文化財「活用」のすがた ② 城の「復元」
特別史跡 名古屋城 天守閣 (愛知県名古屋市) 提供 名古屋市観光文化交流局名古屋城総合事務所
文化財の活用のすがたを通して、今後の文化財の在り方を考えるシリーズ、2回目は、城郭など、歴史的な建物の復元について取り上げる。
「城ブーム」ふたたび
いま「城」が人気だという。各地の城跡を訪れる人が増え、書店の歴史コーナーに城郭の関連書籍が並ぶ。天守などを再建しようという動きも後を絶たない。この「城ブーム」の実態を探ろうと、2018年12月、横浜市で開かれたイベント「お城EXPO2018」の会場を訪ねた。3日間開かれたこの催しには、近世・中世の城があった自治体や城関連の商品を扱う企業など80団体が出展し、6階建ての建物をフルに使って、城に関わるさまざまな企画が行われた。特に賑わっていたのは「城めぐり観光情報ゾーン」で、自治体や観光協会などがブースを設け、城観光のパンフレットを配ったり、甲冑の着用体験を行ったりして、地域の魅力を懸命にアピールしていた。
お城EXPO2018・城めぐり観光情報ゾーン 著者 撮影
また、別のフロアでは、城跡から出土した金箔瓦やジオラマなどが展示され、ホールでは、著名な研究者の講演なども行われていた。
歴史関係のイベントというと、参加者の大半が中高年というケースが多いが、この会場では、家族連れや若者の姿も数多く見られた。城に関するワークショップやセミナーだけでなく、グッズの販売や「ゆるキャラ」のショーなど、盛りだくさんの企画があったからかもしれないが、会場の賑わいぶりは相当なものだった。「お城EXPO」は有料のイベントで、2016年から開催され、3回目の2018年は、最多の2万人余りが訪れたという。
イベントの実行委員長を務めた歴史学者の小和田哲男氏は「城というのはマニアのものというような印象だったかもしれないが、こうしたイベントなどを通じて、(城愛好者の)裾野の広がりを感じる」と話していた。私が訪れたのは、雨が降る寒い日だったが、会場目指してやってくる“城好き”の多さ、催しを楽しむ姿などから「城ブーム」のただなかにあることを強く感じた(1)。
「城ブーム」は、城を訪れた人の数からもうかがえる。城に関する様々な情報を発信している「城攻団」のデータをもとに、各地の城の“入城者”数を調べた。2016年(2016年度も含む)と2017年(2017年度も含む)で比較が可能な63城の“入城者”数を計算したところ、2016年が26,669,935人、2017年が28,289,486人で、約6%増加していた(2)。
“築城”もブーム?
“築城”の話題も事欠かない。「城ブーム」や国のインバウンド(訪日外国人旅行)誘致戦略、文化財「活用」への積極策が影響したからだろうか、ここ数年、城郭、とりわけ天守を“復元”しようという動きが活発になっている(3)。
その中で特に注目を集めているのが、特別史跡・名古屋城。名古屋市は、本丸御殿に次ぎ、天守を木造で再建する計画を進めている。これは市長の「公約」で、2022年末の竣工を目指しているという。そのためには、60年前(1959年)に再建された鉄筋コンクリート造の天守を解体する必要がある。現天守は特別史跡の上にあり、解体工事を行うためには文化庁の許可が必要だが、石垣の保全を検討する有識者会議から「工事の影響についての調査が不十分」などと批判が相次いだ。こうした中、名古屋市は現天守の解体の許可を先に申請して、木造復元は後にする方針を示し、2019年度の当初予算案に解体工事のための準備費9億円余りを計上、4月19日には、文化庁に解体の許可を求める申請を行ったと発表した。申請では、現在の天守は耐震性が極めて低く危険な状態だとして解体の許可を求める一方、木造での復元計画については触れていない。また、解体による石垣への影響について、「軽微」という市の認識を示すとともに、石垣保全の有識者会議から「工事計画の推進は容認できない」という意見が出されていることも記載されている。この申請は、5月の文化審議会で審議される見通しだが、「石垣の整備方針をはっきりさせた上で議論すべき」などという意見もあり、先行き不透明な状況が続いている。また、バリアフリーへの対応をめぐって、市民団体から抗議を受けるなど、問題が数多く残る。
織田信長が築いた「安土城」を“復元”しようとする動きも出ている。滋賀県の三日月知事は、2019年の年頭記者会見で「安土城の復元に向けて、知恵と力が集められるよう、本格的に集め始めていきたい」と発言、城の“復元”に向けた調査研究を行う考えを示した。このため、県の当初予算に必要な経費を計上、復元に向けた課題の洗い出しや調査方法を検討しようとしている。安土城をめぐっては、これまでも復元に向けた動きがあったが、海外に調査団を派遣しても必要な史料が得られず、計画は進んでいない。そうした中、“復元”に向けた動きが再び活発化している背景には、いまの「城ブーム」に加え、2020年に戦国武将・明智光秀を主人公にしたNHKの大河ドラマが放送されることなどで、観光客の誘致に力を入れたいという思惑があるとの指摘がある。
このほか、北海道南西部・松前町にある国の史跡・松前城で、鉄筋コンクリート造の天守を解体して、木造で再建する計画も打ち出されている。町では整備計画を2020年度中にまとめる計画だが、事業費が約30億円という試算もあり、費用の確保などが問題となっている。
国史跡 松前城(北海道松前町) 提供 松前町郷土資料館
城の「復元」の歴史
天守をはじめとする城の復元の動きは、戦前・戦後から現在に至るまで続いている。ひとつのピークは、昭和30年代から40年代前半(1950年後半~1960年後半)にかけてだろう。戦時中の空襲で失われた城(天守)をまちの「復興のシンボル」として復元(再建)しようという動きが各地で見られた。名古屋城や広島城、岡山城などがこれにあたる。これらは外観中心の復元で、鉄筋コンクリート造で建てられた。この中には、資料不足ため、他の城を参考に建造された天守などもある。こうした動きと合わせて、観光・地域振興を主な目的とした城もつくられていった。なかには、存在すら定かでなかったり、本来とは異なる場所に建てたりした天守などもある。バブル期に建てられたものも多い。
90年代以降になると、本物志向などもあり、法的規制をクリアした上で、木造で天守を再現するケースが登場する。そして、近年の「城ブーム」、国のインバウンド戦略などを背景に、「築造」の動きが再び活発になっている。
その一方、50年前、60年前に建てられたコンクリート造の天守が「耐用年数」を超える状況となり、そのまま耐震補強をするか、新たに建て直すとかいった問題が顕在化するようになった。
「歴史的建造物」の復元の在り方検討
こうした天守をはじめとする「歴史的建造物」の復元の動きに対し、文化庁は2018年11月、建築や文化遺産などの研究者8人でつくる作業部会(ワーキンググループ)を設置し、復元にあたっての国の方針・考えを示すための検討を開始した。検討の対象は、「復元建造物、外観を似せたもの(模擬)など」で、中でも天守については、「外観復元天守や模擬天守」などと呼ばれるものや、「戦災による焼失や滅失した建造物を復興した復興建造物」も対象にするとしている(4)。
では、この作業部会が扱う「歴史的建造物の復元」とはどういった行為なのか。文化庁は、「今は失われて現位置に存在しないが、当時の規模、構造、形式より遺跡の直上に建築物そのほかの工作物を再現する行為」と規定している。
「復元」のメリット、デメリット
そのような「歴史的建造物」を復元するメリットは何か。文化庁は次の3点を挙げる。▼今は失われた当時の建造物及び構造物等の姿を人間の五感で体感できることが可能になる▼設計及び施工の過程において、地下遺構の発掘調査だけでは得ることのできなかった新事実のみならず、それらを踏まえた遺構に対する新たな解釈が生まれる可能性が大きい▼史跡等における新たな風景づくりの観点から、復元展示された建造物及び構造物等は空間内の主要な眺望対象(ランドマーク)として、重要な視覚的な核となり得る、という。
その一方、▼来訪者に示される情報が極めて直截的であるために、来訪者が史跡等に対して描く像がひとつに固定化されてしまう▼現地において復元展示する建造物及び構造物等が1つであるのに対し、考古学的事実及び建築史学の観点から総合的に導き出される解答は決して1つではない▼長い年月にわたって醸成されてきた史跡等の景観を、新たな建造物及び構造物等を建設することにより決定的に変えてしまう、以上の3点をデメリットとしている(5)。
いずれにしても、「史跡等の中心的建物については、その史跡等の特徴を最も端的に表す可能性が高く、細部の意匠及び構造、様式等に顕著な特徴を持つ場合も想定される。それらの特徴を特定するためには長期間にわたる精度の高い調査研究が要求されるだけでなく、特定そのものが極めて困難である場合も多いことから、これまで、このような中心的建物の復元については、極力差し控えることとされてきた」のがこれまでの文化庁の対応だった(6)。
「復元」には厳格な基準
こうした「歴史的建造物」の復元に対して、文化庁は「基準(指針)」を設けて、認可するかどうかの判断をしてきた。「基準」では、「歴史的建造物等の復元が当該史跡等の正しい理解にとって支障となるものではないこと。例えば、存在・形態等に関する根拠が薄弱なもの、当該史跡等の有する歴史的意義との係わりが薄いもの等の復元は許容しない」(7)。また、「その(歴史的建造物)位置、規模・形式等につき、十分な根拠があること」としたうえで、近世の建造物を復元するための根拠として「指図・絵画・模型・記録等の史料で精度が高く、良質なもの」などが必要とされた(8)。
この「基準」は、1991年(平成3年)に設置された文化庁の「史跡等のおける歴史的建造物の復元の取扱いに関する専門委員会(通称、復元検討委員会)」がまとめたもので、これをもとに歴史的建造物の復元を許可するかの判断を行ってきた。
変わる「基準」の位置付け
歴史的建造物の復元に対して“厳格”だった文化庁の姿勢も、ここ数年、変化の兆しを見せている。奈良の平城宮跡の大極殿など、史跡の中心にある建造物の「復元」が行われたこともあり、2015年に文化庁の認可「基準」の一部が改訂された。この中では、「復元を許容するか否か」の指針としてきた“厳格な基準”を、「復元が適当であるか」を判断するための“緩やかな基準”に位置付けるなど、表現を改めている。
さらに、2017年12月、文化審議会がまとめた「文化財の確実な継承に向けたこれからの時代にふさわしい保存と活用の在り方について(第1次答申)」の中で、歴史的建造物の復元の在り方についての見解が示された。答申では「史跡における復元建物(注・史実に忠実に復元した歴史的建造物)は、史跡の本質的な価値を構成するものではないが、その価値を広く知ってもらうためのものであり、適切に行われるのであれば、文化財の積極的な活用に資するものである。例えば史跡に存在する鉄筋コンクリート造天守の強度の問題や、天守復元の動きなど、地方公共団体の実態を含め全国的な動向を把握した上で、復元建物の在り方について積極的に調査検討することが必要である」とされた(9)。
この「答申」からは、文化財の積極的な活用をはかるために、史跡に歴史的建造物を復元する方法も有益だという考えがうかがえる。先に紹介した「作業部会」は、この答申を受けて設置されたもので、2018年度は3回開催された。2019年度も継続して審議が行われる。
作業部会の検討項目
2019年1月に開かれた3回目の作業部会では、
・復元等された歴史的建造物は、国民が文化財の価値を享受することにつながるもの
・復元に当たって、史跡の遺構を破壊しないということは前提
という認識で議論を進めることを確認した。
その上で、▼「復元」についての基本的な考え方、▼整備の目的、▼整備(再建)された建物の評価(位置付け)の3点を中心に、今後、検討を行うことを確認したという。
このうち「復元」等についての基本的な考え方については、
・史跡の価値や歴史事実を伝えていくため、復元は史跡全体を視野に入れて丁寧に考えなければならない
・国際的には、「修復の目的は、オリジナルな材料と確実な資料に基づく」必要があり、「推測による修復を行ってはならない」(ベニス憲章第9条)としながらも、各国では 復元はやむをえない場合もある
・国内でも、国際憲章等に示された考え方を尊重しつつ、発掘調査の成果や信頼性のある史資料等を根拠とし、多角的で十分な分析及び検討を踏まえて復元を実施している
などという委員の意見を踏まえ、文化庁の「基準」が示す“復元のあり方”を維持する方向で、現在、議論が進められている。
また、整備の目的については、
・復元が適切に行われるのであれば、文化財の積極的な活用に資する
・現存しない歴史的建造物の整備について、史跡を正確に理解するための価値に加え、どのような意義が付与されてきたか明らかにすべき
・外観は忠実に復元する一方で、内部の意匠・構造を変更して、建築物などを再現する行為をどのレベルまで認めるか
などという意見をもとに、▽現存しない歴史的建造物を整備する意義や史料などが不十分
な場合の整備の在り方、▽概観のみ忠実に再現する整備(復元的整備)を行う際、類似の
建造物などを参考に整備することがどこまで許されるか、▽それを類型化する必要がある
かといった点について、検討が進められている。
さらに、整備(再建)された建物の評価(位置付け)については、
・再現された歴史的建造物は文化財保護法上直ちに文化財として扱われるわけではなく、史跡等の価値を伝えるための手段としての複製品と捉えられる。
・一定の年数が経過した後、当該の建造物が文化財として評価されることはあるものの、後の時代にどのように評価されるのかを現時点で判断することは困難
などという意見を踏まえ、▽史実に忠実に復元された建物をどのように捉えるか、▽史実に忠実である程度に応じて、再現された建造物に何らかの価値を持たせるか▽忠実な「復元」ではない場合、それをどのように明示し、正しい価値の理解につなげるか▽復元した建物の維持方法などの点について、議論を行っている (10)。
文化庁は、こうした検討の結果をとりまとめ、2019年の秋にも、天守などの歴史的建造物を復元する際の考え方について、中間報告を行いたいとしている。鉄筋コンクリート造の天守の老朽化への対応については、中間報告がまとまった上で、検討する方針だという。
「復元」を進める上での課題
天守などの「歴史的建造物」の復元は、文化庁が積極的に進める文化財の活用策の中で、重要なものとなりそうだ。しかし、各地の天守の再建をめぐる動きなどを見ると、さまざまの課題が浮かび上がってくる。
例えば、兵庫県にある尼崎城。尼崎城は、2018年11月、コンクリート造の天守が“再建”され、2019年3月末に一般公開された。天守は、本来の天守があった場所に近代建築物(歴史館として活用予定の校舎など)が残されていることもあり、北西に300メートルほど離れた公園地内に“再建”された。鉄筋コンクリート造、5階建ての建物は、外観の「再現」が中心で、地元出身の家電量販店チェーンの創業者が約12億円をかけて建設、尼崎市に寄付したという。「天守」を譲り受けた市は、「尼崎の歴史文化に触れ・学ぶことができる施設」として活用、展望室や忍者衣装の体験コーナーなどが設けられている。ただし、土地の制約もあって、天守を含む本丸が再現された範囲は、当時の4分の1にとどまり、また、動線上の都合から、本丸の配置が180度変わっている。こうした整備方法について、研究者や歴史ファンなどから、「史実とかけ離れた整備」と、批判の声があがっている。尼崎市は「そうした意見があるのは承知しているが、大方の市民は好意的に受け止めている。城は文化財として再建されたのではなく、市民に活用してもらうための施設と位置づけている。観光資源としても期待できる」と話している。その一方、「建物の評価については、功罪両面からの検証が必要」という市の関係者の声もある。
「復元」に対する国の許可基準が“厳格な”ことがネックだという指摘もある。高松市にある国の史跡・高松城。豊臣秀吉の家臣、生駒親正が建てた城で、市では、明治初期に解体された天守を復元しようと、資料の収集や調査を進めている。これまでに行った発掘調査の結果や、集めた解体前の写真・当時の文献などから、外観を忠実に復元できる資料はそろったとしている。しかし、内部構造を把握するための古写真や図面などがなく、市は3000万円の懸賞金を用意して、市民から資料の提供を募っている。募集は2016年からはじめたが、いまのところ、有力な手掛かりは得られていないという。そうした中、高松市は2018年8月と2019年1月の2回、文化庁を訪ね、天守の再建を許可するための国の基準を緩和するよう、申し入れを行った。担当者は「100%忠実に再現することはできないにしても、内部構造の推定ができる資料はそろっている」として、歴史的建造物の復元の在り方を検討している文化庁の作業部会の議論の行方に注目している。
尼崎城(兵庫県尼崎市) 提供 尼崎市経済環境局経済部経済活性課
城の「復元」・活用とは?
学問的にも、技術的にも正しい手続きで天守などの建造物を再現することは、歴史への関心や地域への愛着を高めるという点で、まっとうな手段の一つと思う。しかし、最近の天守の「復元」の動きなどは、歴史云々というより、観光・地域振興の側面がばかりが強調されているように思える。文化財の保存活用、史跡の整備などにあたる矢野和之氏(文化財保存計画協会代表取締役/日本イコモス国内委員会事務局長)は「城郭を再建する場合は、誤った情報を与えないよう、極力忠実であるべきだと思う。まちづくりや観光の目的で城を再建しようという考えは否定しないが、技術的・学問的にしっかりと議論する必要がある」と話す。
文化財行政については、教育委員会の所管で、過度な開発への抑制など、一定の歯止めの役割を果たしてきた。しかし、文化財保護法が改正され、2019年度からは、文化財保護の事務が首長部局に移管できるようになった。新聞報道によると、6県(静岡、岐阜、奈良、徳島、佐賀、鳥取)の文化財行政部門が、新年度から知事部局に移管することにしたという(11)。文化財の活用・経済効果のみを重視する首長らが、歴史的建造物の復元計画を強引に進めることはないのか、近年の城ブームや文化財「活用」の積極的な動きを背景に、天守などの再建が「前のめり」にならないか、今後の動向を注視していきたい。
公開日:2019年5月8日