動向
世界遺産登録から5年目、地域博物館の現状と課題ー山口県萩市の事例ー
萩博物館 (画像提供:萩博物館 )/ 萩市が平成16年(2004)に萩開府400年記念事業として開館させた。萩市全体を屋根のない博物館に見立てた「萩まちじゅう博物館」構想の中核施設と位置付けられる。毎年夏恒例の自然系特別展は子供たちに人気で集客の目玉となっている。
平成27年(2015)7月に「明治日本の産業革命遺産―製鉄・製鋼、造船、石炭産業―」(以下では「産業革命遺産」と略称)が世界文化遺産に登録されてから、早くも5年が経とうとしています。世界遺産の構成資産を抱える山口県萩市の萩博物館から、現状と直面する課題を報告いたします。
世界遺産登録はゴールでなくスタート
「産業革命遺産」は、日本が非西洋諸国で初めて、1850年代から1910年までの約50年という短期間で産業化したことを物語る証拠として、未来永劫受け継いでゆかねばならない稀有な文化財の集積です。その特徴は、23件の構成資産が日本全国の8県11市に分散しているところにあります。このように、地理的につながっていない複数の資産を一括して世界遺産に登録することをシリアル・ノミネーションと呼んでいます〈注1〉。
「産業革命遺産」には、山口県萩市の萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡、大板山たたら製鉄遺跡、萩城下町、松下村塾の5件が含まれています。この5資産は、幕末、ペリーの黒船に象徴される欧米列強の脅威に対し、長州藩が海防強化の必要から大砲や軍艦の自力製造に試行錯誤した物的証拠で、全国諸藩における同様の取組みの代表的事例と位置付けられています〈注2〉。
さて、「産業革命遺産」が世界遺産に登録されて以来これまでの約5年間をふりかえってみますと、登録直後こそ市民の間で盛り上がりを見せ、観光客数も大幅に伸びたものの、2年、3年と時間が経つうちに、なんとなく後景に追いやられるようになりました。それはおそらく、多くの方が、世界遺産は登録されたらゴールだと勘違いされているからにちがいありません。
これに対し、筆者は「世界遺産は登録がゴールではない、むしろスタートだ」と訴えているのですが、萩市は世界遺産という称号をせっかく勝ち取ったにもかかわらず、まだ十分に活かしきれていないのではないかというのが、現在の率直な思いです。
新しい上積みがほとんどなかった5年間
こうした状況で、最近、萩市は来る令和2年度(2020)の事業として、《「産業革命遺産」の世界遺産登録5周年を記念するキャンペーン》を計画しはじめ、萩博物館も記念展覧会を検討するようになりました。こうした動きは、世界遺産の活用を図っていくうえで歓迎すべきことなのかもしれません。しかし、これをすんなり手放しで歓迎できるかといえば、筆者の立場からするとそうでもないというのが偽らざる心情です。その大きな理由は、この約5年間に、新しい資料の掘り起こしや情報の更新がほとんどできていないからにほかなりません。先ほど、世界遺産登録はスタートだと書きましたが、実のところ筆者は、資料の調査・研究の上積みがほとんどできていないのです〈注3〉。
萩博物館では、世界遺産の登録がなった平成27年秋に、筆者の担当で「明治日本の産業革命遺産と萩」と題する記念展覧会を開催しました。この時は、世界遺産登録準備の過程で資料収集、調査・研究した成果を盛り込めたので、内容の良い展示に仕上げられたとの自負があります。そのせいもあって、来年の5周年記念展示を以前より充実したものにできるか、とても悩んでいる状況です。
仮に、世界遺産登録後も「産業革命遺産」に関する資料収集や調査・研究を継続できていれば、新しい資料を発見したり、よくわかっていなかったことを解明したりが可能だっただろうと思います。よってそのような上積みができていれば、筆者は今すぐ自信をもって「5年前の展覧会と比べると、新しい資料と情報が満載です。面白いですからぜひ見に来てください」とお客様に呼びかけることができます。しかし現状では、はたしてどこまでお客様に満足していただける内容に仕上げることができるだろうかと不安のほうが大きいのです。
展示に偏重しすぎている地方の博物館界
近年の傾向として、地方の博物館学芸員は展示ばかりに追われてしまい、資料収集や調査・研究のほうにはまともに時間を割けない状況に立たされているように思います。評価がとかく集客力如何に偏ってしまい、地味な仕事は低く見られているのです。
萩博物館ではおおむね、春と秋に歴史系、夏に自然系、冬にジャンル不問という具合に、1年間に4、5本の展覧会を開催しています。具体的なデータとして、平成26年度(2014)から平成30年度までの過去5年間、萩博物館で開催した主な展覧会の来館者数を一覧表にしました(展覧会の名称を太字にしたものは筆者が担当)。
まず、世界遺産登録前の平成26年度と登録された平成27年度を比べると、春・秋の歴史系展覧会の来館者数は合計で19,838人増加し、総来館者数は7,040人増えています。一方、夏の自然系展覧会は、平成26年度と平成27年度を比べると8,843人減少しています。この年は、世界遺産登録に加えて、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」が放送されたこともあり、萩の歴史的資源が脚光を浴びた年であったことがうかがえます。
ところが、平成28年度は早くも反動が出たと見られ、歴史系展覧会の合計来館者数は開催日数が短かったことの影響もありますが32,369人も減り、総来館者数は17,622人減少しています。逆に、自然系展覧会は前年度比14,611人増加しており、歴史系で減った分のいくらかを自然系がカバーしていることがわかります。
歴史系展覧会の減少傾向は平成29年度も続きますが、同じ萩市内に、萩・明倫学舎がオープンしたことも大きく影響しています。萩博物館は開館以来、観光客がまち歩きをするための拠点施設の役割を担ってきたのですが、萩の歴史に興味をもって来られる方の訪問地が新設の萩・明倫学舎に分散した結果だと受け止めています。萩・明倫学舎は、世界遺産ビジターセンターや幕末ミュージアムなどを含む複合型観光拠点施設で、筆者はそれらの展示も担当しました。その一方、自然系展覧会は前年度比4,502人増の53,091人となり、5万人を超える数字を記録しました。
萩・明倫学舎(画像提供:萩市) / 萩市が平成29年(2017)に萩市立明倫小学校の旧校舎を改装し、萩市観光の基点施設として開館させた。無料ゾーンには観光インフォメーションセンターなど、有料ゾーンには世界遺産ビジターセンターと幕末ミュージアムが入る複合施設である。
明治維新150年だった平成30年度は、春に1本、秋に2本の歴史系展覧会を開催しました。これら3本の合計来館者数は21,622人となり、前年度より6,176増加しました。ただし、総入館者数はあまり伸びず、ほぼ横ばいに進んで9万人を超えることはありませんでした。
以上のように、萩博物館は、歴史系展覧会での集客力が弱まる反面、自然系展覧会による集客力の向上が顕著となっています。それはともかくとして、この間、筆者は毎年1本、多い時は2本もの展覧会を担当しつつ、他の施設の新規展示立ち上げも担当せざるをえなかったため、それ以外の業務にはあまり時間をかけられませんでした。他にも色々と問題はあるのですが、博物館の業務の片手間で世界遺産関係の資料調査・研究も同時にこなすのは、相当困難だということだけでもお伝えできたのではないかと思います。
バランスのとれた「保存」と「活用」を
萩博物館の実例をお伝えしましたように、このような展示(展覧会)偏重の傾向は、全国的に見られることだと認識しています。人口減少に歯止めがかからない地方ほど、どうしても行政主導で観光・交流人口の獲得に躍起になるのはやむをえません。行政の末端機関として、博物館が集客に力を入れなければならないというこの論理は、けっして間違っているわけではないと思うのです。しかしながら、大局的な観点から見れば、現世利益を追求することだけが博物館の仕事であっては決してならないはずです。博物館の世界がさながら顧客獲得競争になってしまっている今の偏った流れを次世代に継続して、将来につけを回すことだけは、何としても避けたいと強く思います。
現在、文化財保護法や博物館法の改正作業が進められています。前者は、保護的な色彩が強かった文化財で稼げるようにすること、後者は、博物館を教育委員会から首長部局に移管して文化・観光振興の一翼を担えるようにすることが狙いのようです。ところがこうした風潮は、萩博物館では15年前の開館当初から始まっていました〈注4〉。そのうえで、法律改正によって集客力強化に一層拍車がかかるようでは、ますます基礎的な資料収集や調査・研究がしづらい状況になり、「地域の記憶装置」としての博物館の大切な使命を果たすことができなくなるおそれが非常に強いと危惧しています。
資料(文化財)の「保存」と「活用」とは、文字で書けば対等関係であるかのように見えますが、実際は不均衡です。博物館の主務は、①資料の収集・保管、②調査・研究、③展示、④教育・普及の4つとされていますが、現状は「活用」面の③が突出しています。これが影響して、学芸員の採用においても展示のできる即戦力が求められ、現場で育成するような余裕はありません。さらに、本来であれば、じっくりと資料に接することによって展示の構想を練っていくのが理想ですが、先に集客できそうな展示のテーマを決めてそれに必要な資料を選択しているのが現実です。なかんずく、多くの人目を引く資料にばかり注目が集まりがちです。しかし、そうした万人受けする魅力的な資料というのは数量的に限りがあり、資料の圧倒的大多数は地味なものです。学術的には価値が高い資料であっても、それが集客に結び付くとは限らないのです。
資料・文化財を適正に活用するためには、万全の保存体制がとられていなければなりません。とりわけ脆弱な材質で構成される日本の文化財には、定期的なメンテナンスが不可欠です。クルマの両輪のように、バランス良く資料・文化財の「保存」と「活用」を両立させるための議論がもっと必要だと考えるのは、筆者だけではないはずです。これは世界遺産にも通じることで、観光資源として活用するためには、保全のための適切な措置と、価値を高めるためのたゆまざる調査・研究とを継続することが、何よりも大切だと思うのです。その実現のためには、人材、予算、時間などのあらゆる面を増強・充実させねばならないことはいうまでもありません。
とはいえ、逆境にあっても泣き言を並べている場合ではありません。先述した《「産業革命遺産」の世界遺産登録5周年を記念するキャンペーン》の一環として検討中の展覧会に関していえば、地方の公立博物館の学芸員としては今からでも関連資料の収集と調査・研究を進め、期待に応えるしかないとの思いを強くしています。活路を見いだすとすれば、萩には上記の5資産以外にも幕末の長州藩にまつわる産業遺産があります。とりわけ、万延元年(1860)からわずか約5年の間にだけガラス器を製造しており、その現物を可能な限り集めて展示するのは一興ではないかと考えているところです。ガラス器は、破損のリスクがあり、取り扱いに細心の注意が必要ですが、見た目が美しいことから集客もある程度は見込めるであろうと思うのです。
学芸員は、従来「雑芸員」とネガティブな表現をされていましたが、近年「百芸員」というポジティブな表現も使われはじめ、エンターテイナー的な側面も注目されるようになりました〈注5〉。そういう明るい話題もあるわけですので、学芸員という職業を、心残りのない状態で次世代へバトンタッチしたいというのが現在の率直な気持ちです。拙文をお読みいただいた諸賢よりご指導、ご叱正を賜わりますれば幸甚に存じます。
〈注2〉道迫真吾、2017年、『萩の世界遺産―日本の工業化初期の原風景―』、萩ものがたり。
〈注3〉実際は一概にはいえず、「産業革命遺産」の構成資産を抱える8県11市の自治体ごとに、取り組み方についてかなりの温度差が見られます。基礎的な資料(史料)の収集、調査・研究の事例で注目すべきものに、佐賀市教育委員会が平成20年(2012)以降現在まで継続刊行している『佐賀市重要産業遺跡関係調査報告書』(現時点で第10集まで刊行)、静岡県伊豆の国市教育委員会が平成31年(2019)に出した『韮山反射炉関係資料集』第1巻(上下2冊)などがあります。
〈注4〉萩博物館は、昭和34年(1959)に建設された萩市郷土博物館の後継施設として、平成16年(2004)に再建された公立の博物館です。自然系・人文系の両方を扱う総合博物館として活動しており、萩市が推進する「萩まちじゅう博物館構想」の中核施設としての機能も果たしています。詳細は萩博物館ホームページを参照(2019年11月23日閲覧)。
〈注5〉真家和生・小川義和・熊野正也・吉田優編著、2014年、『大学生のための博物館学芸員入門』、技報堂出版。道迫真吾、2015年、「歴史資源を活用した萩市再生の取り組み─大河ドラマを一過性のブームで終わらせないために─」『地域研究交流』Vol.30 No.1 (NO.95)、p2-3(2019年11月23日閲覧)。