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歴史・民俗学

沖縄の調味料あれこれ

土岐 耕司 / Koji TOKI

国際文化財株式会社 埋蔵文化財調査士

砂糖

サトウキビ(ウージ)が、沖縄の特産であることは皆さんもご存知でしょう。沖縄では、江戸時代から重要な商品作物として栽培されており、それを原料とする砂糖(黒糖)は沖縄の代表的な調味料といえます。

戦前の北谷(ちゃたん)においても、サトウキビの栽培や製糖は盛んでした。集落にはほぼかならず製糖工場(サーターヤー)があり、大きな鉄製の搾り器をウシの動力で回し、得られた汁を大釜で煮詰めるという光景がみられ、遺跡からもあきらかにそれとわかる痕跡がみつかることがあります。

農家にとっては大事な商品ですので、砂糖をぜいたくに使うということはありませんでしたが、それでも各家庭にはそれなりに黒糖の常備はあったことが記録に残っています。

別の記録によると、戦前の北谷には「しゃこ貝の砂糖漬け」なるモノがありました。高級な珍味であり、もっぱら接客用であったといいます。しかし、これを作るのに使われるのは意外にも「氷砂糖」でした。

氷砂糖の生産地は沖縄ではなく、静岡や岐阜などといった内地だったようです。ですからおそらく沖縄では比較的手に入りにくかった「氷砂糖」と、海産物である「しゃこ貝」との、当時としては国際結婚的で革命的なコラボ。

以下、そのレシピ原文です。

 

「しゃこ貝のむき身を塩漬けしたあと、泡盛で洗ってから氷砂糖を加えて漬け込む。」

 

一種の塩辛なのだそうです。どんな味がするのか全く想像できませんが、受けるインパクトはかなりのものだと思うのは私だけでしょうか? 相当、気になります!

 

北谷町の古くて新しい名産品として、復刻してみてはいかがですか、北谷町長?

沖縄は「塩使いの文化」でもあります。「沖縄の塩の使い方は非常に優れていて、とてもマネできない」と、有名なシェフが言っていたのをテレビで観たことがあります。数年前に私も、その「達人技」を体感しました。

伊是名島(いぜなじま)の知人宅に遊びにいったときのこと。「夕食釣ってくるからね!」と竿を片手に海へでかけ、なんという魚なのかはともかく、数だけはそこそこ釣ったので、オバアが「マース煮」を作ってくれることになりました。

「マース」とは「塩」のこと。つまり「塩煮」ということなのでしょう。ウロコと内臓をとった魚を鍋底に並べ、塩をふります。そこに水を入れて…と思いきや、そのままフタをして火にかけました。

十数分後にフタをあけてみると、そこにはなぜかスープにひたって美味しそうに煮えた魚が。不思議に思ってきいてみると、「塩すると魚の水分が自然に出てくるから」と、オバアは事もなげに答えてくれました。

そしてその味はというと・・・、これがまた絶品なのです。もしかして、実は私の釣った魚が知られざる高級魚なのではないかとも思い、これらの魚をネット検索してみたのですが・・・。

結果は、「食べられる魚なのかもわからない」という魚も混じっていました。

 

でも、美味しかった!

沖縄は生マグロの水揚げ量が多く、スーパーでも刺身コーナーの2/3がマグロといってよいほどの、意外に知られていない「マグロ県」です。

 

ある日、息子さんが漁師だというオバアが、新鮮なマグロの刺身を差し入れてくれました。発掘現場の昼休み。現場事務所には「醤油」がありません。でもそこはさすが、そのオバアは刺身を食べるための調味料もわざわざ買って、いっしょに持ってきてくれました。

 

「はいこれ、醤油と、酢。」

 

ん? 醤油はわかるけど、酢? 酢醤油で刺身食べるの?ワサビじゃなくて酢を買ってきてくれたの?

 

そもそも沖縄ではワサビが採れないだろうから、ワサビだって戦後、下手したら復帰後に入ってきたのかもしれない。南国沖縄で今のように普通に刺身を食べられるようになったのは冷蔵庫が普及してからだろうし、沖縄の刺身文化は新しいものなのかもしれない。でも、酢は昔からありそうだ。

 

気になったので、戦前沖縄の酢について少し調べてみました。必ずどの家庭にでもあったというほどではなかったようですが、甘酒(アマジャキ)から酢を作ることがあったとのこと。また、酢の代わりにシークヮーサーの果汁を使うこともあったのだとか。ちなみにシークヮーサーの「シー」は「酢」のことなんだそうです。

そういえば、沖縄ではいろんな魚の刺身を混ぜこぜにして酢味噌で和えた、「サカナの酢みそ和え」をよく目にします。タイとかマグロとかいった特定の魚ではなく、「サカナの」というあたりがミソです。

 

酢を入れれば生の魚も傷みにくくなります。南国での「刺身に酢醤油」という発想も、すんなり理解できますね。

醤油

では、醤油はどうか。刺身に醤油をつけて食べることは、現在の沖縄でも定着しています。しかし、若いころに内地で働いていたことがあるオバアから、「内地に行ったら醤油が辛(から)くてイヤだった。だけど何でも醤油の味つけだから本当に大変だった。醤油はキライ!」という話を聞いたことがあります。

 

たしかに、沖縄の食べものにはあまり醤油は使われていない気がします。有名な「ラフテー」という豚の角煮は醤油で甘辛く味付けしているかもしれませんが、私も沖縄で生活していて、「ラフテー」を食べる機会はあまりありません。私の好きな沖縄そばも、ソーミンチャンプルーも、スーチカー(豚肉の塩漬け)も、スクガラス(小魚の塩辛)も、基本的には塩味ベース。

 

戦前の証言記録には、「どこの家庭でも塩と味噌は必ずあった。金持ちの家では味噌から醤油を作るところもあったが、ほとんどの家では醤油は使わなかった。」とありました。沖縄の人たちは、やはり醤油があまり好きではなかったのでしょうか?

 

北谷町の戦前遺跡からの出土品を整理していたとき、見慣れたマークのある青いガラス片を発見しました。亀の甲羅のなかに「萬」の文字、つまりこれはキッコーマン(亀甲萬)のマーク。いわずと知れた日本最大手の醤油メーカー、その醤油ビンのかけらでした。

キッコーマンのことはキッコーマンにきけ、ということでお客様センターに問い合わせました。そこで『キッコーマン国際食文化研究センター』というところを紹介され、いろいろと情報をいただくことができました。

醤油ビンの下のほうにロゴマークを入れるようになったのが、昭和6年ごろ。遺跡は米軍基地の返還地にあるので、沖縄戦の後にここでわざわざ醤油を使った人はおそらくいないはず。だから、このビンは昭和6年から昭和20年の間に沖縄にもたらされたことが考えられるわけです。

キッコーマン社には、このころの沖縄での取引を示すような記録は残っていないとのことでしたが、社史におもしろい話がのっていました。

 

「アメリカの統治下となった沖縄に醤油の輸出が再開できるようになったのは昭和26年4月。これは沖縄の人々のキッコーマンに対する要望が非常に強かったためである。しかしアメリカによる現地産業保護政策により、地元醤油の生産能力が増大し、供給過剰になったので同27年3月には醤油の輸入は禁止になった。しかし沖縄の人々の要望はあいかわらず強く、翌28年10月に輸入禁止は解除され、内地規格の製品を出荷することとなった。」

 

むしろ沖縄で醤油は超人気でした。いろんな方面からの話を聞いてみるものですね。

味の素

別なビンも出てきました。あまり見慣れない形でしたが、底にアルファベット文字が書いてあります。「ん~、A・JI・NO・MO・TO?」。味の素のビンでした。

戦前の証言記録には全く出てこないものですし、戦前の沖縄に味の素があること自体、正直意外でした。個人的な感想ですが、近代の沖縄って、少なくとも華やかだったとかモダンだったとかいうイメージが全然ありません。

明治の廃藩置県で琉球王府はなくなり、その後やってきた内地の商人には不当に搾取され、第一次大戦後の不況から「ソテツ地獄」とよばれる困窮期があり、昭和の戦前には国民統制があり、そして悲惨な沖縄戦があり・・・。

そんな中で「味の素」が沖縄に出まわっていて、それを買って使っていた人がいたということが、すんなりとは想像できませんでした。

 

「味の素」社へ問い合わせたところ、広報部の牛島さんに丁寧に対応していただきました。底の文字がアルファベットになったのは、味の素が宮内省御用達となった昭和2年より後のことだそうです。

 

沖縄にやってきた味の素は大人気となり、安売りや乱売りをふせぐため、昭和5年までには「沖縄県味の素会」という特約店組織もできていたそうです。醤油を含めた他の品物にしてもそうですが、昭和の沖縄は内地とあまり変わらない、活発な流通・消費活動があったことがわかります。昭和5~15年のあたりは、沖縄がもっとも平和で多様性に富んだ時期のひとつだったのでしょうね。

 

それにしてもなぜ味の素がこんなに人気だったのでしょうか。そもそも沖縄の人は「旨味(うまみ)」が大好きです。

カツオ節の消費量はダントツの1位ですし、沖縄では採れない昆布の消費量もトップクラスだといいます。「味の素グループの100年史」にも、戦後、旨味成分であるグルタミン酸ナトリウムの1人当たり使用量が、世界でもっとも多かったので、沖縄に「味の素」製造工場建設が検討されたようなことも書かれていました。

 

納得です。

参考文献
『北谷町史 』第三巻 北谷町役場(1992)
『平安山原A遺跡』北谷町教委(2016)

参考webサイト
独立行政法人農畜産業振興機構 「氷砂糖の歴史」https://sugar.alic.go.jp/tisiki/ti_0310.htm
中日本氷糖株式会社 「氷砂糖資料館」 http://www.nakahyo.co.jp/sp/museum/
AJINOMOTO企業情報サイト「味の素グループの100年史」 http://www.ajinomoto.com/jp/aboutus/history/story/

協力者・協力機関
儀間のオバア
屋我のオバア
玉那覇のオバア
キッコーマン国際食文化研究センター
味の素株式会社広報部

公開日:2018年5月14日

土岐 耕司とき こうじ国際文化財株式会社 埋蔵文化財調査士

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