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遺跡・史跡

旧門司駅舎跡の調査見学記

森屋 直樹 / Naoki Moriya

NPO法人 文化遺産の世界 理事長
国際文化財株式会社 顧問

現在の門司港駅(撮影:筆者)

はじめに

旧門司駅舎跡の遺構については、2023(令和5)年度の調査で機関車庫などの基礎が発見されたことが報道され、遺構の保存問題や遺構の一部移築費用について予算案を市議会が否決するなど全国的な話題となった。

 

2021(令和3)年に高輪築堤跡が、国史跡に指定されたことも記憶に新しく、本誌では全国的な近代遺跡の調査や保存の問題をテーマにした特集記事(本号)について取り組み始めた矢先であった。

 

このため筆者は、2024(令和6)年6月と10月に北九州市に赴き、遺跡調査を見学させていただく機会を得た。本稿では、その際にいただいた発掘調査現地説明会資料をもとに、見学記としてご紹介することとする。本文中に記載する遺構表記等については、現地説明会資料を基本とするが、遺構概要等の文章についても、筆者の理解で記述しているため、文責については筆者にあることをお断りしておきたい。

調査の経緯と経過

北九州市は2018(平成30)年度に門司地域の区役所や図書館、市民会館などの9施設の老朽化に伴い、これらを一体で整備すべく複合公共施設を門司港駅東側のJR用地とすることを決定した。

 

2023(令和5)年3月複合公共施設の整備に先立ち、試掘調査が行われた結果、旧門司駅関連施設と思われる煉瓦遺構などが確認され、遺跡の存在が明らかとなった。同年9月~11月にかけて本発掘調査(1区)が実施され、機関車庫の遺構など遺跡の実態が明らかになり、翌2024(令和6)年8月~10月に調査区を拡張して、追加調査(2区)が実施された。

門司停車場(初代門司駅)の位置と歴史

旧門司駅舎跡は門司区清滝2丁目に所在しており、九州の最北端に位置する企救半島にあり、関門海峡を挟んで、本州下関と向き合う(図1)。門司区の大部分を企救山地が占め、山地の周囲には崖地形が発達しており、間に狭小な谷底平野がわずかに広がっている。

 

本遺跡は企救山地の北側に位置する三角山のさらに北側にひろがる低地部に位置し、眼前には海が広がっている。

図1 旧門司港駅舎跡の位置

1891(明治24)年に九州鉄道の起点、門司駅として開業するまでは、海岸線であり、調査区の北半部は埋め立てによる造成土の堆積がみられ、海岸線には石垣が確認されている。

 

1901(明治34)年には関門連絡船の運航が開始され、旅客や貨物の九州側の発着点となる。

 

1914(大正3)年に現在の駅舎に移転後、門司港駅に改称された。あわせて山陽本線の接続点である大里駅を門司駅に、門司埠頭にある貨物輸送用の貨物駅である門司港駅を門司埠頭駅に改称された。

 

1944(昭和19)年に関門鉄道トンネルが開通し、その後の車道、人道トンネルの開通、続いて関門橋が建設されたことによって、陸上交通、海上交通の要衝であった門司は、九州~本州間の通過点となり、その役割を縮小した。

 

門司港と旧門司駅が石炭をはじめとしたさまざまな物資と人の流通の起点となり、日本の近代産業の歴史を語るうえで重要であることは言うまでもない。現在も、門司港駅周辺には、門司港駅舎を中心にその繫栄した歴史を裏付ける近代遺産が多数存在しており、「門司港レトロ」として訪れる人々の目を楽しませている。

主な調査成果の概要

主要な遺構はコンクリート基礎、石垣、煉瓦遺構、布基礎などであるが、1891(明治24)年の開業の際の明治期、1914(大正3)年の駅舎移転に伴う大正期、昭和期のおおよそ3時期に区分されるようである(図2)。また、構内の建物等については、1897(明治30)年、1916(大正5)年、1933(昭和8)年の構内図を参照して建物を推定することが可能であるとしている。本稿では時期の古いものから、推定される遺構ごとに概観していくこととする。

図2 旧門司駅舎跡主な遺構配置図(上が南東。提供:北九州市)

 

【明治期】

旧海岸線の護岸と埋立整地

調査区は丘陵がなだらかに傾斜して海岸と接する場所にあたっており、調査区の半ばを東西に旧の海岸線と護岸の石垣が検出されている。築港・駅舎の建設に先立って、埋め立て整地を行っている状況がみられる。造成土の下層からは、古墳時代から近世にいたる遺物が出土している。

 

機関車庫基礎と周辺遺構

調査区の中央、東西に細長い建物基礎が検出される。基礎構造は海を埋め立てたところと陸地部分では異なっており、埋め立て部分の下部の基礎構造は胴木を縦横に組み、それを木杭でとめ間に砂利を充填して地盤の沈下を防ぐ構造である。

 

上部の基礎構造はコンクリートの布基礎のうえにイギリス積みで煉瓦を積んでいる。コンクリートの打設も埋め立て部と陸地では異なっており、埋め立て部は打設の際の型枠が残るが、陸地部は地山を細長く掘り込み、そのままコンクリートを流し込んでいる。このことから、機関車庫の建設が造成工事と同時に行われていたことが明らかとなった(写真1,2)。

写真1 陸地部分の機関車庫基礎(提供:北九州市)

写真2 埋め立て部分の機関車庫基礎(提供:北九州市)

機関車庫の南端は調査区の南側に続いており、全体の規模などは不明であるが、1897(明治30)年の門司駅構内図を参考にすると、今回の調査で見つかったのは機関車庫のほぼ半分程度であると思われる。

写真3 機関車庫とその周辺の遺構(撮影:筆者)

初代駅舎外郭

調査区北東隅にL字状に重なって検出された石垣基礎である。花崗岩の間知石を用いており、2号石垣が3号石垣の上にあり、明治・大正期の地図から2号が大正3年開業の2代目門司停車場時に建設された倉庫の土台石垣。3号は初代門司停車場の外郭石垣と推定されている。

 

荷(貨)物上屋

調査区北西部に位置しており、並行する1号・4号・9号煉瓦遺構で構成される6号建物である。上部の削平が激しく、コンクリート基礎の上に1~2段程度の煉瓦積みが残っている。明治~大正期の図面に記載される荷物上屋に相当すると考えられている。

 

【大正期】

布基礎

機関車庫の西側に接するように2条の布基礎(1号・2号・4号)の栗石列が機関車庫と並行するように検出されている(写真3)。上部は削平されているため、構造はわからないが、並行する布基礎の間には敷設された鉄道敷きが想像でき、両側面にはプラットホームが想定されている。

油倉庫

調査区北側でコの字形に検出された2号煉瓦遺構、3号・7号布基礎で構成される3号建物である。大正期に記載される油倉庫の位置にあたると考えられており、明治の構内図にはない。昭和になって貨物上屋の建築に伴って、解体されたと考えられている。布基礎(3・7号)の上にコンクリート礎盤を設け、煉瓦を積む構造である。遺構面は石炭ガラの廃棄で黒色に変質しており、周辺の土地利用のあり方を示唆する(写真4)。

写真4 3号建物の遺構(提供:北九州市)

 

倉庫

調査区の北東隅で初代駅舎に重なるように検出された2号石垣で、大正期の図面に記載される倉庫である。1961(昭和36)年までは航空写真で確認できるようである。

石垣の北側には3号コンクリートが接続し、西側が階段状になっており後に付け足された倉庫の出入り口に付属する踏み段と考えられている。

 

【昭和期】

貨物上屋

機関車庫の東側に調査区を南北に縦断する5号石垣は、調査区東端で8号石垣、7号石垣と矩形を呈して7号建物を構成する。昭和期の貨物上屋と考えられている。

 

主要な検出遺構を概観してきた。多くの遺構が重層的に確認された。歴史ととも役割が変遷し、その都度除却、建て替えが行われてきたことから、それぞれの遺構は複雑に交錯し残存状況は決して良好ではない。今後、複雑に交錯した遺構を整理し、各時期の図面や写真と照合の上、検討がなされると思うが、図面類に載っていないものなど数多くあるため、今後の整理検討に期待されるところである。

おわりに

近代の遺跡の取り扱いについては、文化庁は次長通知『埋蔵文化財の保護と発掘調査の円滑化等について』(平成10年9月29日付 庁保記第75号)において、埋蔵文化財として取り扱う範囲に関する原則として、近現代の遺跡については、地域において特に重要なものを対象とすることができることとし、周知の埋蔵文化財としての取り扱いの要否基準は地域の判断に委ねられた。このため、全国的な考え方は地域によって大きな差が生じており、取り扱い方についてはさまざまであった。

 

地域の近代史を象徴とする遺跡と言う点でいえば、まさしく旧門司駅舎跡は九州鉄道網の出発点であり、物流の要衝として我が国の近代史を象徴する遺跡である。北九州市は、その重要性に鑑みて、埋蔵文化財として取り扱い、本発掘調査を実施した。調査の結果、明治、大正、昭和の遺構が検出され、各時期の図面類に対応した遺構配置などが確認された。今後の整理の過程で、新たな知見が得られることであろう。これらは、近代史を研究する上においても貴重な資料である。

 

本稿を作成中(2024年11月21日)に北九州市の記者会見で、機関車庫の遺構の一部の現地保存や移築保存での活用の方針が表明された。今回の調査の成果が周辺の整備に限らず、今後のまちづくりや観光に活用されることを切に望むものである。

 

本稿を執筆するにあたり、現地での取材や資料の提供について、北九州市から多大なご協力をいただきました。ありがとうございました。

森屋 直樹もりやなおきNPO法人 文化遺産の世界 理事長
国際文化財株式会社 顧問

1958年 静岡県掛川市生まれ。1981年 関西大学文学部史学科卒業。1981年 大阪府教育委員会文化財保護課に勤務。2018年 大阪府教育庁文化財保護課長。2020年 から現職。

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