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遺跡・史跡

是川石器時代遺跡での保存・活用、地域との協働

小久保 拓也 / TAKUYA KOKUBO

八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館 学芸員
(副参事・縄文の里整備推進グループリーダー)

高校生による縄文ファッション 提供:八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館

世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産である「是川石器時代遺跡」(以下、是川遺跡)は、地域住民により100年前から大切に保存され、継承されてきた。是川遺跡をめぐる保存と活用、そして協働について、これまでの取り組みと、高校生による縄文ファッションをはじめ新たな取り組みについて紹介したい。

遺跡の発見と保存

是川遺跡は、青森県の太平洋側に位置する八戸市の是川地区に所在する、縄文時代を中心とした集落遺跡(写真1)である。是川遺跡は、縄文時代前期後半から中期の一王寺遺跡、中期末の堀田遺跡、後期末から晩期の中居遺跡という3遺跡の総称である。

 

1897年には人類学者の八木奘三郎により土偶の出土が伝えられ、人類学者の石田収蔵による1910年の発掘を皮切りに、土地所有者の泉山氏や、大山史前学研究所、東北帝国大学によって発掘が行われ、一王寺・堀田・中居のそれぞれで重要な発見があった。

 

一王寺遺跡では縄文時代の貝塚が発見され、貝層から見つかった土器を下層式、その上部の地層から見つかった土器を上層式として円筒式土器が設定された。堀田遺跡は、宋銭と縄文土器の共伴から、縄文時代の終末を巡る「ミネルヴァ論争」の舞台である。そして中居遺跡は、かつて「特殊泥炭層」と呼ばれた低湿地の中から、鮮やかな漆器や木製品が当時の形を保ったまま多数出土し、先史時代のイメージを一新した遺跡として知られている。1932年には、その重要性と保存を伝える「是川遺跡記念碑」が建立され、遺跡は1957年に「是川石器時代遺跡」として国史跡に指定された。

写真1 空から見た是川遺跡 出典:JOMON ARCHIVES

泉山家による是川遺跡の保存と活用

泉山家は明治時代に銀行を設立し、総合会社を営む県内有数の資産家であった。その泉山家に女婿として迎えられた岩次郎と斐次郎は義兄弟となり、それぞれに才能を発揮して活躍した。遺跡の発掘は、1920年に敷地内の畑から完全な皿形土器を斐次郎が発見したことから始まった(写真2)。発掘は泉山兄弟の情熱によって続けられ、出土品は5,000点とも伝えられる。その出土品は邸宅や、新たに建築した蔵に保管され、来訪者に公開したほか、研究者による発掘や、図録の刊行などに便宜を図っていた。また、発掘や出土品を撮影した写真原版(ガラス乾板)も残されており、1930年には、泉山岩次郎が会長を務める八戸郷土会から、その写真を使った「青森県是川村石器時代遺跡絵葉書」が発行された。絵葉書は12枚入で第1集と第2集が作られ、是川遺跡の重要性を伝える情報発信が民間によっていち早く取り組まれていたことがわかる。

写真2 昭和初期の発掘調査(泉山家による写真原版より) 提供:八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館

是川遺跡出土品は、1932年の「日本石器時代植物性遺物図録」刊行によって、さらに注目を集めた。図録は、歴史学者の喜田貞吉と図案家の杉山壽栄男が手掛けたものである。杉山は大森貝塚や是川遺跡の記念碑建立に関わった人物でもあり、泉山家と良好な関係を築き、本の作成にあたり、泉山家から是川遺跡出土品の貸与を許されたが、出土品を是川の地に留めるという泉山家の一貫した姿勢により、きちんと返却され、そのほとんど全てが当地に保存されることとなった。

 

是川遺跡と研究者を結びつけたのは、斐次郎の実兄・澤田熊次郎と考えられる。澤田は遺跡に強い関心を持ち、付近で発見された遺物を大学に送ったことで東北帝国大学の長谷部言人から礼状を送られており、実弟である斐次郎は実兄の影響を受け、遺跡の重要性をしっかりと認識していたと考えられる。

 

是川遺跡を精力的に発掘した大山史前学研究所は、ドイツで考古学を学んだ大山柏が主宰する民間の組織である。大山は、遺跡の発掘に便宜をはかった泉山岩次郎を東京の晩餐会に招き、戦時下には、泉山岩次郎がリンゴを手土産に根室の大山を訪ねるなど交流が続いていた。

 

また大山は、1931年にドイツで是川遺跡の泥炭層について学会報告を行っており、世界に是川遺跡の重要性を伝える動きがみられる。

 

是川遺跡出土品は、戦後の復興の中で美術品として再び評価され、1962年には五島美術館で「青森県是川遺跡出土品展」が開催されたほか、1964年には東京オリンピックの芸術展示として開催された東京国立博物館の「日本古美術展」に出品されるなど、日本を代表する先史美術品として注目されていた。

 

泉山家から八戸市に伝えられた資料には、芳名帳もあり、1937年から1964年にかけて是川遺跡を訪れた人物名が記録されている。芳名帳にはまた、国内の研究者をはじめ、アメリカやフランスの博物館・美術館関係者の名前があり、こうした人たちから、出土品譲渡の依頼があったと伝えられているが、泉山家は是川遺跡出土品を地域の宝として是川の地に置くことを固く守った。兄弟が遺跡を大切にし、誇りに思っていた様子は、出土品と共に写る泉山兄弟の姿からよく分かる(写真3)。

写真3 泉山岩次郎(左)・斐次郎(右) 提供:八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館

八戸市による是川遺跡の保存と活用

1961年に泉山家は、全ての出土品を八戸市に寄贈し、市は是川遺跡出土品の目録作成と適切な保存を約束した。目録の作成は慶應義塾大学考古学研究室に協力を仰ぎ、地元の研究者と共に進められ、翌1962年には出土品のうち633点が「陸奥国是川遺跡出土品」として重要文化財に指定された。これらの出土品は、1963年に開館した是川考古館に収蔵展示され、泉山斐次郎が名誉館長に就任した(写真4)。斐次郎は来館者に解説をすることもあったと伝えられている。考古館前には1971年に竪穴住居が復元され、是川遺跡は縄文のくらしを学ぶ場所ともなった。八戸市はその後、1975年に、幅広い文化財の保存と活用を行うため、歴史民俗資料館を開館させた。1983年に八戸の歴史と民俗を総合的に扱う博物館が史跡根城跡と一体的に整備された後には、歴史民俗資料館において、是川遺跡の展示の充実がさらに図られることとなった。

写真4 是川考古館。所狭しと縄文土器が並ぶ展示を記憶されている方も多い。2011年閉館、2020年に解体撤去となった。 提供:八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館

縄文時代後期の環状集落である風張1遺跡の発掘や、合掌土偶の発見、そして東北新幹線の八戸延伸の決定を契機として、1994年には縄文学習館が建設された。縄文学習館は体験学習機能を備えた施設として整備され、是川遺跡は、それまでの出土品展示に体験学習が加わり、縄文時代の文化やくらしを総合的に学べる場所となった。

 

1997年に八戸市は、本格的な是川遺跡の整備を目指し、「是川縄文の里整備構想」を策定した。構想は、憩いの場としての遺跡公園と共に、新たな展示施設の整備や縄文時代晩期・亀ヶ岡文化の研究を目指すものである。この構想が元となり、1999年から本格的な遺跡の発掘調査がスタートした。発掘調査は、低湿地から始まり、台地の未調査部分へと進められた。発掘調査により、中居の低湿地からは縄文時代晩期前半の土器・土偶・木製品・漆製品・編組製品・木材が当時の色彩や形状を保ったまま出土した(写真5)。台地部分では竪穴建物跡や土坑墓のほか配石遺構を検出し、中居遺跡が多様な施設を有する縄文時代晩期の集落跡であることが確認されたのである。こうした発掘調査の成果により、史跡と重要文化財の追加指定がなされた。

 

こうした発掘調査の成果を展示公開し、是川遺跡の史跡整備を推進する中核施設として、八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館が建設された(写真6)。是川縄文館はまた、八戸市内の埋蔵文化財調査・保存・活用のほか、研究を行い、地域文化の魅力を再発見し、誇りや愛着が感じられる郷土づくりに資することを目的としている。

写真5 木胎漆器(縄文時代晩期前半・中居遺跡) 提供:八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館

写真6 八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館 提供:八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館

是川縄文館の教育普及事業

是川縄文館では、教育普及事業として、縄文文化や考古学に関する展示のほか、講座・体験学習を行っている。常設展示は、是川遺跡出土品の特徴を活かし、「縄文の美と謎を探る」ことをテーマとしている。展示室は、泉山兄弟が保存に尽力し、八戸に残した出土品と、八戸市の発掘調査による出土品を合わせ、たくさんの漆製品や土器や土偶を美術品のように鑑賞してもらえるような空間となった。国宝の合掌土偶を目当てに来館される方が多いが、縄文の漆が輝く「漆の美」展示室に驚き、関心を持っていただくことも多い(写真7)。

写真7 「漆の美」展示室 提供:八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館

体験学習では、火起こし、布編み、勾玉作り、土器・土偶作りなど、縄文のものづくりを学ぶことができる。これらの体験学習の指導や展示ガイドは、縄文学習館のころから活動している「縄文是川ボランティア」が主体となっている(写真8)。是川縄文館では、こうした活動に向けた研修会を年に12回開催し、市民参加によって事業を進めることができている。研修会やボランティアへの加入に年齢などの制限はないため、是川縄文館は高校生から80代まで、幅広い世代が交流する生涯学習の場にもなった。こうしたボランティア活動やミュージアムショップは、市民団体である八戸縄文保存協会が下支えをしている。このほか、同会と是川縄文館は協力して、縄文まつりや遺跡探訪バスツアーなどのイベントを開催し、八戸の縄文文化の魅力を伝える取り組みを進めている。

 

館ではまた、是川遺跡や縄文時代の考古学について関心を持つ小中学生に向け「これかわ考古学クラブ」を開催している(写真9)。同クラブの開催によって、発掘から遺物整理の体験など実際の遺跡や資料に触れ、遺跡や考古学について楽しく学べる場になるよう、学芸員が工夫を重ねている。熱心な生徒が毎年参加することに加え、世界遺産効果もあり、2022年度は定員を上回る申し込みとなっている。

写真8 縄文是川ボランティア(ドングリを食べる教室の準備風景) 提供:八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館

写真9 一王寺遺跡での発掘体験 提供:八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館

多様な価値の創造に向けて

是川縄文館では、より多くの方に是川遺跡を知ってもらい、遺跡や縄文の重要性を伝えるため、他機関との共同(協働)事業にも取り組んでいる。

 

館の使命でもある研究分野では、大学との共同研究を推進しており、是川遺跡を含む環境変動と集落生態系を自然科学分析から解明し、その様子を復元画に描き出した。こうした成果は企画展示で一般公開し、研究紀要で総括されたほか、史跡整備の重要な資料となった。

 

遺跡や縄文を入り口にした、考古学主体ではない取り組みとしては、八戸ポータルミュージアムが招聘したアーティストによる参加・体験型のイベント「八戸ロマン時空探検隊」「是川時空探検まつり」への協力・共催があげられる。時空探検まつりでは是川遺跡を舞台として、参加者が縄文人たちに出会う参加型の演劇もあり、全く新しい取り組みとなった(写真10)。

写真10 是川遺跡に現れた縄文人(是川時空探検まつり) 提供:八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館

来館者の中で特に少ないのが高校生であるため、ここ数年は特に積極的に取り組みを進めていいる。夏の特別展として開催した文化庁巡回展「発掘された日本列島」では、八戸工業大学第二高等学校の生徒による特別展ガイドを行った。学芸員が研修を担当し、展示パート毎に担当してリレー方式でのガイドとなった。千葉学園高等学校とは、「縄文ファッション」に共同で取り組んでいる。同校は裁縫手芸に長い伝統がある県内唯一の女子校であり、ファッション甲子園に縄文をテーマにした作品を製作するため、解説の依頼を受けたことを契機に共同が始まった。これまでに、是川遺跡の土器や土偶をテーマにしたドレスの製作のほか、土器の文様を使ったアクセサリーなどの作品が出来上がった。こうした高校生による縄文ファッションへの取り組みは、是川遺跡の新たな活用事例となった(冒頭写真)。是川縄文館の音声ガイド(ポケット学芸員)は、八戸東高等学校の放送部に朗読を依頼したものである。全85の常設展示解説は、簡潔で平易な文章になるよう努めたものだが、高校生に読んでもらう中で、我々が思う以上に難読な専門用語が多いことに気づくとともに、音声解説の重要性を再認識する機会となった。

 

一番新しい協働の取り組みは、就労継続支援B型事業所との協働である。世界遺産登録を広く市民に知っていただくためのラッピングバスの制作にあたり、デザインと福祉をつなげる取り組みを進めている「想造楽工」に依頼した。当館が用意した画像や土器レプリカなどを元に、市内の「合同会社ふれ愛プラザあおば」の利用者全員がイラストレーターとなり、「想造楽工」がデザインを仕上げたもので、賑やかで楽しいものとなった(写真11)。こうしたさまざまな取り組みを通して、遺跡や考古学の「価値」は多様であり、人をつなぐ力や可能性に満ちていることを実感した。

写真11 縄文ラッピングバス 提供:八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館

是川遺跡の未来

2021年7月に世界遺産となった「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産である、是川石器時代遺跡は、縄文時代晩期の成熟した縄文の姿を伝える遺跡である。八戸市では現在、縄文時代晩期の中居ムラの復元整備に取り組んでいる。中居遺跡は、発掘調査と分析により明らかになった植物利用の様子を再現し、クリだけでなく、トチノキ、クルミ、コナラを育てて使う、市民と共に育てる史跡を目指している(図1)。遺跡内にはこれまでも縄文人が利用した植物を植栽しており、地元住民による「是川文化財愛護会」の全面的な協力のもと、復元建物とともに管理をしてきた。裾野をさらに広げ、今後、市民みんなの是川遺跡となるよう、遺跡とその周辺の清掃活動を行うクリーンデーを開催している。

 

是川遺跡の保存と整備活用は、市民と共に進めることにより、是川遺跡と是川縄文館が縄文人のくらし方や生きる知恵を楽しく学べる場所となることを目指している。是川遺跡が現代社会の生活の中に溶け込む拠点の一つとなり、世界遺産としての価値の伝達や遺跡の保全が続いていくよう、今後もさまざまな協働に取り組んでいきたい。

図1 史跡是川石器時代遺跡 第1期整備イメージ

参考文献
  • 佐藤ちひろ『泉山兄弟と是川遺跡』八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館 2020
  • 佐藤ちひろ・大野亨「是川遺跡100年のあゆみ」『研究紀要』10 八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館 pp.19-40 2021

小久保 拓也こくぼ たくや八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館 学芸員
(副参事・縄文の里整備推進グループリーダー)

1976年埼玉県生まれ。國學院大學文学部史学科卒業。専門分野は考古学。2000年青森県八戸市採用。
是川石器時代遺跡の発掘調査、是川縄文館の開館準備を経て、同館の企画展示などの教育普及、史跡整備、世界遺産登録を担当。2021年より現職。

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