レポート

HOME /  レポート /  南アジア文化遺産の世界 第2回-南アジア、最初の人類-

考古学

南アジア文化遺産の世界 第2回-南アジア、最初の人類-

野口 淳 / Atsushi NOGUCHI

NPO法人南アジア文化遺産センター理事・事務局長

南アジアの人類の曙

南アジアの歴史と文化を担った多様な民族、そのもっとも古い祖先はどのような人々だったのだろうか。ヒンドゥー教の礎となったブラフマニズムの古層を伝える『リグ・ヴェーダ』には最初の人プルシャ(原人)が登場し、神々がその体を切り分けると天地、太陽や月、風、神々、そして様々な階級の人が誕生したとされるが、多分に抽象的観念的なものだとも言われる1)

これとは別に、全生命が滅ぼされた大洪水をヴィシュヌ神の助けで生き延び、後の世の人類の始祖となったマヌという存在もある(図1)。まるで旧約聖書のノアの故事のようだが、マヌはその後、ヒンドゥー教に連なる宗教・思想の根拠とされる『マヌ法典』を口述したともされる。わたしたち人類の祖先としてはこちらの存在の方がふさわしいのかもしれない。

図1 ヴィシュヌの化身に守られたマヌ(左側舟上左端の人物) (出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Matsya#/media/File:Matsya_Avatar_ca_1870.jpg, 所蔵:V&A Museum, Public Domain)

ところで最新の研究が明らかにする人類の起源は、およそ800万年前のアフリカにさかのぼる。一世代25年で計算すると32万世代、伝説が受け継ぐ記憶の彼方と言える時間幅だろう。そして、その後数十万世代にわたって紡がれてきた血のつながりの末端に、現代に生きる私たちがいる。

さてアフリカに出現した私たちの祖先は、現代人とはだいぶ姿かたちが異なる存在だった。そして、その後500万年以上の間、アフリカ大陸にとどまり、異なる環境へ適応していくつかの異なる種に分化した。かつては「猿人」と呼ばれた初期人類である。やがて300~250万年前ころ、初期人類の中から、直立二足歩行により適応し、道具作りに長けた一群が現れた。「原人」=ホモ・エレクトゥスである。このホモ・エレクトゥスこそ、はじめてアフリカの外に進出した人類である。

アフリカ大陸の外に残された最古級の遺跡や化石人骨は、中国、インドネシア、西アジアや南ヨーロッパなどで見つかっている。その年代はおおむね200~150万年前である。そして同じくらい古い遺跡が、インド、パキスタンでも見つかっている(図2)。

図2 南アジア最古の人類の足跡  ①リワート遺跡・ソアン川流遺跡群  ②シワリク丘陵の遺跡群  ③アッティランパッカム遺跡  赤丸:そのほかの主要な前期旧石器時代遺跡(120~50万年前) 背景段彩図:GTOPO30にもとづき筆者作成

南アジア最古の遺跡1:ヒマラヤ南麓の丘陵地帯

南アジア最古の遺跡の一つが、パキスタンの首都イスラマバードの南西にあるリワート遺跡だ。イスラマバードと、パキスタン第2の都市ラホールを結ぶ幹線道路(GTロード)のすぐ南、数百万年前から1万年前ころまでの地層が積み重なったポトワール台地にある(Google map)。一帯は、マルガラ丘陵に端を発するソアン川とその支流が谷を刻み、崖面には異なる時代の地層が露出している。最上部は15万~1万年前、中期~後期旧石器時代のレス-シルト層、その下に70~50万年前の礫層、そして200~90万年前のピンク色の砂岩層と続く(写真1, 2)。礫層と砂岩層は前期旧石器時代に相当する。このうちピンク色の砂岩層の中の、150~120万年前の火山灰層の下から1970年代にイギリス隊が発見した3点の石器が、南アジア最古級の石器群である2)

写真1 ソアン川流域の露頭(Dhok Pathan)(2015年11月筆者撮影)  上半部:70~50万年前の礫層、下半部:200~90万年前の砂岩層

写真2 リワート遺跡出土の石器(イスラマバード博物館所蔵展示、2015年7月筆者撮影)

ソアン川流域には、ほかにも多数の旧石器時代遺跡が知られている。その多くは、1920年代に、イギリス-アメリカの合同調査隊が発見したものだが、その後、ながらく調査が行われないままであった。筆者は、2014年以降、ここでパキスタン人研究者と協力して調査を開始している(写真3, 4)。現在までのところ、過去に調査されたものの詳しい位置が分からなくなってしまった遺跡や、新しい遺跡の位置を確認し、石器を採集している。今後、調査を継続する中で南アジアの人類史を明らかにするとともに、もしできることならば最古級の遺跡も見つけ出したいところである。

写真3 イスラマバード南郊の露頭(15~2万年前の地層、2014年8月筆者撮影)

写真4 採集された石器(筆者撮影)

またソアン川流域と共通する地層は、現在の国境を越えてインド、さらにネパールまで続いている。それらの地層から同じく100万年前を遡る石器が、インド側のパンジャーブ州、チャンディーガルの近郊などで見つかっている(写真5, 6)。2016年、インド-フランスの共同調査隊が、そうした遺跡のひとつから260万年前まで遡る「人為的な加工痕」のある動物骨(化石)を発見したと発表した3)。もし確かならば、アフリカから世界へ広がった人類の歴史を塗り替える大発見である。これからの研究に注目する必要があるだろう。

写真5 インド・パンジャーブ州チャンディーガル近郊の前期旧石器時代遺跡 撮影:筆者(2011年3月筆者撮影)  写真中の男性は260万年前の遺跡?を報告したチームの1人、M.シン氏

写真6 地表に露出した前期旧石器時代の石器(レンズキャップの右隣。筆者撮影)

南アジア最古の遺跡2:南インドの遺跡群

南アジア最古級の遺跡は、インド中~南部にも多数見つかっている。そのうちの一つが、南部タミルナドゥ州の大都市チェンナイの郊外にあるアッティランパッカム遺跡である(写真7)。NGOシャルマ遺産教育センターが推進する発掘調査では、5m以上の地層の中から5枚の文化層が見つかり、最下層の地層は最新の年代測定法(ベリリウム同位体法)により150万年前であることが判明した。

写真7 アッティランパッカム遺跡 (2014年1月筆者撮影)  写真中央の帽子の女性は調査・報告の中心となったS.パップー氏

この遺跡の特徴は、150万年前から十数万年前までの地層から、考古学的な時代区分でいえば前期旧石器時代から中期旧石器時代までの石器群が重なり合って発見されたことである。これにより、ハンドアックス(握斧:写真)と呼ばれる、アフリカ~西アジア~ヨーロッパに分布する石器が、南アジアでも旧石器時代の初頭から連続して使われていたことが明らかになった。

実はアッティランパッカム遺跡の発掘の前から、南アジアにもハンドアックスがあることは知られていた。しかし先にみたパキスタン~インド北部の遺跡では、ハンドアックスは古くても70~60万年前とされ、それ以前にはリワート遺跡のような礫器(チョッパー)があると考えられてきた。その背景には、南アジアだけでなく、東南アジアから東アジアの前期旧石器時代は、アフリカや西アジアより発展が遅れており、より古い技術や文化が遅くまで残っているとする考えが根強かったことがある。このため、それ以前にも、100万年を越える古い年代が報告されていたにも関わらず、なかなか学界全体には受け入れられなかった。ところがアッティランパッカム遺跡では、慎重かつ科学的な発掘の結果、連続する地層中から最新の技術による成果を含めた複数の方法で150万年前という年代が得られ、2011年、国際的な学術誌Scienceに成果が掲載された4)。これにより趨勢は一気に変わり、それまで懐疑的だった研究者も、南アジアのハンドアックスの古さを認めるようになったのである。

なおハンドアックスが出土する遺跡は、中~南インド各地に多数見つかっている。今のところ100万年前を越える古さの人類化石はまだ見つかっていないが、今後、あらたに発見される可能性は大いにあるだろう。

初期人類の文化―東西の違いはあったのか?

南アジア最古の人類文化は、どうやらハンドアックスをもつアシュール文化だったようである(図3)。これはアフリカ、西アジア、ヨーロッパ南部と共通するものである。一方、東南アジアや東アジアでは、インドネシアのジャワ原人、中国の藍田人、元某人など100万年前より古い原人化石が見つかっているのに、ハンドアックスはほとんど見つかっていない。最近では、中国南部からベトナムにかけて、ハンドアックスが70万年前より古い地層から出土することが分かってきた。同様の発見は、中国中部や韓国にも広がっている。しかし、どうも南アジアやそれより西にあるハンドアックスとは特徴が違うようだし、何より一つの遺跡から出土する点数も少ない。

図3 アシュール文化のハンドアックス (出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Biface_Cintegabelle_MHNT_PRE_2009.0.201.1_V2.jpg, 所蔵:Museum of Toulouse, CC SA 4.0)

かつてアメリカの研究者、H. モヴィウスは、ハンドアックスが分布する南アジアまでとそれ以東では人類の文化や進化の道すじが異なっていたのではないかと考えた(モヴィウス仮説)4)。ハンドアックスの分布自体は東アジアまで広がることが見えてきたが、やはり南アジアとそれ以東とでは文化の違いがあるようだ。それは環境の違いに対応した生活技術の差を示すのだろうか、それとも人類進化における種分化の差を示すのだろうか。

世界各地の資料を網羅的に分析した研究では、50万年前を境に、それまで共通性が高かったアフリカ、西アジア、南アジアのハンドアックスは、地域性が見られるようになるという。最初の大移住の時代を過ぎて、各地に定着した原人は徐々に異なる文化を発達させたのだろうか。最初にもっとも離れた地域に到達した東南アジアや東アジアの原人は、より早くにそうした分化の道をたどったのだろうか。

南アジアの旧石器時代遺跡には、壮大な人類史の謎を解き明かすカギが秘められているように思われる。


(1)    辻直四郎訳『リグ・ヴェーダ賛歌』岩波書店 1970
(2)    Rendell, H. M., R. W. Dennell, and M. Halim Pleistocene and Palaeolithic Investigations in the Soan Valley, Northern Pakistan. British Archaeological Reports (International Series 544). 1987、野口 淳「パキスタンにおける旧石器時代研究─近年の南アジア旧石器時代研究への位置づけと展望─」『旧石器考古学』71号、旧石器文化談話会 2009
(3)    Dambricourt Malassé, A., A.M. Moigne, M. Singh, T. Calligaro, B. Karir, C. Gaillard, A. Kaur, V. Bhardwaj, S. Pal, S. Abdessadok, C. Chapon Sao, J. Gargani, A. Tudryn and M. Garcia Sanz Intentional cut marks on bovid from the Quranwala zone, 2.6 Ma, Siwalik Frontal Range, NW India. In Human origins on the Indian sub-continent. Comptes Rendus Palevol, 15. 2016. doi: 10.1016/j.crpv.2015.12.001; http://www.outlookindia.com/magazine/story/here-lies-the-first-human-perhaps/296859
(4)    Pappu, S., Y. Gunnell, K. Akhilesh, R. Braucher, M. Taieb, F. Demory, N. Thouveny Early Pleistocene Presence of Acheulian Hominins in South India, Science vol. 331. 2011. doi: 10.1126/science.1200183

公開日:2016年12月14日

野口 淳のぐち あつしNPO法人南アジア文化遺産センター理事・事務局長

1971年東京都生まれ。専門は日本と南アジア、アラビア半島の旧石器時代考古学。2004年よりパキスタンでの考古学調査に携わる。2014年にNPO法人南アジア文化遺産センターを立ち上げ、南アジア諸国での文化遺産の調査・保護の支援協力に乗り出す。著書に『イスラームと文化財』(共編著、新泉社)など。
NPO法人南アジア文化遺産センターwebサイト(http://jcsach.com)