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遺跡・史跡

「北海道・北東北の縄文遺跡群」の価値

岡田 康博 / YASUHIRO OKADA

青森県企画政策部 世界文化遺産登録推進室 世界文化遺産登録専門監・縄文遺跡群世界遺産登録推進会議座長

三内丸山遺跡遠景 出典:JOMON ARCHIVES(撮影:青森県)

はじめに

2021年7月開催の第44回世界遺産委員会拡大会合において、青森県・北海道・岩手県・秋田県及び関係自治体(千歳市、伊達市、洞爺湖町、森町、函館市、青森市、八戸市、弘前市、つがる市、外ヶ浜町、七戸町、一戸町、鹿角市、北秋田市)が進めてきた域内の縄文遺跡群で構成する「北海道・北東北の縄文遺跡群」(Jomon Prehistoric site in Northern Japan)の世界遺産一覧表への記載が決議された。

 

2009年に暫定一覧表に追加記載されたもののユネスコへの推薦が得られない状況が続いていたが、2019年には推薦が決定し、2020年1月に推薦書が提出された。その後イコモス(国際記念物遺跡会議)の現地調査を経て、2021年5月には登録が適当とのイコモス勧告が出されていた(図1)。

 

なお、登録推進にあたって、構成資産が広域に点在することから、関係道県の知事・教育長及び関係市町の首長等で構成する登録推進本部(本部長・三村申吾青森県知事)を立ち上げ、各自治体の文化財主管課長らによる推進会議、考古学や世界遺産、文化財保護の専門家による専門家委員会を設置し、諸課題への検討と共通理解を図りながら推薦書作成及び機運醸成に取り組んできた。

図1 「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に登録されるまでの道のり

時代背景について

「北海道・北東北の縄文遺跡群」は日本の歴史の時代区分では縄文時代に属する。縄文時代は約15,000年前に始まり約2,400年前まで続いた狩猟・採集文化の時代である。後氷期の急激な気候温暖化は日本列島に落葉広葉樹林の拡大と海水面上昇による内湾や入り江の形成など、大きな環境や地形の変化をもたらした。大型動物の狩猟機会は減少し、新たに海や森の豊かな資源を利用する機会が増え、狩猟・採集や漁労を基盤として、定住が開始した。やがて生活の本拠地である集落が出現した。特に墓地の形成は土地との結びつきや執着を示すものである。他に貯蔵施設や祭祀・儀礼の空間も設置されるようになった。集落や地域社会を支えるための祭祀や儀礼なども活発に行われるようになった。

 

土器が誕生し、周辺環境における資源を利用するための技術や道具類も発達し、石鏃せきぞく石匙いしさじなど特有の道具も出現した。特に土器は北東アジアでは最古級のものであり、煮沸や貯蔵を容易にするとともに、利用可能な資源の範囲を拡大することに大きく貢献し、生活の安定をもたらした(図2)。弓矢は俊敏な動きをする中・小型動物の獲得に適していた。ウルシやアスファルトの利用など新たな技術も開発されるとともに土偶などに見られる精神世界も充実するようになった。大規模な構造物である盛土や環状列石、周堤墓、共同墓地なども作られた。これらでは祭祀や儀礼が恒常的に行われ、維持管理や構築が世代を超えて継承されていたことは重要である。

 

縄文時代は1万年以上もの長きにわたって継続し、本格的な農耕や牧畜を伴わず定住が開始、発展、成熟した世界的に希有な文化と言え、日本の歴史の大半を占め、現代生活や文化の基礎となったことから、日本文化の基層が形成された時代との認識もある。

図2 北東アジア最古級の土器(大平山元遺跡)

縄文遺跡群の価値について

縄文遺跡群は、北東アジアにおいて、採集・漁労・狩猟を基盤とした定住を1万年以上の長期間継続した世界的にも稀有であり、たぐいまれな精神性を含む生活の在り方及び自然環境の変動に応じて変容させた集落の立地と構造を示す遺跡群は,農耕以前の人類の生き方を理解する上で貴重であることから世界遺産としての価値が認められる。

 

世界遺産は顕著な普遍的価値を持っていなければならないが、この点についてユネスコでは、評価基準の適応、完全性・真実性の証明、万全の保護措置の三つの柱によって示す必要があるとしている(図3)。

図3  OUV(顕著な普遍的価値)を支える柱

評価基準については、世界遺産委員会が定めた「世界遺産条約履行のための作業指針」が示す評価基準(ⅲ)と(ⅴ)を適用した。考古学的遺跡は地下に埋蔵されている場合が多く、一見してその存在や価値がわかりづらいといった特性があることから、その点に留意した説明を必要とした。既登録の考古学的遺跡については(ⅲ)を用いる場合が多いよう思われる。いうまでもなく、縄文時代にさかのぼる文化的要素が現代社会に見られるとしても、縄文文化が続いているわけではない。

 

推薦資産は、定住の過程を大きく開始、発展、成熟と三段階に区分し、それぞれにおける環境適応、集落構造と立地、祭祀・儀礼のあり方などについて切れ目なく説明できる(図4)。

図4 縄文遺跡群の変遷図

完全性については、個々の構成資産の完全性とともに、顕著な普遍的価値を説明するための属性とし【a】豊富な水産資源・森林資源を活かした生活を示すこと、【b】精緻で複雑な精神性を表すこと、【c】集落立地と生業との関係が多様であること、【d】集落形態の変遷を示すこと、の4点を設定し、これらが適応できる史跡や特別史跡が選択されている。真実性についても地下に埋蔵されている遺構が対象であることから特に問題はない。発掘調査が行われた後、埋め戻し等が行われ、適切に保存されている。また、一部の遺跡では竪穴建物などが立体的に復元、表示されているものの、これらは登録の対象とはしていない。

 

保護措置については、文化財保護法による国の特別史跡または史跡の指定を受けるとともに、周辺環境(バッファゾーン)の保全については各自治体が策定する景観計画によって適切に保全されている。

北海道・北東北及び17遺跡である理由

遺跡群は17遺跡から構成されている(図5)。これらは国の特別史跡ないしは史跡である。この地域では、地理的・自然的環境から、同一の文化的まとまりが縄文時代を通じて成立していた。その背景として、採集・漁労・狩猟を基盤とする定住を支えた豊かな自然環境に恵まれたことが挙げられる。生物多様性に富んだ北方ブナ帯の森林が人々の生活域である海岸近くまで広がり、さらに寒流と暖流が交差する海洋が3方を囲み、森林資源・水産資源ともに恵まれた環境にあったことが定住を促進させる大きな要因となったものと考えられる。

 

今回の登録は、シリアルノミネーションであり、連続性のある資産でなければならず、同一の歴史-文化群であることが求められている。つまり、互いに文化的関係性が十分に説明できなければならないため、登録の範囲を日本列島全体とするには無理がある。推薦資産を構成する17の遺跡は、長期間継続した採集・漁労・狩猟を基盤とする生活の実態と変遷について連続して示すことができる唯一の地域と言える。

図5 「北海道・北東北の縄文遺跡群」を構成する17の遺跡

おわりに

「北海道・北東北の縄文遺跡群」は人類の歴史と文化の多様性を知る上で、人類共通の貴重な文化遺産であり、未来に伝え、残すべきものである。長期間継続した狩猟採集文化であり、豊かな精神文化を示すとともに自然環境の変動に応じて変容させた集落の立地と構造を示す遺跡群は,農耕以前の人類の生き方を理解する上で貴重であると考えられる。

 

この地域には2万カ所以上の遺跡が所在し、大湯環状列石(秋田県鹿角市)と三内丸山遺跡(青森市)と2カ所の特別史跡を含め、数多くの遺跡が整備され、遺跡公園として整備・活用され、人々の縄文時代の文化についての理解促進に大きく貢献していることも重要である。

岡田 康博おかだ やすひろ青森県企画政策部 世界文化遺産登録推進室 世界文化遺産登録専門監・縄文遺跡群世界遺産登録推進会議座長

1957年青森県弘前市生まれ。1981年弘前大学卒業。同年青森県埋蔵文化財調査センター採用。1992年三内丸山遺跡発掘調査責任者。2002年文化庁記念物課文化財調査官(埋蔵文化財部門)。2006年青森県三内丸山遺跡対策室長。青森県教育庁文化財保護課長を経て、2015年青森県企画政策部世界文化遺産登録推進室室長。2021年より現職。主な著書に、『三内丸山遺跡-復元された東北の縄文大集落』(同成社、2014)、『世界遺産になった! 縄文遺跡』(同成社、2021)など。