レポート

HOME /  レポート /  「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に登録された意義

遺跡・史跡

「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に登録された意義

鈴木 地平 / CHIHEI SUZUKI

文化庁 文化資源活用課 文化遺産国際協力室 文化財調査官

小牧野遺跡(青森県青森市) 提供:縄文遺跡群世界遺産登録推進事務局

世界遺産登録の意義は、単に自国の遺産が世界に認められるというだけではない。世界の人々にとっても、その遺産を通じて新たな知見が得られる、その保護の取り組みを自分たちの遺産に活かせるというように、双方向の意義が見いだされなければならない。

1.縄文遺跡群登録の意義

筆者は、北海道・北東北の縄文遺跡群(以下、縄文遺跡群という)が世界遺産に登録された意義は、以下の2点にあると考えている。

 

一つ目は、現行の世界遺産一覧表では必ずしも十分に反映されているとは言えない農耕社会以前の人類の暮らし・精神世界について、一つの在り方を示したということ。二つ目は、狩猟・採集社会の人類はおおよそ移動生活を営み、農耕社会以降の人類はおおむね定住生活を営むという世間の「常識」があるのだとすれば、それを覆したことである。

 

我々はややもすると、我々にとって世界遺産の登録はどんな意義があるのかということを考えがちである。もちろん、縄文遺跡群の世界遺産登録によって我が国の価値ある文化財を世界的に知らしめることができたであるとか、その結果世界中からの来訪者を期待することができるとかいう意義もあろう。他方で、縄文遺跡群の登録は世界遺産条約、あるいは世界遺産にかかわるユネスコ・コミュニティとでも言うべき人々にとっても、意義のあるものであった。

 

我々は世界遺産一覧表に記載されたそれぞれの遺産を見ることによって、文化遺産で言えば我々人類がどのような文化を紡ぎながら歴史を歩んできたのか、自然遺産で言えば我々の地球がどのような営為をもって成立してきたのかを知ることができる。そもそも先史時代の遺跡は、古いがゆえに世界的にも遺存のよくなく、あるいは十分に学術的調査が行き届いていないためその実態がよくわかっていない。縄文遺跡群は、少なくとも今の世界遺産一覧表からはあまり明確に知ることができない狩猟・採集社会における人類の在り方について、その変遷も含めて理解することができるという点で、世界の人々に対しても新たな知見を与える資産なのである。

2.狩猟・採集社会における人類の暮らし

人類の歴史は、ごく大まかに分けて狩猟・採集社会、農耕社会、工業社会、情報社会の四つから成る。現生人類の出現時期については諸説あるが、約10万年前に現れたとして、そこから世界で言えば約1万年前まで、日本列島で言えば約二千数百年前まで狩猟・採集社会が継続していた。言い換えると、我々人類の歴史の90%超が狩猟・採集社会だったわけである。

 

翻って現在の世界遺産一覧表には、計897件の文化遺産が登録されている。このうち人類史の中で最初かつ最も長い期間を占める、それゆえ人類史の1ページとして欠くことのできない狩猟・採集社会を示す資産は、実は60件ほどしか登録されていない。現在の世界文化遺産の90%以上は、農耕社会以降の資産なのである。世界遺産一覧表が、人類が育んだ文化・文明の痕跡及び地球が営んだ自然現象の結果を偏りなく表したものを目指しているのだとすれば、この採集・狩猟社会を示す資産が極端に少ないという不均衡は積極的に是正されなければならない。実際、登録されている世界遺産には時代的、地域的、分野的な偏りが指摘されている。そして、ユネスコ及び世界遺産条約締約各国は、その不均衡を是正し代表性・均衡性・信頼性を担保した世界遺産一覧表作成を実現するための「グローバル・ストラテジー」に1994年より取り組んでいる(鈴木 2017a)。

 

狩猟・採集社会に属する約60件の世界遺産のうち、アルタミラ洞窟と北部スペインの旧石器時代洞窟美術(スペイン、1985年登録・2008年拡張)やグブスタンの岩絵の文化的景観(アゼルバイジャン、2007年登録、写真1、2)など、一定数を洞窟壁画・岩絵が占める。描かれたスイギュウやヤギなどからどのような野生動物を狩猟の対象としていたのか、あるいはシカなどの動物を生贄とした宗教的・呪術的な集団儀式の様子などはわかるものの、縄文遺跡群が示すような集落構造やその変遷をそこから読み取ることは困難である。

写真1 グブスタンの岩絵(ヒトと舟か) 撮影:著者

写真2 グブスタンの岩絵(スイギュウか) 撮影:著者

サルーム・デルタ(セネガル、2011年登録)は埋葬施設を伴う貝塚群であり、西部アフリカにおける漁労・採集生活の在り方及び死生観をうかがい知ることができる。縄文遺跡群にも二ッ森ふたつもり貝塚(青森県七戸町)や北黄金きたこがね貝塚(北海道伊達市)など貝塚を含む構成資産がいくつかあり、やはり単なるゴミ捨て場ではなく祭祀・儀礼の機能が確認されるなど、サルーム・デルタとの共通性も指摘できる。縄文遺跡群は北東アジアにおける採集・漁労・狩猟を基盤とした人類の生活及び精神世界の在り方を示すものであり、世界遺産登録に関して必ずしもサルーム・デルタのような他地域の先史時代の遺跡とは排他的関係にあるわけではない。今のグローバル化した時代とは違って、先史時代の人類の暮らしは地域ごとにそれほど相互の影響なく成立していたのであり、我々はそれぞれの地域における痕跡を通じて、先史時代の人類の実像に迫ることができるのではないだろうか。

3.狩猟・採集社会≒移動生活?

一般に、人類は狩猟・採集社会では移動生活を営み、農耕社会になってから定住を始めたと言われる。狩猟・採集・漁労を生活の基盤とした生活は、季節ごとに、あるいは資源が枯渇した段階で次の地へ移動しながら生活するのが合理的である。他方で農耕社会では、土地に積極的に手を加えることによってある種類の植物栽培に適した土壌を作るので、同じ土地にとどまって生活を営むことが理屈に合う。もちろん、遊牧民など現在でも移動生活を営む人々も一定数存在する(そして前述のグローバル・ストラテジーでは、遊牧民の生活文化は未だ世界遺産一覧表に十分に反映されていない分野の一つとしている)が、おおむね上記の理解は広くあてはまると言えるのではないだろうか。

 

これに対し、北海道・北東北の縄文人たちは、採集・漁労・狩猟を基盤としつつも定住生活を営んでいたとされている。なぜそれがわかるかと言うと、土器の存在が大きい。縄文遺跡群の構成資産の一つである大平山元おおだいやまもと遺跡(青森県外ヶ浜町)からは、今から約15,000年前の土器の破片が発見されている。土器は重くて壊れやすく、そんなものを持って移動する人はいないだろう、したがって少なくとも一定期間は同じ場所にとどまって生活していたはずだ、というわけである。

 

取っても枯渇しないほど森林資源及び水産資源に恵まれていた点も、定住生活を可能にした要因の一つとして指摘できよう。食料を安定的に確保するため、サケが遡上する河川の近くや汽水性の貝類を得やすい干潟近く、あるいはブナやクリの群生地など集落の選地には多様性が見られ、それぞれの立地に応じて食料を獲得するための技術や道具類も発達した。海進期には高い丘陵地に、海退期には食料を得やすい海岸近くに集落を営むなど、気候変動による海水面の変動にも対応しつつ、サケ・マス・シジミ・ハマグリに代表される豊富な水産資源や、シカ・イノシシ・クリ・クルミといった豊かな森林資源を利用することによって、採集・漁労・狩猟を基盤とする定住生活を長期間継続することができたのである。

4.なぜ北海道・北東北なのか?

縄文遺跡群の本質的価値は、a)自然資源を巧く利用した生活の在り方を示すこと、b)祭祀・儀礼を通じた精緻で複雑な精神性を示すこと、c)集落の立地と生業との関係が多様であること、d)集落形態の変遷を示すこと、の4点から成る。この地域の縄文人たちは、豊富な森林資源・水産資源を背景に、1万年以上にわたって採集・狩猟・漁労を基盤とした生活を営んだ。その間、気候の温暖化または寒冷化及びそれに伴う海進・海退といった環境の変化や火山噴火等にうまく対応しつつ集落構造を変化させ、あるいは集落立地及びそれに伴う生業を変化させ、暮らしを営んだ。また、定住のごく初期から墓地を営み、祭祀・儀礼の場である盛土や環状列石を構築するなど、豊かな精神文化もうかがえる。このような採集・狩猟社会における人類の暮らしぶりが如実にわかる遺跡群は世界でも稀であり、それゆえ縄文遺跡群が登録されることは、世界遺産一覧表の多様性をさらに向上させるものであった。

 

縄文遺跡群の世界遺産推薦を考えるうえで、国内の他の縄文遺跡(群)との比較分析について常に尋ねられた(中門・鈴木 2021)。曰く、なぜ北海道・北東北なのか? 他にも日本国内にはたくさん縄文遺跡があるじゃないか、というわけである。もちろん、特別史跡に指定されている尖石石器時代遺跡(長野県茅野市)や加曽利貝塚(千葉県千葉市)をはじめ、全国には数多くの縄文遺跡が所在する。それらの中には精緻な調査研究に基づき高い価値付けがなされているものや、展示解説を含め保存・活用が十全になされているものも多い。狩猟・採集を基盤に定住生活を営んでいたことを示すもの、農耕以前の時代の暮らしぶりや精神文化の在り方がわかるものというのも、何も北海道・北東北に限らない。

 

詳細は縄文遺跡群の推薦書(日本国 2020)をご覧いただきたいが、北東アジアで15設定した地域文化圏(北海道・北東北を含む、図1)ごとに比較した結果、推薦書で主張する上記価値を最も端的に表すのは、北東アジア最古の土器の出現を示す遺跡、複雑な精神性を示す環状列石、集落構造の変遷過程における立地と生業の多様な関係を示す集落遺跡など17の遺跡で構成される北海道・北東北の縄文遺跡群であると結論付けた。注意すべきはこの「推薦書で主張する価値を最も端的に表す」の部分であり、他の縄文遺跡の価値を否定するものではない。

図1 紀元前の北東アジアにおける地域文化圏

別の見方として、日本全国の縄文遺跡のいくつかを組み合わせて推薦書を作成する「全国型のシリアル・ノミネーション」という可能性についても考えたことがある。ただしその際に課題となるのが、『世界遺産条約履行のための作業指針』第137項aに規定する「各構成資産同士が文化的・社会的・機能的に結びついている必要がある」という点である(鈴木 2017b)。確かに黒曜石やアスファルトなどの物質を通して広域的な交流があったことがわかっているが、それだけをもって「文化的・社会的・機能的に結びつき」と言えるかどうかは甚だ心許ない。物証が限られる縄文時代の資産に関して複数の遺跡から成る推薦を考えるうえで、現時点では同一の地域文化圏という観点を採用するのが最も理に適っていた。

5.むすびに

縄文遺跡群は17の構成資産から成る。もちろん、この17の構成資産で過不足なく上記価値を証明しているわけだが、その背後には日本考古学における長年にわたる研究蓄積に負うところが大きい。そもそも残りが少ない先史時代の遺跡について、集落展開や生活の在り方、精神世界まで考古学的物証をもって語ることができるのは、世界的にも稀有である。その意味で、今回の縄文遺跡群の登録を機に、北海道及び北東北3県に所在する約20,000件、ひいては日本全国に所在する約90,000件の縄文時代の遺跡にも光が当たることを強く望む。

 

また、少なくとも1950年の文化財保護法成立以来、70年以上も積み重ねてきた日本の埋蔵文化財保護の厚みも、今回の縄文遺跡群の登録に大きく貢献したと言えよう。日本全国の大学で考古学の講座が持たれ、全国の地方自治体に埋蔵文化財の専門職員が配置され、全国約46万か所を遺跡として特定し、そこでひとたび開発計画が持ち上がると法に基づいて届出がなされる。あるいはそれぞれの遺跡には熱心なファンがいて、清掃など日常管理から遺跡の解説(写真3)までしてくれる。こうした我が国の埋蔵文化財保護の在り方を世界に紹介することができたのも、縄文遺跡群の世界遺産登録の大きな意義と考える。

写真3 御所野愛護少年団 伊勢堂岱遺跡ジュニアボランティアガイドとの交流 提供:御所野縄文博物館

参考文献
  • 鈴木地平(2017a)「グローバル・ストラテジー ―代表制・均衡性・信頼性を反映するための戦略」、西村幸夫・本中眞監修『世界文化遺産の思想』11章、東京大学出版会、pp.101-110
  • 鈴木地平(2017b)「世界遺産の「新しい類型」 ―地域や類型の不均衡の解消をめざして」、西村幸夫・本中眞監修『世界文化遺産の思想』12章、東京大学出版会、pp.112-122
  • 中門亮太・鈴木地平(2021)「登録までの歩み」、月刊文化財698、pp.18-21
  • 日本国(2020)『北海道・北東北の縄文遺跡群』、pp.140-149
    https://bunka.nii.ac.jp/docs/special_content/recommendation/20_jomon.pdf(2022年1月31日閲覧)

鈴木 地平すずき ちへい文化庁 文化資源活用課 文化遺産国際協力室 文化財調査官

1980年生まれ、滋賀県大津市出身。専門は歴史地理学、地域政策学、文化遺産学。京都大学文学部(地理学)、同大学院文学研究科(同)を経て、2005年より文化庁技官(文化的景観)、2015年より現職。博士(地域政策学)。約10年間、全国の文化的景観の保存・活用に従事したあと、現在は世界遺産担当として北海道・北東北の縄文遺跡群の推薦や平泉の保全に携わる。主な著作に『景観史と歴史地理学』(共著、吉川弘文館、2018)、『世界文化遺産の思想』(共著、東京大学出版会、2017)など。

PAGE TOP