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考古学

古代エジプト埋葬文化の周縁3-女性と死-

和田 浩一郎 / Koichiro WADA

國學院大學文学部史学科兼任講師
早稲田大学エジプト学研究所招聘研究員
国際文化財株式会社

古代エジプト社会における女性の立場

成長したならば汝の家を建て

妻を熱情を持って愛せ

彼女の腹を満たし、彼女の背に服を着せよ

軟膏は彼女の体を癒す

汝が生きるのと同じだけ長く彼女の心臓を喜ばせよ

彼女は肥沃な畑であり、彼女の主人にとって有益なものである

「プタハヘテプの教訓」より

古代エジプト社会を紹介する書籍の中には、このナイル川下流域の王国が、古代世界では例外的に男女の平等を実現していたと述べているものがある。しかしこれは、古代エジプトに社会の理想像を見ようとする誤った認識である。現実の古代エジプトは、疑いなく男性中心の社会だった。女性が果たすべき役割と考えられていたのは、結婚して子供をもうけその子供を立派に育てること、外で働く夫にかわって家の管理を行うことだった。女性の典型的なイメージは、美術表現にも明確に示されている。男性が日焼けした褐色の肌、片足を踏み出した動的な姿で表現されるのに対して、女性は日焼けしていない明るい色の肌と両足をそろえた静的な姿で表現されているのである(写真1)。

写真1 夫婦の図像(前1350年頃 撮影:筆者)

写真2 市場の場面(Lepsius, R., Denkmaeler aus Aegypten und Aethiopien, Band IV, Berlin 1849)

このような社会での位置づけを見てくると、古代エジプトの女性たちは家に縛りつけられた存在で、社会的な自由を持たなかったように感じられるかもしれない。確かに女性が文字の読み書き能力を身につけ、行政上の役職につくことは非常にまれだった。しかし他方では、神官として宗教上の役割を果たした女性が数多く知られている。また王宮には王家の子供たちの面倒を見る乳母や、機織工房の運営を任されていた女性がいたことも分かっている。墓の壁画には庶民の女性たちが市場でものの売買を行っている様子が描かれており(写真2)、家の管理の一環として経済活動にも積極的に携わっていたことが分かる。さらに夫を介さずに奴隷を購入している妻の記録や、自分の財産を子供たちに分与する際に、親孝行でなかった者を対象から外す決定をしている母親の記録も見つかっている1)。多くの女性の活動が、家を中心にしたものだったのは確かだろう。だが女性は図像表現が示しているような静的な存在などではなく、ある程度の自由と権限を持って社会の一翼を担っていたといえる。

女性と再生の思想

それでは埋葬という文脈の中では、女性はどのような扱いを受けていたのだろうか。古代エジプトの文章表現では、地下世界の支配者であるオシリス神の名前を個人名の前につけることで、物故者であることを示すというルールがある。オシリスは男神だが、死者は性別に関わらず「オシリス何某」と呼ばれたわけである。これは死者がオシリス神と同化、あるいはその死を追体験する過程を経て、来世で再生すると考えられていたためである。この来世観には、死者には女性も存在するという視点が明らかに欠落している。そのため女性はオシリスという男神の状態を経由し、来世で再び女性になるというトランス・ジェンダーを経験することになった。この経緯の中では、女性が男神になる際に欠いているもの、つまり男性器の欠如が問題視された場合もあったようで、亜麻布を棒状にした作りものの男性器を棺の中に収めている女性の埋葬も報告されている2)

女性の死というモチーフの欠落は、神々の世界にも当てはまる。古代エジプトの神話の中で、再生する役割を帯びているのはラーとオシリスという男神だった。ラーの母とされる天空神ヌウトは朝ごとに新しい太陽を産み落とし、オシリスの妻イシスは謀殺された夫を魔術によって蘇らせる役目を果たした。いずれの女神も男神の再生に決定的な役割を果たしたわけだが、女神自身の死と再生というモチーフが描かれることはなかった。そのため死後の再生を果たすためには、女性であってもオシリス神との結びつきを強調しないわけにいかなかったのである。王朝時代後半の女性の棺には、胸の膨らみや女神と結びつくハゲワシをかたどった頭飾りが表現されるが、全体の形状は男性のものと同様オシリスの姿、つまり布で巻かれたミイラの姿を一貫してとっている(写真3)。古代エジプトが男性中心社会だったことは、このように宗教観・来世観にもはっきりと表れている。

写真3 女性用の人形棺(前1000年頃 撮影:筆者)

埋葬と男女の格差

前2000年紀後半にルクソール西岸の職人村(現在はディール・アル=メディーナ遺跡として知られる:写真4)に住んでいた人々の墓には、しばしば複数の男女が一緒に埋葬されていた。これらの被葬者同士はたいていの場合、親族関係にあったが、ともなう文字史料が乏しいためはっきりした関係が分からないことも少なくない。1990年代、こうした埋葬に含まれていた副葬品に、どれくらいの費用がかかっていたかを算出する研究がいくつか行われた。この職人村からは古代の物々交換の記録が豊富に出土しており、それを下地にして墓に収められた品々の価値を推測することが可能だったのである。

写真4 ディール・アル=メディーナの集落遺跡(筆者撮影)

研究の結果は興味深いものだった。棺の質や副葬品の数などからあまり豊かではなかったと判断される人々の場合、女性の方が費用をかけた埋葬を行うことが珍しくなかったことが分かった。その一方で職人長の地位にあったカアと妻メリトの場合、夫妻の間には副葬品の点数にして3倍以上、費用にしておよそ5倍の格差があった3)。夫婦間の格差は他の豊かな墓でも認められ、夫が二重棺を用いているのに対して、妻はひとつの棺しか当てがわれていない事例が見られる。このような傾向から、社会の上位が構築した価値観をよく知り物質的にも豊かな人々の間でこそ、男女間の格差が顕著だったということが推測できる。

エジプト学で女性研究が本格的に取り組まれるようになってから、まだ四半世紀というところである。埋葬という部分に絞ると研究の蓄積はさらに少ない。しかし女性の埋葬は、男性が作り上げた社会的な価値観の欠落部分を、古代の人々がどのように補っていたかを示してくれる格好の資料である。古代エジプトの女性は、妖艶さとしたたかさをもってオリエント世界にその名を知られていた。そのイメージ通り格差に負けない女性像が、研究の進展によって明らかになってくるかもしれない。


(1)    McDowell, A.G., Village Life in Ancient Egypt, Oxford 1999, pp. 38-40.
(2)    Cooney, K.M., “The Problem of Female Rebirth in New Kingdom Egypt: The Fragmentation of the Female Individual in her Funerary Equipment”, in Graves-Brown, C. ed., Sex and Gender in Ancient Egypt, Swansea 2008, pp. 1-25.
(3)    Meskell, L., “Intimate Archaeologies: The Case of Kha and Merit”, World Archaeology 29 (3) 1998, pp. 363-379.

和田 浩一郎わだ こういちろう國學院大學文学部史学科兼任講師
早稲田大学エジプト学研究所招聘研究員
国際文化財株式会社

1968年青森県生まれ。英国・スウォンジー大学古典古代史学部大学院修士課程、國學院大學大学院文学研究科博士課程修了。博士(歴史学)。2016年より国際文化財株式会社に所属。著書に『古代エジプトの埋葬習慣』(ポプラ社、2014)、『古代オリエント事典』(日本オリエント学会編、岩波書店、2004)など。