動向
「鳥出神社の鯨船行事」のユネスコ無形文化遺産登録と諸問題
登録に至るまで
四日市市では、「鳥出神社の鯨船行事」が全国33の「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産に登録されることとなった。地元保存会の人びとは一応に歓びを口にするとともに、「長かった」と漏らした。その理由は、審査が1年先送りされたことなどによるものである。しかし、さらにはその裏にはユネスコの運用方針に翻弄されながら登録まで漕ぎ着けた文化庁の奮闘があったことは本誌Vol.28で石垣悟氏が述べられている1)ところである。昨年度には本市においても、登録に向けて準備を進め、祭りの練習から登録決定までの映像を制作、登録と同時に商店街や地元に横断幕を掲出、日・英・中3か国語のリーフレットを作成し、12月11日(日)には登録記念のシンポジウムを開催した。またそれに先立って鯨船山車のうち1艘(北島組:神社丸)を四日市市立博物館の1階エントランスホールに展示することによって、間近に豪華な刺繍や彫刻も観て戴ける機会を設けるなどしてユネスコ無形文化遺産登録について周知を図ってきた。
鯨船行事とは
鯨船行事は、北勢地方(三重県の北部)にのみ分布する(現在、四日市市に8艘、鈴鹿市に1艘)、陸上で行われる模擬捕鯨行事で、「鳥出神社の鯨船行事」はそれらの中で最も本来的な姿をとどめているとのことから平成9年に国の重要無形民俗文化財に指定された。
鳥出神社の鯨船行事には4艘の鯨船山車があって(北島組:神社丸、中島組:神徳丸、南島組:感應丸、古川町:権現丸)の四つの組からなっている。それぞれに意匠を凝らした山車で、緋羅紗に金糸の刺繍などを施した豪華な横幕や、いくつもの彫刻を施した船体や屋形、水押しには金糸刺繍布を螺旋に巻いて結んだ水押しサガリが垂れる。この絢爛豪華な山車には、羽刺しと呼ばれ華麗な衣装を纏った踊り子(小学校高学年)が乗り、演技中にそれを支える腰持ちと足持ち、その後ろには花笠を被り必死で船につかまる櫓漕ぎたち(小学校低学年)が乗り、屋形の中には太鼓叩きが乗り込み演技全体の拍子をとる。山車の艫には舵取りが付き、腹では船体を左右に大きく揺らして鯨が暴れて起こす大波をあらわし、ハリボテの鯨2)を追いかける。毎年8月14日に町練り、15日には本練りと言って順番に鳥出神社の境内に入って行事を奉納する。
行事にはストーリー性があって、羽刺しが沖の鯨を見つけるところから始まる。唄や太鼓に合わせて逃げる鯨を追いかけるが、追い詰められた鯨は反撃に転じ鯨船は後退させられてしまう。やがて、体勢を整えた鯨船が攻勢となり、最後には見事に鯨を仕留める。この鯨船と鯨の勇壮な攻防が最大の見所である。
左右に大きく倒して荒波に揉まれる様子を表現する
古川町:権現丸には女性や子どもが操る子鯨もいる
羽刺しという踊り子と、その後ろの花笠を被った子たちは櫓漕ぎと呼ばれる
艫上げ:鯨を突きに成功すると艫(船尾)を持ち上げて神に感謝する
鳥出神社の鯨船行事の直面する課題
鳥出神社の鯨船行事については如上のとおりで、ユネスコ無形文化遺産に登録されたことは大変に喜ばしく名誉なことである。が、今後この行事を永く継承していくには深刻な問題も包含している現状がある。
それは、少子高齢化と人口減少による担い手不足である。特に中島組においてその傾向は顕著であり、何年も祭りには出たことが無いような状態が続いた時期もあった3)。4組の保存会のうち、北島・中島・南島組はハマと呼ばれる浜辺の組であるのに対し、古川町はタカと呼ばれる東海道沿いの組で、行事にも差異が多い。同じハマでも、北島・南島は6町から成るのに対して、中島は本町と寺町の2町で組が形成されている。これは、祭りが成立してきた当初、この2町が最も裕福な町であったことに由来するが、時を経て少子高齢化と過疎の波に飲み込まれつつある状態となっている。現世帯数は、北島が233、南島が215、古川町が166であるのに対し、中島は53というのが現状で、しかも在住者の殆どが高齢者である。祭りはお盆に帰省する元町民とその子どもが頼りという状態で、羽刺しや櫓漕ぎといった踊り子となる小学生は組の域内には既に一人もいない。
無形の継承もさることながら、有形の部分においても課題は多い。山車の台船や横幕の刺繍、彫刻や飾り金具にしても、どれをとっても地元では再生産できない状態にある。
四日市市の取組み
上記の課題に対して、本市では今年度からいくつかの施策を模索しつつある。
- ①「地(知)の拠点大学による地方創生推進事業」(COC事業)との連携
本市に所在する四日市大学と連携して、COC事業の中に組み込んでもらっている。具体的には、講義において鳥出神社の鯨船行事を取り上げて、最終的には祭りに参加して単位取得というもの。これによって、即戦力に近い人材(大学生)が祭りに参加するシステムが構築された。ただし、これは担い手育成とはならない。それは、彼らの多くは卒業すると四日市を離れてしまうからである。
- ②サポーター講座の開催
本当の意味での担い手を育成しようとすると、授業の単位などとは関係なく行事に興味を持ち、関わってくれる人びとを育成する必要がある。今回はそれをサポーターと呼び、いろいろな関わりが持てるような人材を市内外に募った。この中から何らかの人材として定着してもらえる人たちが出てくることが望まれるところであるが、初年度である今年は5人のサポーターにそれぞれの立場で参加してもらえた。
- ③クラウドファンディング
祭りの資金調達の手段としてクラウドファンディングの手法を取り入れてみることとした。これは、行政が主体となって行うような性格のものでは無いので、あくまでも地元保存会が行うものとし、教育委員会は相談に乗るなどの支援を行うこととなった。但し、立ち上げに多くの時間をとられ、あまりにも募集期間が短すぎたことは大いに反省すべき点である。ただ、プロジェクトの成功は別としても、全国発信の方法としては有効であろうと考えており、来年度はこれに学生に加わってもらって捲土重来を期したい。
- ④4艘揃い踏み
鳥出神社の鯨船行事は四日市市の文化遺産であるが、基本的には富田地区の祭りという性格が濃い。そうした中で、全市的に市の中心部で開催される「大四日市まつり」の2日目に「郷土の文化財と伝統芸能の日」を設けている。鳥出神社の鯨船行事は隔年で1艘の出演が定例化していたものを、今年度はユネスコ無形文化遺産登録を記念して4艘揃って出演することが実現し、四日市市全体にとっての祭りとしてアピールすることとなった。また、地元の町練り・本練りにも数年ぶりで4艘揃い踏みすることとなった4)。
迫力ある動画をトップページにしたホームページを開設し、情報発信に努めている。このサイトの発信力は、市が他に開設しているサイト(ex.国指定史跡久留倍官衙遺跡http://www.city.yokkaichi.mie.jp/kyouiku/kurube/index.html)よりもかなり発信力があるようで、開設して間が無いにもかかわらずアクセス数も順調に伸びており、関東や近畿などかなり広い地域からのアクセスがある。
- ⑥マニュアルの作成
無形の無形たる根幹に関わるところであるが、現在、将来に継承していくためのマニュアルを動画と、活字媒体で記録作成している。鯨船行事の場合、今回の取材を通じて分かってきたことであるが、張りぼての鯨一つを取ってもその作り方から違っている。その他継承されるべきものとしては、「鯨船山車の組立て方」「羽刺しと呼ばれる踊り子の所作」「太鼓の叩き方と撥捌き」「唄いの節回し」「鯨被りの演技」「各役の役割」など、それらの意味付けもふくめて細かく記録し、記述していく必要がある。
- ⑦その他
昨年に引き続き「鳥出神社の鯨船行事」見学と体験ツアーを募集し、昨年実績の3倍の応募があった。
また、三重県内のユネスコ無形文化遺産の登録された3市(四日市市・伊賀市・桑名市)が協力して広報に努めており、互いの広報誌を用いてPRについて連携している。
今 後
以上、ユネスコ無形文化遺産の登録からこの方本市での取組みについて略述した。当面はこの取り組みを続けていくつもりではあるが、これだけで良いのか。もっとほかにも有効な手段はないのかと思いを巡らすばかりである。
大入道山車(おにゅうどうだし、三重県指定有形民俗文化財):身の丈4.5m、伸び縮みする首2.7m、高さ1.8mの山車に立ち全高9m。日本一大きなからくり人形。首の曲げ伸ばしや眼・眉・舌を動かすにはセミクジラのヒゲが用いられている。
また、話は変わるが、事はユネスコ無形文化遺産に登録されたものには限らない。鳥出神社の鯨船行事には使われていないが、東海圏にはセミクジラのヒゲを使ったカラクリを載せた山車が数多く存在する。ユネスコ無形文化遺産ではないが、四日市にも大入道山車という3mほどのヒゲを必要とするからくり山車がある。文楽人形などと違って長いヒゲが要るためその将来はさらに深刻である。危機感を持った地元保存会では、平成9年に第三の首を製作して鋼材のバネを仕込み、クッションに硬質ウレタンを用いて試行したが上手くいかなかった。それを昨年度、技術提供を申し出てくれた企業(東海バネ工業株式会社、本社:大阪市西区)の協力で、鋼材のバネにクッションバネを取り付けることによってクジラヒゲを用いた時と変わらぬ操作性を得ることが出来た5)。しかし、木組みのからくりと鋼材のバネとの耐久性の問題など課題は残る。
いずれにしても、このままではいずれヒゲの無くなる時が来る。ワシントン条約でセミクジラを捕獲することは出来ないが、実際には殆ど同種のクジラであるホッキョククジラがイヌイットなどの生存権捕鯨として認められている。つまり、制限枠はあるものの毎年、クジラヒゲが得られているのである。このヒゲが入手できれば日本のこの種の多くの伝統文化の将来は保障されるはずである。ユネスコ無形文化遺産保護条約は、これら我が国のの多くの貴重な文化遺産6)に手を差し伸べてくれることは叶わないのであろうかと願うばかりである。
(1) | 『無形文化遺産の国際的保護と日本の文化財保護制度-「山・鉾・屋台行事」の記載決定を受けて-』(本誌Vol.28、2017年3月)。 |
(2) | ハリボテと言っても約100kgの重さがあるので青年の体力のある者が鯨被りをつとめる。 |
(3) | 『北勢鯨船行事調査報告書』(四日市市教育委員会、2002年3月)にも、その記載は稀薄なものとなっている。その後復活した中島組では危機意識が強く、正当な伝承者の所作を映像に残したり、太鼓譜を作ったりと今後の継承のための配慮がなされている。 |
(4) | 14日の町練りには4艘が出演したが、15日は朝から小雨が降っていたため、北島組と中島組は中止となった。それでも、ユネスコ登録の影響は大きく昨年の倍以上の人出で賑わっていた。 |
(5) | 現在、クッションバネを使わず1本のバネだけで、クジラヒゲと同じく使えるバネを試作してもらっている。 |
(6) | ユネスコ無形文化遺産保護条約には、「Ⅳ人類の文化遺産の国際的保護」(第十六条~第十八条)、「Ⅴ国際的な協力及び援助」(第十九条~第二十四条)を謳っている。 |
公開日:2017年9月4日最終更新日:2017年9月7日