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歴史・民俗学

器を洗う―Padariya,Nepalにて―

吾妻 俊典 / Toshinori AZUMA

国際文化財株式会社

写真1 市場の様子 撮影:筆者(以下同)

器は、使えば汚れる。市販の洗剤がない時代、水洗いや布拭きで落ちない汚れをどうしたのだろうか。ゴシゴシこすったことは想像できるし、液体洗剤が普及する前は磨き粉が使われていた。ここまでは我々の記憶や口伝で辿れるし、今でも一部活用されている。古代の土師器や須恵器は稲藁(いなわら)で拭っていたと先輩から教わったことがある。しかし古代の行為を実際にみた人は既にいない。

パダリアの日常

写真2 商店、通称Minimum Shop

写真3 稲藁を運ぶ子供たち

ガウタマ・シッダールタ(釈迦)誕生の地、ネパール(Nepal)ルンビニ(Lumbini)の南に、パダリア(Padariya)という村がある。バス停「Padariya bazaar」から南へ進むと、ルンビニ(Lumbini)-カクローワ(Kakrahwa)間の沿道に商店や民家が立ち並ぶ。人は少なく、街もごく限られた範囲に集約する小さな村である。下水道は完備されておらず、排水は沿道に沿う溝に注ぎ込む。「ドブ板選挙」の語源のドブである。乾季は水が少ないが、雨季には水が溢れるのだろう。周囲の店棚小屋(Minimum Shop)も随分と床が高く、小屋全体が竹馬に乗る風情である。屋根は茅葺と鉛色のトタンが混在する。半世紀前の日本の村々を思い起こさせる景観である。この町を訪れたのは2017年12月の末、亜熱帯のおかげで日中は暖かい。

写真4 家の前の排水溝と村のメイン道路

天候に恵まれたおかげで、屋外で年末に収穫した米の選別が行われていた。籾殻飛ばしであろうか。主に女性の仕事のようである。この手作業も日本ではみられなくなり久しい。男性は路上販売とバイクタクシー従事者が多い。

写真5 米粒の選別

ブーシー

その街の一角で、若い女性が洗剤を使わない伝統的な器の洗浄を行っていた。現地時間は13時15分。昼食後の食器を洗っているのだろう。興味を持ち、許可を得て作業を撮影させていただいた。

写真6 ブーシ―(これで食器を洗う)

籾殻、泥、稲藁などを燃やし灰にしたものを混合し、これを手で器に擦りつけ汚れを落とす。この青灰色の素材は、ブーシ―(スペルはBuceeとのこと)というそうだ。その後若干の水と布でブーシ―をふき取り、洗浄は終わる。水の使用は少なく、ここで洗っていた器は金属製であるが、吸水性が高い土器でも十分有効だ。陽の下だと乾燥も早いのだろう。ちなみに洗い水もブーシ―の滓(かす)も路上に放置され、この一連の作業は屋外の大通り脇の小路で、道を完全に占拠するように行っていた。通行量がすくないことも幸いし、一々声を荒げる無粋な輩もいない。大らかでなんとも自然な日常生活の一コマである。

写真7 器にブーシ―を塗る

写真8 器をブーシーで擦る

環境を守るために

後日ブーシ―について、この村で偶然NGO(Non Governmental Organizations、平和や人権問題に取り組む非営利民間組織)活動をしている方の宿に泊まり、話を聞く機会があった。「あの村に文字の読み書きや生活向上のボランテイアに行っているが、洗剤は環境を悪化させるから教えないでくれ」と止められたという。器だけでなく手を洗うのも籾殻に泥を混ぜたものを使用し、市販の洗剤は一切使用していないとのことである。殺菌力についても質問したが、食中毒が蔓延しているわけではないようだ。なるほど一理ある。環境を考慮すれば、自然のものを100%使った高価な洗剤以外は少なからず害がある。村では井戸水を使っており、なおさら注意すべきことであろう。

 

村で多く見かけた子供たちが大人に成る頃も、この光景は残っているのだろうか。日本にある我家の狭いシンクで同じことをすれば排水管が詰まるが、古(いにしえ)の器の洗い方に思いを馳せ、また豊かな生活とは何か考えるよい契機となった。

写真9 井戸と子供たちと家畜

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公開日:2019年3月18日

吾妻 俊典あづま としのり国際文化財株式会社

宮城県仙台市生まれ。東北学院大学文学研究科修士課程修了。修士(文学)。宮城県女川町町政功労賞(教育文化)受賞(2007年)。2013年より国際文化財株式会社に所属。専門は日本の古墳時代から中世。共著共編『宮城県の歴史散歩』(山川出版社)。論文「多賀城とその周辺におけるロクロ土師器の普及開始年代」『宮城考古学』第6号など。発掘調査報告書『亀岡遺跡Ⅱ』宮城県多賀城跡調査研究所など。