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動向

世界文化遺産になった秋田県の縄文遺跡を訪ねて(前編)

柳澤 伊佐男 / ISAO YANAGISAWA

NHK放送文化研究所 メディア研究部 副部長

世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産 大湯環状列石(秋田県鹿角市)撮影:筆者

はじめに

初めてオンラインで開催されたユネスコの世界遺産委員会から3か月たった10月下旬、国内で20番目の世界文化遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群(以下、縄文遺跡群)」を視察する機会があった。訪れたのは秋田県。秋田県から声をかけていただき、「縄文遺跡群」の構成資産である大湯環状列石(鹿角市)と伊勢堂岱遺跡(北秋田市)の2つの遺跡を視察するツアーに参加した。他にも訪問地があり、それぞれに滞在したのは1、2時間程度だったが、実際に遺跡を見て、担当者から直接話を聞いたことで、さまざま気づくことがあった。今後この2遺跡をどのように保存・活用して行けばよいのかについて、世界遺産としての価値も確認しながら、前編と後編、2回のレポートで考えてみたい。

世界遺産になった「縄文遺跡群」

まず、「縄文遺跡群」に、世界文化遺産としてどのような価値があるかを確認してみる。「縄文遺跡群」は、北海道、青森県、秋田県、岩手県の4道県にある縄文時代の17の遺跡で構成されている。ユネスコに推薦するにあたって、国や地元自治体は、遺跡群を「北東アジアにおいて1万年以上の長期間にわたり継続した採集・漁労・狩猟による定住の開始、発展、成熟の過程及び精神文化の発達をよく表しており、農耕文化以前における人類の生活の在り方を顕著に示す物証」とした上で※1、「こうした狩猟採集による定住社会における集落構造の変遷について物証をもって確認することができるのは、本資産をおいて他にはない」と主張した※2。2年ぶりの開催となった今年(2021年)7月の世界遺産委員会で縄文遺跡群は、「先史時代における農耕を伴わない定住社会及び複雑な精神文化を示している」ことと、「定住社会の発展段階や様々な環境変化への適応を示している」ことに“顕著な普遍的価値“があると評価され※3、前日、自然遺産に登録されることになった「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」に続く国内25番目の世界遺産への登録が決まった。

「縄文遺跡群」の世界遺産登録の取り組みは、2003年9月の「北海道・北東北知事サミット」で合意された「北の縄文文化回廊づくり」が発端とされる。北海道・北東北の4道県が連携の在り方を探る中で、「縄文文化遺産などの価値を見直し、地域間交流や情報発信を行い、世界遺産登録も視野に入れて、この地域を「北の縄文回廊」として内外にアピールしていく」ことになり※4、フォーラム開催や交流会議といった取り組みが行われた。

世界遺産登録までに14年

4県の足並みは、当初からそろっていたわけではなかった。文化庁が世界遺産の候補を自治体から提案で選ぶと表明したのを受けて、青森県は2005年10月、特別史跡の三内丸山遺跡をはじめとする「青森県の縄文遺跡群」で世界遺産登録を目指すことを表明、秋田県も翌年(2006年)11月、「ストーンサークル」を世界遺産の候補にしてもらうよう国に提案した。文化審議会は2007年1月、青森・秋田両県の提案について、「縄文文化」の定義及び世界史上における位置付けの明確化が必要で、青森・秋田以外の「広域に所在する同種・同時代の諸要素の選択に対する検討」も必要として、それぞれの提案を「継続審議」にした※5。そこで4道県は同年8月の知事サミットの際、共同で提案を行うことで合意、4道県の15遺跡で構成する「北海道・北東北の縄文遺跡群」を提案する。この共同提案は、2008年9月の文化審議会で「暫定遺産一覧表に記載することが望ましい」と評価され※6、翌年(2009年)1月、「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」が、世界文化遺産の暫定一覧表(リスト)に正式に登録される。その一方、文化審議会から「他の地域の遺跡群を資産に含めることについて検討」するよう課題を与えられたことや、日本列島各地に縄文遺跡がある中、北海道・北東北の遺跡でなければならない理由の説明に時間を要したこともあり、提案から14年かかって、今年ようやく世界遺産に登録されることになった。

秋田県の2遺跡は「環状列石(ストーンサークル)」

今回訪れた大湯環状列石伊勢堂岱遺跡は、どのような遺跡なのか。2つの遺跡はともに、「環状列石」という遺構が主体になっている。環状列石は、人の頭くらいの石を並べた「配石遺構」が環状・円形に配置された遺構のことで、「ストーンサークル」とも呼ばれる。「環状列石」は、縄文時代後期から晩期にかけて、約4,000年前から3,000年前に、岩手・秋田両県の北部から青森県、北海道の南部にかけて分布していたといわれる。

特別史跡・大湯環状列石(画像右が「野中堂」左が「万座」環状列石) 出典:JOMON ARCHIVES

大湯環状列石は、秋田県北東部の鹿角市にある。JR鹿角花輪駅から北に10キロほど離れた大湯川沿いの台地に、県道を挟んで東側が「野中堂」、西側は「万座」と呼ばれる2つの環状列石が見つかっている。縄文時代後期(約4,000年~3,500年)のものとされる。発見は1931年と古く、1956年に国の特別史跡に指定されている。大小さまざまな川原石を組み合わせた「配石遺構」がいたるところにあり、上空から見ると、2重の輪のような形に広がっている。2つの環状列石は、形状がよく似ており、それぞれ関連して設けられた可能性が高いとされる。万座環状列石の最大径は 52m、野中堂環状列石の最大径は44mになる。2つの遺構を合わせた石の数は確認できるだけで8,500個に及ぶという。それぞれの“2重の輪”の間には、柱のように直立した石とその周囲に石を並べた「日時計状組石」と呼ばれる遺構もある。石の周りには、掘立柱建物や貯蔵穴、土坑墓などが配置され、土偶や土版、石棒、石刀といった遺物が多数出土している。特殊な遺構や遺物が見つかっていることから、祭祀・儀礼のための施設ではないかと見られている。墓地として利用されたという見方もある。2つの環状列石の中心の石と「日時計状組石」を結んだ線が夏至の日没方向とほぼ一致することから、太陽の運行を意識して構築されたとする意見もある。

史跡・伊勢堂岱遺跡  出典:JOMON ARCHIVES(北秋田市教育委員会撮影)

伊勢堂岱遺跡は、大湯環状列石から西に約50キロ離れた北秋田市にある。米代川近くの見晴らしのよい台地の上に、縄文時代後期(約4,000年前~3,700年前)の4つの環状列石が隣接して見つかった。いずれも直径30メートル以上で、最大のものは直径が約 45mになるが、それぞれ形が異なる。環状列石が4つも集中しているのは、この遺跡のほかはないという。石の下からは土坑墓が検出され、墓地と祭祀場を兼ね備えた空間と考えられている。こちらも石の周囲に掘立柱建物や貯蔵穴が同心円状に配置され、土偶や動物形の土製品、石剣など、祭祀・儀礼に使われたとみられる遺物が数多く見つかっている。近くに環状列石が見つかっていないことから、広域の複数の集落の住民によって構築され、維持・管理されたのではと考えられている。

「世界遺産」における遺跡の位置づけ

この2つの遺跡が「縄文遺跡群」の世界遺産としての価値にどのように関わっているのだろうか。冒頭にも述べたが、「縄文遺跡群」は北海道・北東北にある17の遺跡で構成されている。その1つ1つに“顕著な普遍的価値”があるのではなく、17の遺跡で語る「ストーリー」に世界遺産としての価値があるということになる。4道県による登録推進事務局で中心的な役割を担ってきた青森県世界文化遺産登録推進室の岡田康博さんは、縄文遺跡群は「北東アジアにおいて、採集・漁労・狩猟を基盤とした定住を1万年以上の長期間継続した世界的にも稀有な資産であり、たぐいまれな精神性を含む生活の在り方及び自然環境の変動に応じて変容させた集落の立地と構造を示し、農耕以前の人類の生き方を理解する上で貴重」と記している※7。この“ストーリー”を物語る証拠が17の遺跡ということになる。縄文時代は約1万5,000年前にはじまり、約2,400年前まで続いたとされる※8

一般的には草創期から早期、前期、中期、後期、晩期の6つの時期に区分されるが、「縄文遺跡群」では、時代区分を定住の変遷過程に置き換えている。1万年あまりの時代を、定住の「開始」と「発展」、「成熟」の3段階(ステージ)に分類、それぞれを「前半」と「後半」に分けて、この6つのステージにあてはまる遺跡を示した(図1)。そのことで、「環境適応、集落構造と立地、祭祀・儀礼のあり方などが切れ目なく説明できる」としている※9

図1 「縄文遺跡群」の集落展開及び精神文化に関する6ステージ 出典:縄文遺跡群世界遺産登録推進事務局ウェブサイト(https://jomon-japan.jp/learn/jomon-prehistoric-sites-in-northern-japan)

秋田県の大湯環状列石と伊勢堂岱遺跡の2遺跡は、定住が「成熟」する段階、ステージⅢの「前半」にあてはめられている。この段階の「遺跡群」について岡田さんは、「縄文時代後期の一時的な冷却化によって集落が小規模となり、拡散・分散するが、集落外に青森県小牧野遺跡、鹿角市大湯環状列石、北秋田市伊勢堂岱遺跡などの大規模環状列石が出現する。これらは墓地であるとともに祭祀・儀礼の場でもあった。複数の集落によって維持管理される施設であり、地域社会の成熟を示す」と説明している※10

世界遺産登録にあたり、1万年余り続く縄文時代の中で、「地域社会の成熟を示す」段階と位置付けられた秋田県の2遺跡。今後、どうやって保存・活用して行くべきなのだろうか。後編では、現地での体験、気づいたことを交えながら、こうした点について考えてみたい。

 

【文末注記】
※1 日本国 2019「北海道・北東北の縄文遺跡群世界遺産登録推薦書」p.16
※2 同 p.130
※3 文化庁 2021「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産一覧表への記載決定について
※4 北海道、青森県、秋田県、岩手県 2003「第7回北海道・北東北知事サミット」合意事項
※5 文化審議会 2007 世界文化遺産特別委員会における調査・審議の結果について 別紙5
※6 文化審議会 2008 我が国の世界遺産暫定一覧表への文化資産の追加記載に係る調査・審議の結果について 別紙7
※7 岡田康博2021「北海道・北東北の縄文遺跡群」の顕著な普遍的価値について 『考古学ジャーナル』No.756 ニューサイエンス社 p.7
※8 縄文時代の年代については様々な説があるが、本稿では「推薦書」の記述に従う
※9 岡田康博編2021『世界遺産になった!縄文遺跡』同成社 p.5
※10 同 p.6
ウェブサイトはいずれも(2021年11月16日)参照

最終更新日:2021年12月3日

柳澤 伊佐男やなぎさわ いさおNHK放送文化研究所 メディア研究部 副部長

1963年埼玉県生まれ 1987年NHK入局 佐賀・福岡・東京(報道局科学文化部)・京都・鹿児島・奈良の各放送局に勤務、佐賀放送局在職時に吉野ヶ里遺跡などの遺跡取材に関心を抱き、文化財担当の専門記者を志す。2012年NHK解説委員室解説委員、2015年長野放送局 放送部長を経て、2018年6月より現職。

【主要文献、論考等】
『明治日本の産業革命遺産』(ワニブックス[PLUS]新書、2015)、世界遺産の「政治化」(「文化遺産の世界」ウェブサイト 2016)、文化財「活用」のすがた①~③(同ウェブサイト 2019)、マスコミから見た日本遺産 『遺跡学研究』16 日本遺跡学会 2019 、他