動向
文化財「活用」のすがた ①「日本遺産」
津和野町 鷺舞神事(日本遺産 構成文化財・重要無形民俗文化財) 提供 鷺舞保存会
はじめに
「文化財の保存から活用へ」。文化行政の関係者がこのキャッチフレーズを使い始めたのは、ここ数年のことではないだろうか。私は、文化財は保存するだけではなく、活用してこそ、その価値・存在意義があるという考えを持っていたので、このフレーズを見聞きしたとき、「当局は文化財の活用に本腰を入れ始めたのだな」などと考えた。しかし、最近の文化庁の動き・施策をみると、従来の活用=公開のイメージとは異なり、経済的な価値を生み出す「資源」としての活用に重点が置かれているように思える。
文化庁の組織改正、京都移転など、文化行政を取り巻く状況が目まぐるしく変わる中、国民共有の財産である「文化財」はどうなるのか。さまざまな「活用のすがた」を通して考えたい。今回は、2015年(平成27年)からはじまった「日本遺産」を取り上げる。
「日本遺産」とは
文化財に関心がある人なら、「日本遺産」という名前を聞いたことがあるだろう。文化庁が2015年(平成27年)から始めた事業(「日本遺産魅力発信推進事業」)で、これまでに67件が認定されている(2018年5月現在)。その日本遺産とは、どのようなものなのだろうか。文化庁の資料には、次のような説明がある。「地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを『日本遺産』に認定するとともに、ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の文化財群を地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内外に発信することにより、地域の活性化を図る」(1)。
つまり、地域にある様々な文化財を題材にその地域の歴史的魅力や特色を伝えるストーリー(物語)を組み立て、そのストーリー自体を「日本遺産」という名前で認定して国内外に情報発信し、地域の活性化、観光振興を図ろうという事業なのである(2)。本稿では、個々の遺産群についてではなく、事業そのものの創設の経緯、現状や課題、今後の展望などについて取り上げたい。
図1 日本遺産とは(文化庁HPより引用)
創設のいきさつ
日本遺産の構想が公になったのは、2013年5月、安倍内閣の菅官房長官の記者会見だった。菅長官は政府が日本遺産の創設を検討していることを明らかにした上で、「クールジャパン戦略の一環として、日本の文化や伝統に対して国としてお墨付きを与え、国際的な知名度を上げるとともに、世界遺産登録の後押しをしていきたい」とその狙いを述べた。
この構想が持ち上がった背景として、当時、世界文化遺産に推薦していた「鎌倉」がユネスコの諮問機関のイコモスから「不登録」の勧告を受けたことや、世界遺産の国内候補が数多く残っていた(国内暫定リストへの登録数、当時13件)ことなどがあり、世界遺産の着実な登録を「後押しする」の目的が強かったといわれる。
しかし、日本遺産を構成する文化財が、不動産だけでなく、動産、無形、地方指定、未指定の文化財も対象となったことや、安倍内閣の「成長戦略」のひとつ“文化財版クールジャパン”としての位置づけが強くなったこともあり、「世界遺産登録の後押し」という目的が薄れて、観光振興策・地域振興策としての性格が強いものになっていった。
文化庁作成の日本遺産の公式パンフレットには、「従来の文化財行政は『保存』重視⇒地域の魅力が十分伝わらない」とする文言とともに、日本遺産は『活用』重視などと記した図が掲載されている(図1)。また、別のページには「文化財は保存から活用の時代へ!」というメッセージも登場する。こうした事業の創設の経緯やパンフレットに示された文化庁の“思想”などを踏まえ、日本遺産は「文化財の保存から活用へ」というスローガンの「顕著に表出した事例」とする研究者の指摘がある(3)。
認定審査のポイント
日本遺産を構成する文化財のうち、少なくとも1つは、国指定・選定のものでなければならない。しかし、審査の過程でそれぞれの文化財の価値が問われることはない。そのストーリーは「地域の際立った歴史的特徴・特色を示すものであるとともに、我が国の魅力を十分伝えるものになっていること」が条件とされるが、歴史的事実に即したものだけではなく、伝承・風習であってもかまわないという。
日本遺産の認定をもくろむ自治体は、地域にある様々な文化財を組み合わせて「ストーリー」をつくり、文化庁に申請書を提出する。その申請書をもとに、文化遺産や観光、景観の専門家、放送作家、漫画家といった有識者10人(創設当初は6人)でつくる審査委員会が審議する。
認定にあたっては、▼興味深さや▼斬新さ▼訴求力▼希少性▼地域性の5つの観点から審査を行うという。また、認定の基準として、日本遺産を活かした地域づくりの将来像と実現に向けた具体的な方策が示されていること、ストーリーの国内外への戦略的・効果的な発信など、日本遺産を通じた地域活性化の推進が可能な体制が整備されていることなども盛り込まれている。この点について、2017年からは、認定後6年間の「地域活性化計画」を提出することが必須になった。創設から3年を経て、この条件を新たに盛り込んだ理由について、文化庁は「認定を続ける中、日本遺産の目的を担保するための計画が必要と判断した」からだと説明している。審査委員会は例年4月に開催、審査の結果は同月末に公表されることが多い。
ストーリーは2タイプ
日本遺産のストーリーのタイプは、一つの地域・市町村でまとめる「地域型」と、複数の市町村にまたがる「シリアル型」の2種類がある。これまで認定された67件のうち、地域型が22件で、シリアル型は45件になっている(図2)。地域型の場合、世界文化遺産(もしくは候補)の構成資産があるか、文化財を一体的に保存・活用するための「歴史文化基本構想」を策定していることが条件になっているため、これが申請の際の「足かせ」になっているのではないかという意見もある。その一方、シリアル型は、地域をまたいだ多種多様な文化財を組み合わせられるので、ストーリーが構成しやすいという見方もある。シリアル型が多い傾向について、文化庁は、「あくまで結果論」だとしている。
創設当時、日本遺産は「世界遺産の日本版」などとマスコミに取り上げられたが、この表現は必ずしも正確ではない。世界遺産には、人類共通の宝として守るべき「顕著な普遍的価値」が必要とされるが、日本遺産は、地域の文化財を積極的に活用して観光・地域の振興を図ることが主眼で、遺産そのものの価値が問われることはない。また、構成資産(文化財)の保全管理が十分かどうかも評価の対象外となっている。「文化財保護法に基づく新たな『制度』として実施するものではなく、世界文化遺産との間に上下関係はない」のである(4)。
では、日本遺産が、文化庁の主要な施策である文化財の保護にどのように絡むのだろうか。事業が始まる前の2015年3月に開催された文化審議会の総会でのやり取りに、文化庁の考えの一端が表れている。会議の中で日本遺産が話題になった際、委員から次のような発言があった。「日本遺産という言葉のパワーといいますか、力からすると、これを世界遺産であるとか、あるいは国宝と同じように、しっかり制度的に位置付けることが大事ではないか。(中略)2020年までの短期的な政策ではなくてもっと長期的な政策として継続していただけると非常に有り難い」。
この発言に対して、担当課(記念物課)の課長は「日本遺産は文化財の価値に着目をして、日本遺産という名称を冠して権威付けるものではなくて、つまり、保護のための規制を掛ける措置ということではなくて」と述べた上で、「あえて制度にせずに、事業として、予算事業としてやろうと。要するに、柔軟な地域の取組、地方創生に生かせるような取組で」と説明し、日本遺産は文化財を保護するための制度ではなく、「クールジャパンの文化財版」、観光・地域振興のための事業であることを強調した(5)。このため、事務局(現在は文化資源活用課)には、文化財保護に必要な専門家(文化財調査官)が常置されていない。
図2 日本遺産所在地地図(文化庁資料を基に編集部で作成)
認定は“狭き門”
日本遺産の申請の受付は毎年冬に行われ、4月に審査が行われる。初年(2015年)度は40都府県、238市町村から83件の申請があり、18件が認定された。2年目の2016年度は、67件の申請に対して認定が19件、2017年度は、79件の申請に対して17件を認定、2018年度は76件の申請に対して13件が認定され、4年目で認定件数が67件になった(図2)。文化庁は、東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年までに全体で100件程度の日本遺産を認定するとしており、今後も年度ごとの認定が10数件という傾向は今後も続きそうだ。
5年目になる2019年度の申請の受付も2018年12月17日から翌年1月25日まで行われたが、事前に文化庁に問い合わせたり、申請に向けた記者会見を開いたりする自治体が数多くあった。中には、「3度目の挑戦」を表明した自治体などもある。こうした状況を見ると、日本遺産の認定は依然として「狭き門」の状態にあるといえそうだ。
日本遺産に認定されると、通常3年間、情報発信や人材育成、普及啓発、公開活用整備などの事業に対し、文化庁から補助金が出るが、恒久的な制度ではない。補助が終わる4年目以降は、それぞれの地域で自立・自走することが求められている。そうした期間限定の国の事業でも、なぜこれほど日本遺産の人気は高いのか。「日本遺産」という名前のブランド力、文化庁の認定という“お墨付き”で地域の文化資源の「経済的価値」を高めることができると考えているからだろうか。
「フォローアップ委員会」の指摘
事業が開始されて3年目になった2017年10月、認定された日本遺産が、どのような状況になっているのかを検証する「日本遺産フォローアップ委員会」が設置された。設置の理由は「3年間認定をしてきた中で、各地域の取り組みの状況に温度差が出てきており、改善をはかる必要があった」からだと文化庁は説明している。
同年10月と12月に初年度の委員会を開催、観光や地域振興などを専門とする7人の委員が、それまでに認定された54件の「日本遺産」について、組織整備、戦略立案、人材育成、整備、観光事業化、普及啓発、情報発信という7つの観点から評価を行った。その結果が2018年3月に公表された。それによると、全体の約70%にあたる39件について、観光ガイドの育成やマーケティング調査などに取り組む必要があるといった課題を指摘された。この中には「幹事市町が持ち回りのため、来年度(次年度)以降、現在の状態を維持できる組織体制になっていない」というものや、「顧客目線の事業を実施するための観光の受け皿となる地域プレーヤーの育成が必要」と指摘された案件もあったという(6)。これらの指摘に対して各自治体が改善方針を提出し、その後の「フォローアップ委員会」で状況を確認することにしている。
日本遺産の認定が始まって2019年度で5年目になる。文化庁は、認定から4年目以降の案件については、各自治体が「独り立ち」することを求めているが、補助を終えたものについても、委員会で「フォローアップ」をすることにしている。さらに、認定から6年たった日本遺産については、翌年に「総括評価」を行う方針を示している。関係者の中には評価次第で「認定を取り消すべき」という強硬な意見もあるというが、現時点で総括評価のポイントがどのようなものになるかははっきりしてない。
「国の事業」としての評価
地方自治体の人気が高い「日本遺産」だが、国民の税金で実施する「国の事業」としての評価はあまり思わしくない。2018年6月、文部科学省で開かれた国の行政事業レビュー(事業の自己点検)で「日本遺産」が取り上げられた。有識者による事業点検の「公開プロセス」の議事録を見ると、委員からは「プロジェクト全体の成否を判断する指標をきちんと定義すべき」という意見や、「この事業の立ち上げ自体が、最初からどういう視点に基づいて何をやりたかったかということが明らかでない」などという指摘があった(7)。
この場での評価結果は「成果指標の設定とその検証方法、事業全体のアウトカム(成果)指標の設定とも不適切であり、将来に向けて抜本的な改善が必要」ということだった。「事業の設計、執行ともゼロベースから検討し直す必要がある」とも指摘している。同様の指摘を財務省からも受けている。財務省が2018年7月に公表した「予算執行調査」では、日本遺産は「非効率的・非効果的な事業内容となっており、速やかな改善を要する」と評価された(8)。
これらの指摘に対し、文化庁は「フォローアップ委員会での協議で、全体の目的や事業の評価方法などについて、改善を図っていきたい」としている。具体的な改善策はこれからになる。
日本遺産の今後
文化財の活用の象徴的な施策ともいえる日本遺産だが、課題は多い。その一番は、「認知度の低さ」だという。財務省が2017年度までに認定した54件の日本遺産について行ったアンケート調査では、全体の4分の3の自治体(日本遺産協議会)が「市外、もしくは市内・市外どちらからも認知されていない」と認知度の低さを認めていた(9)。また、日本遺産の支援にもかかわる一般社団法人が2018年4月に実施した首都圏・関西圏の居住者1000人対象のインターネット調査でも、日本遺産の認知度が全体の30%だったという報道もある(10)。
文化庁は「日本遺産全体の認知度を高めることは、文化庁の責任」と対策の必要性を認めている。文化庁は、専用のポータルサイトを設けたり(11)、認定発表のイベントを東京駅のホテルで行ったりするなど、認知度の向上・PRに努めているが、効果の判定が難しい事業だけに息の長い取り組みが求められる。
繰り返しになるが、日本遺産はあくまで文化庁の事業であり、ユネスコの世界遺産のような恒常的な制度ではない。予算がつかなくなれば、それで終了となる。「平成32年(2020年)までに文化財を中核とする観光拠点を200箇所程度整備する」という国の目標もあるが(12)、「地域の文化資源等を活用した観光の振興」の姿は目標の2年前になってもはっきり見えてこない。
「行政事業レビュー」などでも指摘されていることだが、事業自体の設計にややあやふやな面がある。事業を立ち上げた時点では、認定の基準は公表されておらず、どのような形で事業を評価するかも決まっていなかった。事業開始から3年が過ぎた時点でフォローアップ策を立ち上げるなど、対応が後手に回っているような気がする。一時的な観光の振興策としては盛り上がるかもしれないが、息の長い取り組みが必要な街づくりへの視点が欠けているという声もある。
文化政策の研究を専門とする東京大学大学院の松田陽准教授は、日本遺産と、経済産業省が10年ほど前に行った「近代化産業遺産」の認定事業との類似性を指摘する。「近代化産業遺産」の認定事業は2007年から2009年にかけて行われ、計66件の「近代化産業遺産群」が認定された(13)。この事業は、産業の近代化を物語る遺産群を組み合わせて「ストーリー」をつくり、その「ストーリー」を審査し、「近代化遺産群」として認定していることや、地域の活性化に役立ててもらうことを目的に創設された点などをその理由に挙げている。認定はしたものの、その後の「フォローアップ」は十分行われているとはいいがたいと面があるとした上で、「単なる観光振興策であれば、認定時は効果があったとしても、ブームが過ぎれば忘れ去られる存在になってしまう。日本遺産も同じ道を歩む可能性がある」と指摘している。
とはいえ、日本遺産は、文化財の保存から活用にかじを切った文化庁の重要な政策・事業であることに変わりはない。日本遺産という“ブランド”を保つためには、100件程度の認定が妥当という意見もあり、2020年には事業そのものが終わるのではないかという見方もある。しかし、わずか数年で事業の成果が表れるとは限らない。むしろ難しいのではないか。文化庁が一応の目安としている2020年が過ぎても日本遺産の事業が継続することを願う一方、補助が終わった案件についても、文化庁の継続的なケア・フォローが行われることに期待したい。
公開日:2019年2月12日最終更新日:2019年2月13日