時に海そのものの広大さを連想させる。海は古来より文明同士の重要な交易路であり、海に関するさまざまな文化遺産はこの世界の歴史の証人となってきた。日本においても、貝塚や石干見(いしひび)などの遺構が数多く出土し、漢字で最も用いられている部首が『さんずい』であることからも、我々の暮らしが現在に至るまで海と密接に結びついてきたことを物語っている。
文化遺産国際協力コンソーシアムでは、2020年度、2021年度にかけて「海域交流ネットワークと文化遺産」というテーマを立て、世界各国や各地域における海に関わる文化遺産を調査した。後述するように、本調査は必ずしも対象を水中文化遺産に限って調査したわけではないが、海を調査のキーワードとすることで水中文化遺産を含む幅広い文化遺産が調査の対象となり、結果として関連遺産保護に向けた動向を広く捉える機会が得られた。
本企画に同舟し、調査概要と得られた知見について、本稿で簡単に紹介したい。
なぜ「海域交流ネットワーク」なのか
文化遺産国際協力コンソーシアムは、文化遺産保護に携わるさまざまな分野の専門家や機関の拠点組織であり、故・平山郁夫画伯の構想の下、2006年に文化庁と外務省の共管で設立された。以来、東京文化財研究所が事務局を受託運営している。
コンソーシアムが行う活動は多岐にわたるが、柱の一つとして挙げられるのが国際協力調査である。国際協力調査は、世界各地の文化遺産保護の現場における国際的な支援に対するニーズ、あるいは日本の国際協力に求められるニーズを把握することを主な目的として毎年実施され、その時々の時勢に応じてテーマを設定している。今回の国際協力調査に「海域交流ネットワークと文化遺産」というテーマが選ばれた背景には、海の道*1に関わる国際的な議論の高まりがあった。その契機ともいえる出来事が、2014年の「シルクロード:長安―天山回廊の交易路網」の世界遺産登録である。ユーラシア大陸を東西に結ぶ道を、中国、カザフスタン、キルギスタンのトランスバウンダリーサイトとして登録するという壮大な計画が実を結んだわけであるが、根本的な理解として、シルクロードの概念は一義的ではないことに注意が必要である。広義にはヨーロッパ大陸とアジア大陸を結びつける交通路の総称であり、「草原の道」、「オアシスの道」、「海の道」の三つのルートが含まれる。つまり、世界遺産に登録されたのは、シルクロードの陸上ルートの一つである「草原の道」のごく一部でしかない。
海の道を通じては、物質文化のみならず、宗教や科学的知識、芸術や技術といった多種多様なものが運ばれ、異なる文化や文明の交流が果たされてきた。言い換えるならば、海の道も陸上のシルクロード同様、文明間の経済的貿易路であるとともに、文化的交易路であった。このような背景から、海の道に焦点を当てて陸上のシルクロードと一体的な評価を進める研究や、海の道を世界遺産に登録しようとする動きが活発になっている。そこで、コンソーシアムでは、海の道沿いの文化遺産を対象とし、各国における取り組みの動向、さらには今後の日本の国際協力としての可能性を把握すべく調査を行うこととした。
調査遂行のため、さまざまな分野、地域を対象とする専門家が参加する学際的なワーキンググループが設置されたが、議論を繰り返す中で至ったのが「海域交流ネットワーク」という概念である。海の道は広大な空間軸、時間軸に広がるため、対象とする時代や地域、何を関係する文化遺産と捉えるかについてさまざまな見解がある。一方、海の道によって遠く離れた地域を結ぶ多数の交易路が網の目を形成し、さらにはその影響が港湾などを通じて内陸部にも広がっていった点において、海の道を通じた交流は、国と国の間を単に航路でつないだものではなく、「海域」におけるネットワークに依拠するものであったといえる*2。
「島国である日本においてはこの「海域」という概念を理解することはさほど難しくないが、他国と陸続きであることが多い海外では理解されづらい可能性がある。従って、本調査を通じて海域交流ネットワークという新たな概念を国際社会に提案し、その対象となる文化遺産を提示することには大きな意義があるだろう」。このような議論を経て、本調査では対象を水中文化遺産に限定せず、「海域交流ネットワークと文化遺産」というテーマを掲げることになった(図1)。
図1:3つのシルクロードと国際協力調査対象国 作成:藤井郁乃
コロナ禍を好機に変えて
コンソーシアムがこれまでに行ってきた国際協力調査ではいずれも、単独の国に対し海外に調査団を派遣して現地視察や情報収集を行うことが中心的な手法であったが、新型コロナウイルス感染症の世界的拡大を受け、同様の手法による調査が困難であった。コンソーシアムではこれを好機と捉え、調査対象国を拡大するとともに、以下の複数の手法を組み合わせることによって、海外派遣を行わずにできるだけ多くの情報の入手、発信を行うことを目指した。調査の一環として行われた内容は以下の通りである。
①オンラインでのアンケート調査
古くから海上交易で結ばれた国々やその周辺国を対象に、ワーキンググループで選定した計50カ国・58機関に対してアンケートを送付し、海域交流ネットワークに関する文化遺産保護の動向等について概要を把握した(うち27カ国、29機関から回答が寄せられた)。
②オンラインでの聞き取り調査
アンケート調査で回答のあった国のうち、各地域で中心的な活動を行っている国や機関を選定し、オンラインでの聞き取り調査を行った。
③海域フォーラムの実施
コンソーシアムで設置している六つの地域分科会において、海に関わる文化遺産の中でも特に活発な動きが見られる「水中文化遺産」を横断的なテーマとして掲げ、各地域における最新動向を把握する「海域フォーラム」を実施した。
④シンポジウムの開催
本調査の連動企画としてシンポジウム 「海と文化遺産―海が繋ぐヒトとモノ―」 をウェビナーで開催し、11カ国から約200名の参加があった。
調査から見えてきた関連遺産の多様性
調査を通して見えてきた「海域交流に関わる文化遺産」の多様性は当初の予想を超えるものであった。海域交流ネットワークの概念や捉え方は国や地域によってさまざまであり、多様な種類の文化遺産が海に関係する遺産として認識されていた。詳細は報告書をご覧いただきたいが、ここでは一部を紹介したい。
例えば、陶磁器、絹、コイン、象牙、香辛料等は日本でも馴染みが深い交易品であるが、カヌーや筏といった海域の移動に使用された道具や、他地域から持ち込まれた植物、硬貨の代わりに使われた貝殻も、有形の動産に類型される回答として寄せられた。その他にも、星座の伝承や星の位置を使う伝統航海術「スター・ナビゲーション」(ミクロネシア)といったそれぞれの地域における人々と海との関わり方が示されていた。
写真1:内陸部の水運網の例:フランス南部を結ぶミディ運河(撮影:前田康記)
不動産としては、石干見のように海岸部や潮間帯に所在するものや、世界遺産に登録されているアムステルダムのシンゲル運河内の環状運河(オランダ)や、世界で最も長い水路の一つとして数えられ、大西洋から五大湖のスペリオル湖まで船が航行できるローレンス海路(カナダ)のように内陸への物資運搬のために利用された河川、複合遺産として世界遺産に登録された河川の水源地であるピマチオウィン・アキ(カナダ)のように水路でつながった湖に関するものも対象とされていた。
陸上にある港湾施設や港湾都市そのものはもちろん、その港湾都市から伸びる「道」が繋ぐ内陸の町や集落、あるいはその「道」によって運ばれた商品や工芸品もまた、広い意味での「海域」に関わる文化遺産の対象とされていたのである(写真1、写真2)。
写真2:1935~1935年頃に撮影された漁師とクレンカーン(Kurenkahn:ヴィスワラグーン(ポーランドおよびロシア)、クルシュラグーン(リトアニア)、東プロイセンで使用された伝統的な木製タイプの平底ボート)提供:Bildarchiv Ostpreußen, www.bildarchiv-ostpreussen.de
「海の道」の射程となる時代設定は一般的には大航海時代前とされるが、それ以降の時代の文化遺産も多種寄せられた。第二次世界大戦時の沈船をはじめとする戦争遺産も多くあったが、その中でもポルトガル商人が建設した要塞やポルトガルの奴隷船(南アフリカ)など、旧宗主国が残した文化遺産が、被植民地において自国を代表する遺産として位置付けられていたことは特筆に値するだろう。
一方で、旧宗主国であるオランダは、アジア、アフリカ、アメリカに存在する大航海時代以降の自国に関連する文化遺産を「海事共有文化遺産」として捉え、他国との調査・研究を推進していた。広い意味での海事共有文化遺産としては、地中海の海底遺跡「スカーキー(スケルキ)・バンク」も挙げられる。スカーキー・バンクは第二次世界大戦中「スカーキー・バンクの戦い」の舞台にもなった場所で、イタリアのシチリア島とチュニジアに挟まれた地中海底の広大な範囲にまたがっている。水面ぎりぎりに隠された岩礁やそれを囲む砂浜などの地理的条件によって、歴史上数々の船が沈んできたため、現在では地中海沿岸の8カ国(アルジェリア、クロアチア、エジプト、フランス、イタリア、モロッコ、スペイン、チュニジア)が協力して同遺跡の保護を表明している。これまで文化遺産は各国の国内法でその保護が目指されてきたが、領海外の海域において、複数国の協力によって遺産の保護を目指す動きが進んでいる。
すべての川は海へと流れる。しかし海が満ちることはなく、川は来た場所へ還っていく
冒頭に紹介したこの一節が示すように、海、そして海とつながる河川や水路は本来一体的につながっており、明確な国境を見い出すことはできない。
本調査でも見えてきたように、海域交流を示す物証である文化遺産は、水中・陸上、有形・無形、動産・不動産の別を問わない多様な種類が寄せられ、それぞれがさまざまな文化や文明の影響を示していた。国や地域の垣根を超えた交流の多様性は、海という場が本来それを治める主のいない広大で自由な場所であることを表しているようである。このように、「海域交流ネットワーク」という視点で文化遺産を見ると、地域相互の関係のダイナミズムが見て取れるとともに、文化遺産という枠組みの射程の広さや多様性を再認識することにもつながる。また、関係する文化遺産の保護に着目すると、国境なく一体につながり合う海の姿を体現するかのごとく、国の枠組みを超えた保護のあり方を目指し始めている。
2001年にユネスコで採択された水中文化遺産保護条約の影響を受け、水中文化遺産を筆頭とした海に関わる文化遺産の保護について活発な議論が国際的に進められているものの、日本における当該議論の低調さは本特集をはじめ多くのところで指摘されている通りである。一方で、日本はシルクロード研究の歴史的な蓄積を有するとともに、保存科学の分野においても海から引き揚げた遺物等に対する処置といった経験を豊富に有しており、専門的人材による協力や技術移転という観点で日本に寄せられる期待は大きい。ユネスコ等が主導する活動に、日本から関連領域の研究者や専門家が協力する例も見られるが、現段階では個人や組織による活動が中心であり、国レベルでの協力に結びついているとはいえない。日本はこれまでに文化遺産保護を通して広く国際協力を行ってきているが、海域交流に関わる文化遺産保護においてどのような役割を果たしていくのか、問われる段階にきている。
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■文化遺産国際協力コンソーシアム
*1 海の道、海のシルクロードという用語に関して、道という概念が海上では適用しづらいために、航路を示す「ルート」を使用するのが妥当という指摘を受け、英語圏ではMaritime Silk Route MSRという用語の使用が目立つ傾向にある。未だそれぞれの語句が混在して使用されているのが実態であるが、本論では「海の道」という語句で統一している。
*2 「国」単位で区分して理解することが不可能な一体として海の世界を「海域」と表し、ヒト・モノ・情報が往来した歴史を海域交流の観点から叙述した羽田ら(2013)を援用した。
参考文献・資料
1. 羽田正・小島毅『東アジア海域に漕ぎ出す1 海から見た歴史』、東京大学出版会
2. Ng, Louis C.W. (2005) “Conservation and management of ceramic archaeological sites along the maritime Silk Route”, 15th ICOMOS General Assembly and International Symposium: ‘Monuments and sites in their setting - conserving cultural heritage in changing townscapes and landscapes’, 17 – 21.
最終更新日:2023年4月24日