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歴史・民俗学

江戸の火打石

丸山悠里香 / YURIKA Maruyama

国際文化財株式会社 

購入した火打石と火打金

発掘調査で出てきた遺物を洗っていると、他の石とは明らかに違う、白い宝石のような石が出てきました。その後、研究会などに参加して勉強をしていくと、その石が火打石であったことがわかりました。

 

「いつか自分も火打石をたたいてみたい…」。そう思いつつも火打石がどこで手に入るか、そもそも売っているのかも分かりません。しかし、ある日ネットサーフィンをしていたところ、火打石と火打金のセットを発見。

 

衝動買いしてしまいました。

火打石を打ってみた

今回購入した火打金は、およそ400年前、武田信玄の家臣が上州吉井(現在の群馬県吉井町)に隠棲して刀鍛冶になった際、その妻が内職仕事で作ったものがはじまり。それが後に「吉井の火打金でないと火が出ない」とまで言われるほど、江戸で評判になったものです。

また火打石は、モース硬度7以上の硬い石でないといけないのだそうです。モース硬度とは石材の硬さの基準で、10段階で表現されます。1が滑石(かっせき/人間の爪でたやすく傷がついてしまうほど柔らかい石)で、10はダイヤモンドです。私の火打石はモース硬度7の瑪瑙(めのう)でした。

 

火打石と火打金を両手に持つと、気分はまさに江戸時代。頭の中にはかっこよく火打石で煙草の火をつけるお代官の姿が浮かびます。「ではさっそく火花をおこしてみよう」と、勢いよく火打金で火打石をたたいてみました。

 

しかし、何度たたいても石が白く欠けていくだけ…。時代劇のようにはいきません。

 

何度も何度もたたいて石にカドができてきた頃、「パチッ!」と音が鳴って花火のように火花が散りました。火打金のカドを火打石のカドにうまく当てるのがコツだったようです。コツをつかむと、小さい火花しか出せなかったのが、大きな火花を出せるようになり、とても楽しくなってきました。

火打実践!

そもそも火打石とは?

『新柳二十四時 午後九時』明治時代の錦絵に書かれた切り火(国立国会図書館デジタルコレクションより引用)

ライターや着火剤がある令和の時代、一体火打石はどのような場所で使われているのだろう?そもそも火打石の歴史ってどんなものなのだろう?

火打石を手に入れてから今度は様々な疑問が頭の中を駆け巡りました。

 

遺跡でも時々見かける火打石。数少ない経験ながら、今まで私が見てきたものは、どの火打石も白や赤などバリエーションが豊富。小指の先くらいの大きさでカドがまったく無くなるまで使い込まれたものばかりでした。

購入した火打石セットのように、大きな手のひらサイズの石でも火花をおこすのに苦労したのに、江戸時代の人々はこんなに小さくなるまで使い込んでいたのか、と思うと驚きです。

 

日本でマッチが生産され、普及するのは明治維新以降です。それ以前は、人々はどのようにして火をおこしていたのでしょうか。その方法は次の2つに大別されます。

 

▼火鑚棒(ひきりぼう)と火鑚臼等を用いる「摩擦式発火法」

回転運動により木の繊維が削られ、それらが摩擦熱によって火種となる発火法。神聖な火を得るために、現在でも神事などで多く使われています。

 

▼火打金と火打石等を使う「火花式発火法」

火打金と火打石を打ち合わせて火花を散らし、それらを火口に落とすことで火種を得る発火法。鉄を得ることが難しかった時代には黄鉄鉱など金属を含む石と打つこともあったようです。『古事記』では、ヤマトタケルが叔母からもらった火打道具で難を逃れた話などがあります。

 

どちらも世界中で見られる発火法であり、約45万年前から、人々はこれらの方法で火をおこしていました。

 

 

日本において火打石が庶民の生活にまで広まるようになったのは、江戸時代に入ってからのようです。平安時代では火打石は高級品であり、貴族など身分の高い人しか使えないものでした。江戸時代に入り、火打石が庶民に普及すると、竈や行灯、煙草など様々なことに火打石を用いていました。また、切り火といいまして、出かける際に「いってらっしゃい」と火花を興し、道中の安全などを祈願するということも行われていたようです。

 

江戸遺跡(江戸時代に江戸といわれたエリアの遺跡)の火打石は透明感のある白色の石英から赤褐色のチャート、黒曜石など、産地も種類も様々なものが確認されています。特に石英の火打石は「水戸火打石」と呼ばれ、茨城県の諸沢村(現、常陸大宮市)周辺から採取され、江戸へ運ばれていたことがわかっています。

現代も続く火打石

では、現代ではどのような場所で火打石が使われているのでしょう?調べたところ、神事で火をおこす際に使われている例が見つかりましたのでご紹介します。

 

◆東京都檜原村「御とう神事」

東京都檜原村の春日神社で毎年3月に行われている、天下泰平・五穀豊穣・無病息災を祈願する神事です。川で禊をした後、火打石から火種を取り、お米を炊き大高盛にして神様に捧げます。東京都の無形民俗文化財にも指定されており、戦国時代から行われていたという記録も残っているようです。

 

◆長野県飯田市「遠山の霜月祭」

国指定無形民俗文化財に指定されているお祭りです。旧暦の11月に行われる大釜で湯を沸かし、無病息災や五穀豊穣を願う「湯立て神楽」であり、最も短く生命力の弱まった冬至の頃に全国の神々を招き湯でもてなす。太陽と生命の復活を祈る儀式です。神社に湯釜を設け、一昼夜にわたりその周囲で神事や舞いを行います。湯立てを行う度に火打石やマッチから火を取ります。

※霜月祭は11カ所で行われていましたが、現在実施されているのは8か所。このうち火打石を使った神事は程野正八幡宮などで行われています。

 

小さな遺物が語る 人々の営み

出土した火打石実測図 (新宿区荒木町遺跡調査団編「東京都新宿区 荒木町遺跡Ⅱ」1998年)

ギリシャ神話ではプロメテウス、日本神話ではヒノカグツチなど、神話には必ずといっていいほど火についての神様がでてきます。「火」というものは、昔から人間の生活にとって欠かせないものです。人は火を手に入れたことにより、調理をすることができるようになり、寒さをしのぐこともできるようになりました。

 

火打石はその長い「火」の歴史の中では、ほんの少しかもしれませんが、現在の生活につながるものだと思います。遺跡から出てくる火打石は本当に小さなものですが、昔の人の生活を垣間見ることができる、素敵な遺物なのだと考えています。

丸山悠里香まるやま ゆりか国際文化財株式会社 

2017年入社 専門は考古学(主に近世瓦)

遺跡や遺物で見るもの触れるものに興味津々。全国の発掘現場に挑み、知識と経験を猛拡充中。
趣味は城郭めぐり。