動向
世界文化遺産になった秋田県の縄文遺跡を訪ねて(後編)
世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産 大湯環状列石(秋田県鹿角市)撮影:筆者
『世界文化遺産になった秋田県の縄文遺跡を訪ねて』後編では、世界文化遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産になっている秋田県の大湯環状列石(鹿角市)、伊勢堂岱遺跡(北秋田市)の2遺跡をどのように保存・活用して行けばよいのかについて、訪問時に思ったこと、気づいたことなどを交えながら考えてみたい。
現地を訪ねて①:大湯環状列石(鹿角市)
大湯環状列石に到着したのは、10月下旬の夕方4時だった。バスから降りると、目の前に開けた台地が広がっていた。展示・ガイダンス施設(大湯ストーンサークル館)を訪れた後に現地を見学した方が理解が深まると思ったが、公開の終了まで残り30分ということで、まず遺構から見学することになった。現地では、2つの環状列石の間に県道が通っていた。世界遺産登録後、秋田県はこの道の移設を表明し、迂回ルートの設定などに向けた準備を進めているという。市民の生活道路になっているとのことだが、遺跡の景観の保護という点では好ましいことと思った。
大湯環状列石(万座環状列石) 撮影:筆者
“お目当て”の環状列石は、道路からそう遠くないところにあった。中に進んで行くと、広場のような一角に、石の密集した箇所がいくつも見えた。中には直立した石もある。何の意図で石を集めたのだろうか。当時の人たちの行為について、あれこれと思いを巡らせてみた。案内をしていただいた大湯ストーンサークル館の赤坂朋美さんによれば、遺跡の雰囲気を大切にするために解説版・看板の類はあえて少なくしているのだという。ここでは遺構を見学するだけではなく、周囲の景観も楽しむべきと思った。やや残念だったのは、石の6割が淡い緑色をした「石英閃緑ひん岩」と説明されたものの、黒ずんでいるように見えるものが多く、本来の色を確認することができなかったこと。石が黒くなっているのは、カビや地衣類の影響ということだが、頻繁に薬品を使えば、石材に影響を及ぼしかねず、悩ましい問題のようだ。遺構の実物を見せる上での課題のひとつだろう。赤坂さんによれば、冬期(11月~4月)になると遺跡を閉鎖し、遺構は雪に埋もれてしまうとのことだが、春先に凍結した土が溶け始めると、石が浮いてしまうおそれがあり、石が傾いたり、動いたりする可能性も否定はできないという。遺構の図面は細かくとってあるということだったが、市による3次元測量はこれからの課題としている。一帯を現在の姿に整備したのは20年前という。当時は無理だったものも、技術の進歩で解決できることがあるのではないか。遺跡の今の状況を見て、遺構の保存のために必要な処置・調査は、この機会に改めてしておくべきではないかと思った。
現地を訪ねて②:伊勢堂岱遺跡(北秋田市)
伊勢堂岱遺跡を訪ねたのは、別の日の午前だった。広い駐車場にバスを止め、まず展示・ガイダンス施設の「縄文館」に向かった。館内で女性のグループを複数見かけ、世界遺産の登録で遺跡の注目度が上がっていると感じた。この施設は2016年に開館し、今年9月、入館者が5万人を超えた。ロビーには、遺跡を紹介する動画を見てもらうための大型モニターが設置され、展示室の入り口には、遺跡のマスコットになっている土偶の大型模型が掲げられていた。ここで記念写真を撮る見学者も多いという。展示室の中は、大湯環状列石の「ストーンサークル館」と同様、遺構の説明パネルや出土した遺物などが並べられていた。一角には、様々な形の土偶を集めたコーナーがあり、「人気投票」も行われていた。比較的小さな施設だが、遺跡について楽しく学ぶことができるのではと思った。
伊勢堂岱遺跡「縄文館」に展示されている土偶と「人気投票」のボード 撮影:筆者
遺跡は2001年に国の史跡に指定され、一帯の整備が行われた。ガイダンス施設や駐車場は、遺構から見えないよう、森の外に設置された。すぐ近くに高速道路(秋田自動車道)が通るが、遺跡付近はトンネル方式にするなど、随所に景観への配慮がされている。全国でここだけという4つの環状列石は見応えがあったが、私が特に注目したのは、「縄文館」の近くにあるコンクリートの構造物だった。学芸員の榎本剛治さんによると、この構造物は、道路の橋脚として造られたものだという。遺跡は、1998年に開港した空港(大舘能代空港)のアクセス道路建設に伴う発掘調査で確認されたもので、計画ルート上で環状列石が見つかった。調査が進むうちに遺構の数が増え、地元住民などから遺跡の保存を求める声が高まりを見せたとのこと。このため秋田県は道路計画を中止し、1996年、遺跡の保存を決断する。橋脚はその当時の名残だという。橋脚は現在3基残っているが、これらが何かを説明するものは、園路の片隅に設置された小さなプレートだけだった(画像)。遺跡には不釣り合いな構造物だが、撤去する計画は今のところないとしている。一部は橋脚の前を整地してイベント広場として活用されているが、遺跡と開発との関係、保存の歴史を示す「モニュメント」として、もっとPRしてもよいのではないかと感じた。
伊勢堂岱遺跡に残る橋脚(右下の画像は説明板)撮影:筆者
世界遺産登録を受けた地元の動き
世界遺産登録を受けて、4道県は、10月22日の「知事サミット」で「世界文化遺産『北海道・北東北の縄文遺跡群』を活用した世界に選ばれる北海道・北東北三県の実現」と題する行動宣言を採択した。宣言では、▸縄文遺跡群を未来に継承する取組として、①遺跡群の一体的な保存管理の実施、②遺跡群の価値を伝える取組の推進、③保存、活用の担い手の育成を掲げた。また、▸縄文遺跡群を活用した活力のある地域づくりについて、①遺跡群を核とした地域の魅力づくりに向けた取組の推進、②遺跡群を核とした広域周遊観光の推進、③受入環境の充実に向けた取組を進めるし、国に対し、こうした取り組みへの支援を改めて求めた※1。青森県と北海道では、世界遺産登録を前に、縄文遺跡群を地域づくり、観光などに活かすための指針を策定しており、今後、様々な施策が展開されるだろう。秋田県でも10月下旬から11月にかけて、県や地元自治体、関係団体との「連絡会」を開き、2つ遺跡を活用するための「基本構想」の策定に向けた協議を進めている。大湯環状列石がある鹿角市では、今年度(2021年度)、文化庁の「Living History(生きた歴史体感プログラム)」促進事業の対象に選ばれ、縄文時代の食やまつり、暮らしを体験するプログラムを開発するために、1億円余りの補助を受けることになった。北秋田市でも伊勢堂岱遺跡をさらに活用するための取り組みが今後展開されるだろう。世界遺産の登録をまちづくりや観光に活かそうという地元の取り組みはこれからが本番といえる。
伊勢堂岱遺跡 撮影:筆者
「世界遺産」秋田県の縄文遺跡のこれから
縄文遺跡群の世界遺産登録が決まった7月は、東京に4回目の「緊急事態宣言」が出されるなど、新型コロナウイルスの影響が続いていた。東京オリンピックが開かれていたこともあり、東京で暮らす私にとって、縄文遺跡群の世界遺産登録のニュースは、比較的地味な扱いだったように思えた。この稿の執筆時点で(2021年11月)、コロナ感染は全国的に沈静化する傾向を見せているが、海外からの旅行客をはじめ、人の移動が本格化するのは、当分先になるだろう。これからの季節、遺跡には雪が積もり、展示施設を除いて見学は難しくなる。こうした状況では、世界遺産登録直後の効果は、あまり期待できないかもしれない。ここは「体力温存」、「充電の時期」と割り切り、じっくりと腰を据えて、遺跡の保存や整備、活用に向けた取り組みを進めるべきだろう。
これまでの例を見ると、世界遺産に登録された地域の経済的な効果は一時的なものが多い。「縄文遺跡群」のような複数の地域の文化遺産で構成される「シリアルノミネーション」の世界遺産では、認知度の高い遺産に来訪者が集中する傾向もみられる。縄文遺跡群では、青森県の三内丸山遺跡と大湯環状列石の2遺跡が国の特別史跡に指定されているが、三内丸山遺跡への来訪者が年間約30万人なのに対して、大湯環状列石は約1万7,000人と、大きな差がある。他の構成資産の来訪者についても、整備状況や交通アクセスなどの関係で、年間1,000人以下から2万人と様々。こうした状況は、世界遺産に登録されたからといって劇的に変わることはないだろう。秋田県の2つの遺跡は、地下の遺構の上に建物などを復元して整備している遺跡とは異なり、実物を公開しているのが特色だが、近くに飲食や買い物ができる場所がなく、交通も車以外でのアクセスは十分とはいえず、観光面では課題が多いように見受けられる。
伊勢堂岱遺跡から白神山地をのぞむ 撮影:筆者
遺跡の保存を含め、世界遺産の効果を持続させるためには、地域の魅力を高めていくことが必要といわれる。今回、秋田県北部を訪れて気づいたのは、大湯環状列石と伊勢堂岱遺跡以外にも数多くの魅力的な文化遺産があることだった。奈良時代が起源とされる「舞楽」や江戸から昭和にかけて盛んに銅が採掘された鉱山跡などもある。それぞれ興味深いのだが、地域の歴史の中でそれぞれがどのようにつながっているのか、その「ストーリー」を理解することができなかった。世界遺産やまちづくりに詳しい京都府立大学の宗田好史教授は「日本の考古遺跡は、現代とかけ離れた存在と思われがちで、一度訪れたら満足という人が多い」と述べる。「その地域の環境や景観、文化と深くつながっているはずで、単なる観光資源と捉えるのではなく、多くの人が住みたくなるような地域づくりに役立つ財産として守り・生かしていくべきではないか」と遺産を取り込んだ魅力あるまちづくりの必要性を訴えている。
世界遺産登録をきっかけにこの地域がどのように変わっていくのか、これからも見続けていきたい。
(記・2021年11月16日)
最終更新日:2021年12月2日