考古学
日本における埋蔵文化財保護行政と水中文化遺産
海底に残された四爪鉄錨(近世)/沖縄県石垣島沖(撮影者:山本祐司)
水中文化遺産の調査・保護にたいする行政的指針をはじめてしめした『水中遺跡保護の在り方について』(報告)1(以下『2017年報告』)の公表により、日本もようやく行政による水中文化遺産に一定の方向性が示された。
そこで、日本における埋蔵文化財行政と水中文化遺産について、現状と課題の整理、そして『2017年報告』後の展望について述べてみたい。
水中文化遺産と国内理解
2012年3月、弘安の役での元寇終焉の地である長崎県松浦市鷹島沖の「鷹島海底遺跡」のうち約 38万4千㎡(「鷹島神崎遺跡〈たかしまこうざきいせき〉」)が、国内の水中遺跡としては初の国史跡に指定された2。この指定は、国内での水中遺跡をふくむ水中文化遺産のこれまでの扱われ方を考えれば、画期的なことといえるが、多くの行政ではこの事例を多分に「特別」な事例ととらえている節がある。このことには、担当行政もふくめた水中文化遺産にたいする理解度の差が背景にあるようだ。
水中文化遺産(Underwater Cultural Heritage)は、水中にある人間活動の痕跡にたいする総称であり、「常時水面下にある遺跡」としての水中遺跡3はもとより、潮の干満で定期的に水中に隠れる潮間帯の遺跡、海由来の遺物散布地、かつて水面下であったが、自然環境の変化や埋立て等で陸化した遺跡などもふくむものでもある。なお、ここでいう水中とは、海に限定することなく、湖沼や河川など水に関連するすべての環境をふくんでおり、その種類も沈没船・人工島、漁労・港湾関連などの遺構・遺物、そして沈降・水没遺跡、遺物散布遺跡など多岐にわたるものである。
このように水中文化遺産は、海、湖沼、河川など日本国内にはどこでも見ることのできる自然環境にともなうものである。したがって、国内でも多く残されていることは容易に想像できる。ただし、現状では埋蔵文化財包蔵地として「周知化」4された遺跡数約46万8,000箇所のうち水中遺跡(水中の埋蔵文化財包蔵地)は282箇所のみときわめて少ない5。陸上の遺跡登載数と比較すれば、その差は歴然としている。また、「周知化」に行政間の格差(濃淡)も見て取れる。「鷹島海底遺跡」のある長崎県(54箇所)、琵琶湖湖底遺跡の調査実績のある滋賀県(76箇所)、県として沿岸地域遺跡分布調査を実施している沖縄県(63箇所)の3県は、他が多くても10箇所ほどであることと比較すると「周知化」は突出して多い。さらに、水際に所在する遺跡のうち、調査により遺物包含層(遺跡)が陸上から水中に続いていることが明らかになったにもかかわらず、「周知化」は陸上部分のみである事例、担当行政が調査をおこない、遺物の引揚げ・報告書の刊行をし、学術的な評価がなされえいるにもかかわらず、「周知化」はなされていない、などの事例もある6。
この事例は、水中文化遺産にたいする国内での理解度の差をしめしているといえ、そこには行政(担当者)の「水中」にあることにたいする戸惑い(理解の差)、も垣間見ることができる。このように、行政の水中文化遺産にたいする理解は十分ではなく、この傾向は陸上の「遺跡」の扱われ方との違いに如実にあらわれている。
写真1 海底に散らばる陶磁器の撮影状況(近世)/沖縄県竹富町黒島沖(撮影者:山本祐司)
国内法と水中文化遺産
では、水中文化遺産は、水中にあるというだけで「周知化」は難しいものなのだろうか。たしかに、国内の文化財に関する基本法である「文化財保護法」(昭和25年法律214号)の「埋蔵文化財」には「水中」や「海中」などという語は一切でてこない。制定時に水中文化遺産は、まったく想定していなかったのであろう。ただしこの点に関しては、1954年の「文化財保護法の一部改正について」で、文化財保護法上の埋蔵文化財の定義である「土地に埋蔵されている文化財」(文化財保護法第92条)には、水底もふくまれる旨(1954年)7、および「漂流物又は沈没品で埋蔵文化財と認められるものの取扱いについて」(1959年)8、「海底から発見された物の取扱いに関する疑義について」(1960年、以下1960年通知)9により、「水中」の遺跡も文化財保護法の適用を受ける対象であることもすでに示されている。さらに1960年通知では、領海は国が文化財保護法上の「土地の所有者」であるということ(第104条)、さらに、もうひとつの沈没品に関する法律である「水難救護法」(明治32年法律95号)ついてもその適用は受けない、という見解も示されている。したがって外国の沈没船のばあいは、その積荷とともに慎重に扱わなくてはならない問題もあるが、少なくとも領海内での「周知化」という点については、外国船の他事例10もふくめて国内法で処理はできるという見解は示されている。
「水難救護法」は、遭難船舶の救護に関する市町村等の事務、漂流物および沈没品の拾得時の取扱いについて規定しており、その裁量は「最初に事件を認知した」市町村長にある(第1条)。さらに重要なこととしては、「文化財保護法」との連携はない、ということであり、「水難救護法」を適用すれば、「遺跡」自体が文化財保護というルートからは外れてしまい、引揚げ遺物も文化財として認定が難しくなるのである。また所有者が判明しなかったばあい、拾得者への所有権の移譲についての規定もあり(第28条2)、商業的利用(売買)も可能にもなる。
実際に、2007(平成19)年から数次にわたる調査がおこなわれた和歌山県串本町沖のトルコ軍艦エルトゥールル号の調査11は、トルコ海洋考古学研究所が主体となり、多くの成果をあげているが、この調査は文化財保護法のもとでおこなわれているものではなく、串本町が海上保安庁と協議して「水難救護法」のもとにおこなったものという。したがって、遺跡の「周知化」はなされていないし、遺物についても「文化財」認定はなされていない。しかも調査に日本の研究者の参加もなく、調査については問題はないものと思うが、調査の手続きや今後の影響という点では多いに問題がある事例である12。あえて文化財保護行政ルートからはずれる「水難救護法」を適用した行政判断にも違和感を感じる。
このように、国内法ひとつとっても水中文化遺産の扱いは迷走をしている。
水中文化遺産の「周知化」
このように見てくると、水中文化遺産の「周知化」が進まない原因も見えてくる。それにたいする行政担当者の戸惑いも見え隠れする。先に触れたように、陸上では間違いなく「周知化」されるような事例も水(海)底のものに関しては「周知化」されないということもあるし、水中にも「遺跡」が続いているにもかかわらず、「周知化」は陸上部分のみという奇妙な事例もある。
周知化について、担当者からは「水中だから」「緊急性がない」「漁業権との問題がある」「水難救護法との兼ね合いがある」「海の行政権が不明確」などという現実的な問題とともに、「十分な検証調査がなされていない」「学術的な評価が十分でない」などという答えも返ってくる。やはり「見えない」「見ることが難しい」だから「良くわからない」「判断しようがない」ということとともに、水中文化遺産およびその調査にたいする偏見や先入観による等閑視が少なからずあるものと考えられる13。
先に触れた「水中」にあることにたいする戸惑いとともに、正しく理解されていない、ということに問題は集約できそうであり、「周知化」にはこの点も大きな課題と言えるようである。
写真2 沖ノ島遺跡近景(縄文)/千葉県館山市(撮影者:筆者)
写真3 沖ノ島遺跡・潮間帯海底に残る縄文土器/千葉県館山市(撮影者:三瓶雅延)
水中文化遺産をめぐる行政的問題点と『2017年報告』
前節まで、国内における水中文化遺産をめぐる現状を説明した。ここでは水中文化遺産を埋蔵文化財保護行政のなかで取り扱われる際の問題点および『2017年報告』の内容について整理する。
(1)日本の埋蔵文化財保護行政の流れ
日本の埋蔵文化財保護行政は、①把握・周知②調整③保存、④活用という4段階からなり(図1)、このすべての段階が十分におこなわれることで、「バランスのとれた質の高い埋蔵文化財保護行政が実現する」14(図1)。
図1 埋蔵文化財保護行政の基本的な流れ(『発掘調査のてびきー集落遺跡発掘編』2010をもとに作成)
(2)行政上の扱う時代の範囲
考古学概説書としての名著『通論考古学』(濱田耕作著.1922年刊行)では、「考古学は過去人類の物質的遺物(により人類の過去)を研究するの学なり」と考古学を定義している15。この定義は、考古学の範囲を示すものとして日本考古学の礎となったものである。ここではその研究範囲を「過去」としており、時間的限定はしていない。すなわち「過去」すべてをその範囲とすることを明示しており、それが考古学の研究スタンスとなっている。
写真4 国史跡・和賀江嶋(中世 築港跡)/神奈川県鎌倉市(提供:東京海洋大学中田達也研究室)
これにたいして、文化庁は1998年通知「埋蔵文化財の保護と発掘調査の円滑化等について」16のなかで、埋蔵文化財として扱う範囲として、①おおむね中世以前に属する遺跡は原則として対象②近世に属する遺跡については地域において必要なものを対象③近現代の遺跡については地域において特に重要なものを対象、とするとして、時間的限定を示した。この通知は、発掘調査件数が増大し、調査経費の原因者負担という原則に則り、調査がおよぼす時間・経済的負担への影響を抑える意図でだされたものである。しかし結果として、近世および近現代の遺跡は基本的に発掘調査の対象としない、という風潮が担当行政間に一般化し、近世・近現代の切り捨て(遺跡があっても調査されない)、という現象が生じた17。埋蔵文化財保護行政の流れからは切り離された近世以降の沈没船関連遺跡を扱うことのある水中文化遺産調査・研究にも影響は及んでいる。
(3)関連法
文化財保護法とその関連法、水難救護法、港湾法・港則法・海上安全交通法(港湾関連)、漁業法・水産資源保護法・鉱業法(発掘関連)等、陸上より多岐にわたる法令が関連してくる。このうち、もっとも問題となるのが、先に触れた水難救護法である。水難救護法を適用したばあいは、文化財保護というルートから外れてしまう、ということは重ねて強調しておきたい。
(4)海の行政権
この問題も、海での調査に際して必ずといっても良いほどに遭遇することである。このことに関しては、「平成22年10月13日に開催の海洋基本法フォローアップ研究会における小野吉清・内閣官房総合海洋政策本部事務局長の報告資料等の中で、『海域も市町村の区域に含まれていると解されており、地方自治法上の手続きにより、海域における市町村の境界の画定・変更は可能である』との解釈を公式に表明した。当然、総務省の解釈も反映したものと思われる」というように、「地方公共団体の区域に海域を編入することに問題はない」18との見解はだされている。
写真5 海底での実測状況/静岡県熱海市初島沖(提供:アジア考古学研究所)
(5)調査の手続き
発掘調査に関する行政的事務手続きを整理する。遺跡の発掘調査を実施するばあいは、事前に文化財保護法(第92条1)に則り「埋蔵文化財発掘調査の届出」を所管の市町村教育委員会(あるいは相当担当部署)経由で都道府県教育委員会に関係書類とともに提出することが義務付けられている。内水域や海域も文化財保護法が適用されるために、同様な事務手続きが必要となる。この手続きで問題となるのが、添付書類として必要となる発掘予定地の所有者の承諾書をどこにもらうのか、ということである。前節でもみたように、海の行政権に関しては担当行政(市町村)の「躊躇」からたらい回しにされる、ということもある。結局は当該都道府県からもらうことになるようであり、現状では個々の事情に即しての対応となっている19。このほか、港湾法・港則法・海上安全交通法(港湾内)や漁業法・水産資源保護法・鉱業法などの法令もかかわる可能性もあり、関係者・行政担当部局との調整も必要となるなど、陸上よりはるかに複雑な手続き・調整が必要となる。
写真6 海底での碇石調査状況(中世)/長崎県小値賀町前方湾(撮影者:筆者)
(6)『2017年報告』
(1)〜(5)にあげた概要および問題点について『2017年報告』では、本文編「第4章 水中遺跡保護の在り方」解説編で整理をしている20。
(1)については、「水中遺跡も文化財保護法に基づく保護の対象とされるものであり、陸上に所在するか水中に所在するかに関わらずその保護の基本的な考え方は同じである」として、陸上と同じ扱いであることを明言した21。
(2)については、1998年通知は「水中遺跡保護にも共通する」ものとし、通知を踏襲したうえで、沈没船遺跡のばあいは近世・近現代に属するものが多く、「国内外における物流・交易・商業活動等や対外外交易史・外交史等といった、我が国の歴史と文化との関わりという広い視点から保護対象とすることも重要である」と、より配慮が必要な旨を記している22。
(3)については、調査に際して文化財保護法以外の関連法の適用を受ける旨を記し、注意を促している。このうち、水難救護法との兼ね合いについては、水中文化遺産には文化財保護法に基づく手続きを取ることが望ましい旨を明言している23。
(4)については、海域において地方公共団体の境界は明確でないことから、隣接する地方公共団体との連絡調整を促している24。
(5)(2)と同様に、個々の事情に即した対応が考えられることから関係者・行政担当部局との調整が必要としている25。
課題と展望−正しい理解と周知化のために−
このように、水中文化遺産が文化財保護行政のなかでは、陸上のものと同じ文化財であるにもかかわらず、変則的に扱われている現状がある。しかも日本の文化財保護行政では、まずは「把握」をしなければ次につながらないのだが,このことすら現在、十分にはおこなわれていない。「把握」を実行するには担当行政および研究者の理解は不可欠である。今年(2019年)の2月に文化庁主催の実務における課題の把握を目的とした地方公共団体の担当者を集めた研究集会が開催された26。そこでは活発な議論がなされたと聞くが、事前に『2017年報告』を熟読した参加者は少数であったという。水中文化遺産にたいする行政的指針が示されたにもかかわらず、この状況であり、これが現状なのである。
行政担当者だけではく、同じような認識を持っている研究者やマスコミもいる。したがって、この問題解決には行政・研究者・マスコミそして市民とともに考え、水中文化遺産にたいする共通認識を持ち、意識を変える必要がある。この点からも行政的指針をしめした『2017年報告』が公表されたことは、まだ運用には課題はあるものの、とくに担当行政にとっては意義深いことのはずである。関係者の奮起に期待したいとともに、正しい「理解」により、「水中」にたいする「偏見」や「先入観」が払拭され、国内法のもと,水中文化遺産が陸上の文化遺産と同等に扱われ、把握・周知→調整→保存→活用という文化財保護行政の流れが当たり前のこととしておこなわれることが強く求められる。
なお、本レポートの写真・内容を許可なく使用・転載することを硬く禁じます。使用を希望する際は、文化遺産の世界編集部まで必ずご連絡ください。
1 | 水中遺跡調査検討委員会・文化庁(2017):水中遺跡保護の在り方について(報告) |
2 | 官報(号外第69号),平成24年3月27日,p.56. |
3 | 文化庁文化財保護部記念物課(2000):平成元年度〜3年度実施報告 遺跡保存方法の検討―水中遺跡―,p.5. |
4 | ここでいう「周知化」とは、埋蔵文化財包蔵地として行政が作成する「埋蔵文化財包蔵地台帳」および「埋蔵文化財包蔵地地図」(遺跡地図)に登載されることにより法的な保護がなされることである。 |
5 | 数値は、『埋蔵文化財関係統計資料―平成28年度―』(文化庁文化財部記念物課,2017年3月)による。 |
6 | 千葉大学による千葉県館山市沖ノ島遺跡(岡本・柳澤2004ほか)の調査で、遺物包含層が陸上から水中に続いていることが明らかになったにもかかわらず、「周知化」は陸上部分のみである事例、江戸時代廻船遺跡である東京都神津島村沖の神津島海底遺跡(山本ほか1993)では、東京都教育委員会が調査をおこない、遺物の引揚げ・報告書の刊行をしているにもかかわらず、「周知化」はなされていない、などの事例もある。神津島海底遺跡の事例では、引揚げ遺物の法的な処理も完全なものではないと聞いている(文化財認定がなされていない)。 岡本東三・柳澤清一ほか(2004):千葉県館山市沖ノ島遺跡第1次調査発掘調報,千葉大学考古学研究室 岡本東三・柳澤清一ほか(2006):千葉県館山市沖ノ島遺跡第2・3次調査発掘調査概報,千葉大学考古学研究室 岡本東三(2012):沖ノ島海底遺跡の意味するもの 縄紋海進と隆起現象のはざまで,考古学論考Ⅰ 岡本東三先生退職とともに,六一書房,pp.1-44. 山本典幸ほか(1993):神津島沖海底遺跡,東京都埋蔵文化財調査報告 第20集,東京都教育委会 |
7 | 昭和29年6月22日付文委企第50号,各都道府県教育委員会教育長宛文化財保護委員会事務局長通知 |
8 | 昭和34年1月27日付文委記第2号,運輸省開運局長宛文化財保護委員会事務局長通知 |
9 | 昭和35年3月15日付文委庶第26号,各都道府県教育委員会教育長宛文化財保護委員会事務局長通知 |
10 | すでに周知化されている事例では、元寇船の鷹島海底遺跡(鎌倉時代.長崎県)およびフランス商船ニール号(明治時代.静岡県)がある。 |
11 | 正式な調査報告は未刊であるが、調査については「軍艦エルトゥールル号 海洋発掘調査プロジェクト」のホームページ(http://www.ertugrul.jp/pages/65e5672c8a9e.php?lang=TR)で確認できる(2019年5月1日閲覧)。 |
12 | 現在は活動を中止しているが、国内に本社を置いていた歴史的沈没船引き揚げファンド会社は、そのホームページで引き揚げ遺物の換金方法や日本の水中文化遺産にたいする法制度について水難救護法にも触れて掲載していた。現在はホームページも閉鎖されているが、その一部は、https://doda.jp/z/job/3000157249/index.htmlで確認することができる(2019年5月1日閲覧)。 |
13 | 調査について、考古学の方法で「陸上」と同精度を当たり前のこととして水中の調査に臨んでいるのだが、研究者でもある行政担当者と調査報告書を見ながら話をしたところ、「水中でもこんなに精密な図面を作成しているのか」「陸上と変わらない調査をしている」という感想も聞いた。これも偏見・先入観からくることなのだろう。 |
14 | 文化庁文化財保護部記念物課・独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所(2010):発掘調査のてびき―集落遺跡発掘編―,同成社,pp.2-4. |
15 | 濱田耕作(2016):通論考古学(岩波文庫 青N120-1),岩波書店.p.25. |
16 | 平成10年9月29日付庁保記第75号,各都道府県教育委員会教育長宛文化庁次長通知 |
17 | 桜井準也(2000):近現代考古学の諸問題,季刊考古学 第72号(特集 近・現代の考古学),雄山閣,p.117. 1990年代には関東地方を中心に近現代の調査例は増加傾向にあったが、この通知後は逆に減るという現象が起こっており、「周知化」も進んでない。これは埋蔵文化財保護行政の本来の意図とは逆行することである。このことに関して、2016〜17年に実施されたハンセン病療養所・多磨全生学園跡地(東京都東村山市)の発掘調査で、療養所開設直後(1907年開所)に築かれたと考えられる堀跡が検出され、記録の少ない往時の隔離政策の物的証拠として歴史的価値も高いと評価されたにもかかわらず、担当行政は1998年通知を根拠に現段階で「周知化」をしていない。 国立ハンセン病資料館(2017.1):全生病院時代「空堀」の調査①,資料館だより 第94号,公益財団法人日本財団,p.3. 国立ハンセン病資料館(2017.4):全生病院時代「空堀」の調査②,資料館だより 第95号,公益財団法人日本財団,p.4. |
18 | 中原裕幸(2011):沿岸域総合管理に関する一考察―地方公共団体の管轄範囲をめぐって―,日本海洋政策学会誌 創刊号,pp.93-96. このほか、磯部論文(1982)でも海域も地方公共団体の区域になりえることが言及されている。磯部 力(1982):Ⅳ 海と地方公共団体の役割,新海洋法条約の締結に伴う国内法制の研究 第1号,財団法人日本海洋協会,pp.109-113. |
19 | 海域における発掘調査の手続きについては、以下の文献に詳しく記されている。 野上建紀(2004):海底遺跡における発掘調査手続きについて,九州・沖縄水中考古学協会会報 No.18,pp.20-23. 内野 義(2019):水中遺跡の調査 鷹島海底遺跡の事例報告,埋蔵文化財ニュース175(遺跡調査技術集成 水中遺跡調査編1 研究集会 水中遺跡保護行政の実態),独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所,pp.14-21. |
20 | 前掲1,p.16. |
21 | 前掲1,p.21. |
22 | 前掲1,pp.23・38. |
23 | 前掲1,pp.17・20・22. |
24 | 前掲1,pp.22-23. |
25 | 前掲1,pp.22-23. |
26 | 2019年2月28日に福岡県大野城市で「研究集会 水中遺跡保護行政の実態」として開催された。 (予稿集)独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所(2019):埋蔵文化財ニュース175(遺跡調査技術集成 水中遺跡調査編1 研究集会 水中遺跡保護行政の実態 |
公開日:2019年7月23日最終更新日:2019年8月2日