レポート

HOME /  レポート /  文化財・博物館と文化観光

動向

文化財・博物館と文化観光

坂井 秀弥 / Hideya Sakai

公益財団法人大阪府文化財センター理事長 奈良大学名誉教授

文化観光の潮流

【政府の観光政策と文化財】

政府による文化財(文化遺産)の観光活用が推進されている。2018年の文化財保護法の改正はその一環であった。改正文化財保護法には観光の文言はみられないが、改正に先立つ国会(2018年1月)の首相施政方針演説では、この改正は地方創生・観光立国のなかでとりあげられた。いわく「明治時代に建設された重要文化財の一つである旧奈良監獄は、三年後にホテルへと生まれ変わります。我が国には、十分活用されていない観光資源が数多く存在します。文化財保護法を改正し、日本が誇る全国各地の文化財の活用を促進します」(首相官邸ホームページ)。旧奈良監獄は近代日本の欧米化を象徴する建物である。一般公開日には入場料1000円で多くの人が訪れた(写真1)。

写真1 重要文化財 旧奈良監獄(1908〈明治41〉年竣工、ホテル開業は2024年に延期) 撮影:著者

観光客は国内だけではなく近年激増していたインバウンドもねらいだ。東京オリンピック・パラリンピックはコロナ禍で延期されたが、2020年の開催に向けて、文化庁も観光活用を積極的に進めた。2015年に認定開始した「日本遺産」は、文化庁の観光政策ともいわれ、2020年までに100件の認定を急いだ。日本遺産は地域に点在する文化財をバラバラではなく「面」「群」と捉えて、文化・伝統を語るストーリーとして発信することで、観光につなげて地域活性化を図ろうとしている。

 

【新たな文化観光推進法の施行】

これらに続いて2020年にあらたに成立したのが「文化観光推進法(文化観光拠点施設を中核とした地域における文化観光の推進に関する法律)」である。この法律は、博物館・美術館や神社仏閣などを目的とした文化観光を推進し、国内外から観光客を誘致して、観光振興と地域活性化につなげようとする。法律の所管は文化庁・観光庁の共同であるが、文化庁が主要な事務を行う。そのため、文化庁内にはじめて観光を掲げた担当部署(文化観光担当参事官室)が設置され、博物館担当の専門職員(調査官)もはじめて配置された。

 

文化庁がここまで観光を前面に出すことはこれまでなかった。文化・文化財の観光活用については、地方自治体や旅行・観光業界から歓迎する向きも多いが、文化財や歴史関係者からはさまざまな問題も指摘されている。本特集では、文化観光推進法の意義と課題を考えるため、文化庁の担当調査官から法の概要や文化観光をめぐる国際情勢などを解説いただくとともに、すでにこの法に基づく事業を開始している群馬県立歴史博物館、大原美術館(倉敷市)、福井県(一乗谷朝倉氏遺跡の活用事業を推進)からご報告をお願いした。

地域振興と文化観光

【地域社会の衰退と文化観光】

政府の観光政策は、首相の演説で明らかなように、地方創生、つまり地域活性化・地域振興として位置づけられている。現在の日本は、全国どこも人口減少・少子高齢化、中心市街地空洞化など、地域社会の維持が困難になっている。地域振興は政府・地方自治体とも喫緊の課題である。

 

その一方で、衰退する地域社会のなかで、土地に息づく多様な文化・文化財が失われつつあるという深刻な問題が急速に進行している。しかし、どこも財政はきわめて厳しく、支援の手立ても十分ではない。地域社会に育まれた文化財は、地域社会の存続なくしては保存・継承できない。文化庁がさきの文化財保護法改正について、文化財を支える地域社会の衰退に対応するためとしているのも、こうした背景がある。

 

【観光と文化財】

文化庁の中尾氏は、文化観光推進法は文化観光でもたらされる地域活性化がさらに文化振興に還元されることこそが重要であるという。日本各地に所在する文化財が観光資源となるのであれば、国内外の多くの人々に各地の豊かな歴史文化が理解されることになり、地域振興にも有効である。たしかに、奈良や京都などは古くから日本を代表する観光地として知られてきた。

 

全国各地には、歴史はそこまでさかのぼらなくとも、江戸時代の城下町・港町・宿場町などに起源する地方都市や町場が数多くみられる。その歴史は400年ほどではあるが、歴史を感じさせるお城や町並み、寺社・商家・町屋に住民参加の祭礼などが今もなんとか命脈をたもっている。加賀百万石の城下町金沢などはその代表である(写真2)。かつては比較的新しいとみなされていた、こうした各地の文化財も、昭和末年以降に加速した社会構造の変革と地域社会の衰退のなかで、現代の人々には魅力的なものとして見直されている。インバウンドにとってみれば、日本人に馴染みの観光地や都市・市場、温泉にしても物珍しいものに映るにちがいない。われわれが海外へ旅行した際を思い返せば理解できよう。

写真2 金沢の伝統的な茶屋街(東山ひがし重要伝統的建造物群保存地区) 提供:金沢市

各地域の文化財が有力な観光資源となり、観光に伴うさまざまな活動や交流が、地域住民にとって地域とその歴史文化を見直す機会ともなれば、真に意義ある地域振興につながるといえる。世界遺産はそのような期待のもと国内外で推進されており、近年登録された紀伊山地の霊場と参詣道、平泉、富士山、富岡製糸場などにおいて、文化財・観光・地域振興がつながり、地域社会にプラスに働く動きがみられる。

観光に対する批判と文化財の立場

【観光活用に対する批判】

政府が2016年に「明日の日本を支える観光ビジョン」のなかで、「文化財を保存優先から観光客目線での理解促進、そして活用へ」と宣言して以降、文化財や博物館、歴史学界等の関係者から厳しい批判がある(岩城・高木編 2020など)。博物館の行政上の所管は2018年から一括して文化庁となったが、それまでは文部科学省にもあり、社会教育施設として明確に位置づけられてきた。そのため観光を意識することもなかった博物館が、近年、教育委員会から首長部局へ移管される例も多い。博物館以外の遺跡など文化財も観光を敬遠する傾向にあった。

 

【文化財に対する理解不足】

文化財には教育など多様な役割があり観光につながらないものも多い。行政や一般社会のなかでは、多種多様な文化財の実態や特性について、正しく認識されているとはいいがたい。さきの文化財保護法改正に際して、「保存と活用の均衡」や「専門人材の育成・配置」という、基礎的な課題が付帯決議に盛り込まれたのは、その表れであろう。

 

文化財は脆弱なものが多く、劣化や破損により価値が失われやすい。公開などの利活用はどんどんやればいいわけではなく、保存を確保できる範囲内でしかできない。これが鉄則だ。こうした当たり前のことが理解されていない面もある。最近、国内外で問題となっているオーバーツーリズムは、文化財の汚損や滅失を招き、歴史環境を支えている住民の生活を圧迫する。観光にはどうしても経済だけに目がいきがちな側面がある。

 

【乏しい専門人材】

活用は個々の文化財の本質に応じた在り方を見極めることが必要である。そのために専門人材の育成・配置が求められる。世の中には埋もれている文化財がまだ数多くあり、その確実な保存を図ることも不可欠である。文化財について実際に重要な役割をもつ地方自治体には、ある程度専門職員が配置されてはいるが、地域で実務を担う市町村の1/3には文化財の専門職員が配置されてはいない。また、その多くが考古学の専門に偏り、江戸時代以降の比較的新しい文化財に弱いという傾向もある。

 

文化観光推進法では博物館が文化施設として注目されている。博物館は全国で5,700余りもある(文化庁調べ)。しかし、比較的規模が大きい登録博物館・博物館相当施設は全体の約2割しかなく、そこでも専門人材といえる学芸員は1館当たり平均4人弱にすぎない。それ以外の博物館類似施設では1人にも満たない。地方自治体だけではなく博物館も人材が厳しい現状のなかで、さらなる活用に割く余裕に乏しいことも考慮しなければならない。

文化観光と文化財の課題

節度ある文化観光は文化財保護と地域振興につながるものであり、今後の進展が期待される。これまで文化・文化財側と観光側の協力・連携はきわめて不十分であった。それは文化財に興味をもつ利用者・観光客にとって不幸である。観光を機に文化財に親しむ好機をつぶすことになる。この機を逃さず、国・都道府県・市町村の文化・観光や交通・産業等の関係部署が緊密に連携することに加えて、観光・交通関連の事業者、地域の団体や住民等との協働を進めることが求められる。

 

【わかりやすい説明と専門性】

文化庁は「文化財活用・理解促進戦略プロブラム2020」(2016年策定)の現状・課題として、「日本人でも理解が困難な、専門家にしか分からない解説」をあげている。文化観光の根源は文化資源そのものである。専門知識がない人にもその面白さや魅力をわかりやすく説明し、できるだけ多くの人々に親しまれることが重要である。たしかに、博物館や遺跡・文化財の展示解説やパンフレットの説明文には、難解な学術用語が並んでいることが多い。

 

考古学者の故佐原眞氏(写真3)は30年以上も前に「考古学をやさしく」を提唱した(佐原 1987)。遺跡は国民の共有財産であり、その調査研究の成果を多くの国民に還元するためである。自ら開館に関与した大阪府立弥生文化博物館の展示キャプションには、「太型ふとがたはまぐりせき」に「木を切り倒す斧」、「ともえがたどう」に「盾の飾り金具」を併記した。これは単純な言葉の置き換えではない。道具の機能を表して理解を助けている。言い換えには豊かな専門知識がものをいう。子ども向けの解説や最近多い多言語表記についても同じである。

写真3 「考古学をやさしく」の故佐原眞氏 提供:大阪府立弥生文化博物館

文化財の本質的な価値を正しく理解することは、関連グッズや食品、体験プログラムなどの開発にも当てはまる。たとえば、同じ人物埴輪でも隣接する群馬県と埼玉県では形が違う。それにこだわったマスコットやミュージアムグッズ、製作体験であればこそ、地域固有の真の歴史にせまるものがある。

 

【遺跡の建物復元と真実性】

日本では1970年頃から全国各地で道路建設や農地整備にともなって遺跡の発掘調査がさかんに行われ、地域の歴史を掘り起こしてきた。認定された地域計画の核となる福井県の一乗谷朝倉氏遺跡は、半世紀前に、450年前に滅びた戦国大名朝倉氏の城下町と判明し、まるごと保存され特別史跡に指定された(https://www.isan-no-sekai.jp/report/7751)。いま、その一角に当時の町並みが立体的に復元されている。数年前、通信会社のCMで有名になり、NHKのテレビ番組「ブラタモリ」でも紹介された。あたかも16世紀の町にいる感覚を味わえる。遺跡は地下に埋もれており当時の具体的な様子はわかりにくい。そのため、1990年頃から古墳や寺院、お城などの実物大復元が各地で行われるようになった(写真4)。

写真4 2010年の平城遷都1300年祭に合わせて復元された平城宮跡第一次大極殿(特別史跡) 撮影:著者

しかし、遺跡は単なるテーマパークではない。復元された建物は大いに理解を助けるが、その復元根拠が重要である。一乗谷朝倉氏遺跡が魅力的な復元史跡であるのは、長年にわたり蓄積された発掘調査とそれに基づいた膨大な研究成果があったからこそである。遺跡の魅力は時代を越えて真の歴史空間の共有を可能にする。観光の要素が入っても、真実性の確保は文化財の生命線である。調査研究がそれを支え、文化観光も持続させるといえる。

 

【人々の営みを伝える】

文化財というものは、過去の人々の営みを伝えることに本質がある。以前おとずれた世界遺産の石見銀山にある重要文化財の熊谷家住宅で実感した(写真5)。その豪壮な建物に足を踏み入れると、有力な商家の財力がしのばれる。それだけではない。ここで暮らした人々の営みやその温もりが感じられるのだ。家の中にかつてここで使われた家具や調度品が置かれており、日々使う着物がかけてあり、季節の花も生けてある。

写真5 暮らしを感じさせる住宅内(島根県重要文化財熊谷家住宅) 撮影:著者

この住宅の公開を準備し、今は管理を担う館長の小泉和子氏はいう。住宅は生活の器であり、その家の中でどのような生活が営まれたかを示すことが必要であると(小泉 2020)。通常、住宅が重要文化財に指定されたとしても、保存の対象は建物だけであり、そこで使われた家財は廃棄される。結果、抜け殻としての家だけが残される。幸い熊谷家住宅では不用な家財が残されており、その整理・修理などを地元の主婦たち(のちに合同会社「家の女たち」となる)が館長の指示のもと数年かけて行ったのだ。家の女たちはいま展示・維持管理を担っている。

 

【地域に根ざして引き継ぐ】

熊谷家住宅における家の女たちの実践は、文化財にとって、地域に根ざし文化を引き継ぐ人々の意識と活動というものが、いかに大切であり本質に結びついているかを示している。それは城下町の町屋に暮らす人々が主体的に取り組む新潟県村上の町おこしにも共通している。村上は江戸時代から鮭の養殖で知られており、いまは店舗の町屋のなかで加工用の鮭が吊るされた風景が名物になっている(写真6)。村上には重要文化財の武家住宅があり、無人の建物だけが公開されていた。鮭店の主人が町家の公開を始めたのは、ここを訪れる人にとって、人の住む血のかよった町屋の方が味わい深く、人とのふれあいがあり、家の中にこそかけがえのない価値があると考えたからだという(吉川 2004)。以後、各家に伝来するひな人形や屏風などを季節ごとに公開して多くの観光客が訪れている。人を惹きつけるのは、建物と一体となった人の暮らしと営みなのだ。文化財の制度は「建物には光は当たるが、ここに暮らす人々が不在」(永江 2015)と指摘されるように、人の営みから乖離した側面がある。重い課題である。

写真6 公開されている町屋の中(新潟県村上市きっかわ) 撮影:著者

おわりに

文化観光の進展により、日本各地の豊かな文化資源の魅力がより広く国内外に伝えられ、地域に息づく文化・文化財が継承されて、よりよい地域社会が築かれることを願うものである。そのためには、文化観光推進法の趣旨に合致した文化・観光・経済の循環とバランスを守らなければならないことを肝に銘じたい。

(参考文献)
  • 岩城卓二・高木博志編『博物館と文化財の危機』人文書院 2020
  • 吉川美貴『町屋と人形さまの町おこし』学芸出版 2004
  • 小泉和子「地元の主婦による文化財住宅の立ち上げと運営」『博物館と文化財の危機』 2020
  • 坂井秀弥「成功へのキーワード-価値の本質伝える専門人材が支え」『トラベルジャーナル』2020年10月12日号 特集「地域の文化と観光と」
  • 佐原 眞「考古学をやさしくしよう」『考古学と現代』岩波書店2005(再録、1986初出)
  • 永江寿夫「地の記憶をたどりながら、ここに生きていくこと-若狭鯖街道熊川宿の逸見勘兵衛家の試みから」『建築士』NO.751 日本建築士連合会 2015

坂井 秀弥さかい ひでや公益財団法人大阪府文化財センター理事長 奈良大学名誉教授

1955年新潟県生まれ。1980年関西学院大学大学院博士前期課程修了、2007年学術博士(新潟大学)。新潟県教育委員会、文化庁記念物課、奈良大学文化財学科教授をへて、2020年から現職。日本遺跡学会会長。古代・中世の考古学と地域史を専門とし、最近は文化財制度と地域づくりをテーマとする。主な著書に『古代地域社会の考古学』(同成社、2008)、『邪馬台国からヤマト王権へ』(共著、ナカニシヤ出版、2014)、「戦後遺跡保護の成果と文化財保護法改正の課題」(『歴史学研究』998号、2020)。